日々、強迫観念に悩んでいる営業の方へ

美瑛かな←美瑛            PR

35年間の営業で、大きな失敗をたくさんしたし、小さな成功もあった。先輩からのスポンサーの譲渡もあって、なんとか数字の世界を泳いではきたが、30年前と今では費用対効果が問われたり、単なる人間関係の親しさだけで、仕事が発生することも少なくなった。


企画力がよくても、それに伴う広告費が出てこない。出ても大幅に値切られたりして、辛酸を舐めている営業世界の後輩たちも、何人かこのブログを読んでいるようなので、耄碌(もうろく)する前に伝えるものは伝えておきたい。まず、現場は楽しい。これが最初の話です。苦しいけど楽しいです。それに生きる平面(業種や人間たち)が広大だということ。怒鳴られてもへこたれないで。怒鳴る人間には碌なやつはいないと思いましょう。


マーケットの資料の分析も結構だけど、まずは現場が一番楽しいところだと思いましょう。そして、良心が咎めることは極力しないこと。(何回かはある、たとえば私的な飲み食いを経費で計上したり、私的なタクシーの領収書を経理に出したり。サラリーマンなら普通にしていることかもしれないが、私が言うのは風呂敷き、大言壮語です)。


仕事は継続なので、2回目、3回目と仕事を繰り返すうちに「もう、あなたの持ってくる企画はノーサンキュー」となる。さらに、組織で仕事をしている場合、人事異動が当然あるわけで、次の担当者がお客さんから「あの人は、生意気で困りましたわ。威張るんです。強引な営業でした」とでも言われたら、次の担当者へも迷惑をかける。


この逆も当然あって、「前の担当者は優秀でした・・」でも言われたら、プレッシャー倍増。営業にも行きたくなくなる。それとこれは、どうしようもないけど、仕事は所詮、人間関係で出てくるので営業マンと相手先の「相性の良さ・悪さが」数字にも反映してくる。こちらが、相手を嫌いだという気持ちがあれば、当然、相手もこちらを嫌い・苦手なことは当たり前でこれでは、仕事が発生するどころか失う危険性があるので、できるだけ早く担当替えを願い出て、会社に迷惑をかけない生き方に方向変換を。私も経験あるけど、そこでは物も買いたくなくなるし、紹介もしたくない。


前の担当者と親し過ぎた場合にこういう現象が起きやすいから注意です。今はペーペーでも時間とともにいつのまにか担当者の席についたときに、普段から彼とも会話していないと大事にしていないと復讐される場合があります。それと、忘れがちなのは、相手も営業マンで何らかの派閥に入っていたり、一匹オオカミであったりいろいろだということです。人事も一寸先は闇、どうなるかわかったものではありません。


お金を出す側ではあるけど、やはり、それだけのお金を使うから、実績を作ってあげなければいけない。向こうも数字ならこちらも数字。学校担当なら、進学者をひとりふたり紹介したり、車を買うなら普段お世話になっているところから。スーツの購入も自宅リフォーム発注も宴会会場も。与えるばかりでもいいのです。この生き方は、きっと違うスポンサーから数字として戻ってくるケースが多い。なぜなら、そういうものだからです。


会社の総務や経理は、営業のこの辺のことについて理解が浅い(数字をつくる苦労を知らない。むしろ管理とチェックをしようとする。筆者も総務上がりの役員と大ゲンカしたことがある。テーブルを叩かれて怒鳴られた)ので、普段から総務・経理の人間にも「こういう種類のスポンサーがあるから、〇〇を購入したりするときは相談してね、使ってね」と伝えておく。総務・経理は営業を一段低い(営業行為は大変で、自分にはできないと思いつつ)視点で仕事をみている節がある。営業から見れば、総務・経理も自分たちの仕事があって初めて生じるセクションなのだという思い上がりもあるけれど・・・。


社内での良好な人間関係づくりは、10年・20年経過すると思わぬハッピーなことで還ってくるから、困ってる同僚の営業マンがいたら、惜しまず助ける癖をつけるといい。営業マンは孤独ではあるけど孤立してはいけないし、同僚を孤立させてはいけないということです。それは自身の強迫観念を弱める働きになるもの。

  1. 「ちょうど良かった」

    元々営業職が大っ嫌いだった僕も,30代のある日,会社命令で仕方なく営業職に転向する羽目になりました。先ずは自分の好きなブランドの企業の出先に向かいましたが,玄関先で自動ドアを開ける勇気がなくて回れ右して帰ってきました。でも三回目には勇気を出して訪問しました。「広告担当の方は?」の問いに女性社員の方が声をかけて現れたのは営業課長さんでした。課長さんに「今日は支社長が留守なので」と,いきなり支社長室の豪華な応接室に通されました。コーヒーを出していただきましたが,緊張で手が震えて飲めませんでした。そんな僕に,彼は「ちょうど良かった。今,北海道版の新製品カタログを考えて悩んでいたので,何かいいアイデアはありませんか?」と。水を得た僕は,長い間クリエーターだったので,その場でアイディアが浮かび,即刻引き受けました。次の訪問時にはカタログの「ツカ」を作成して彼に提出しました。幸運にも好評で,すっかり気に入っていただきました。これがきっかけで,新規にも訪問できるようになりました。その時,初めて体験した「ちょうど良かった・・・」と言われた,記憶に残された,あのうれしいフレーズを期待して。

  2. 何か「持っている」こと。

    今では,大手広告代理店の部長に座っている彼と同姓の僕は,お声が掛かったある国産自動車のディーラーの社長さんに会うため二人で訪問した。「ご兄弟?」と言われたりしましたが,彼は20代後半で40代にも見えるほど恰幅が良く背も高く,雄弁で若いのに比べて,僕は40代で背も低く痩せていて口下手でした。違いと言えば,広告業界でのキャリアしかありませんでした。そんな僕たちに,大メーカー出向の社長さんは「君たち何ができるの?」と。彼は口火を切って延々と語り始めました。僕の順番になって「君は?」との問いに「クリエーティブが長かったので・・・」と一言だけ。社長は「じゃあ作品を持って来て下さいよ」となった。翌日,作品事例を持って訪問してすっかり気に入っていただいた。一方彼は,何も無く担当から外されました。それ以来長い間,専属のして仕事を頂いていました。しかし,あの時外された彼も「口八丁」を武器に現在の立場に上り詰めている訳です。「口」も「技」でも,何か持っていて損はありませんね。

    • 元々、自分自身、営業職で仕事ができるとは全然思えなくて、学生時代は(できるだけ何も働かず、遊んで暮らせる方法
      はないかと考えていて)アルバイトばかりしてました。10以上のバイトをしてましたね。生来、怠け者で、人と会うのも
      苦手で、お喋りもヘタです。そんな私が営業をするんですから、世の中、わからないものです。ルート営業ではないから
      自由な反面、眠れない日々も多かったですね。

  3. 「鶴の倍返し」

    「鶴の恩返し」の昔話で学ぶことは,恩に着たら,恩を返す事ですね。「返す人」と「忘れる人」との違いは大きく開いて行きますね。与えられっぱなしでも,さらに甘えて与えられることに慣れてしまうと,それが当たり前となってラクな方へラクな方へと考えるようになりますね。そのうちに,与えられなくなって孤立してしまいます。例えば,社員同士や仲間同士,また得意先との間でも恩返しが必要でしょうね。そのことによって仕事も発生しますから,自ずと「数字にも悩まなくで済む」ことにつながります。与えられたら「倍返し」くらいの気持ちを持ちたいですね。「鶴の倍返し」ですね。

  4. 「長~い目で」

    数字の悩みは,営業職の共通課題ですね。肝心なのは,悩む前に,数字を作ることを考える方が先ですね。一年間を第一クオーター~第四クオーターの四期に分けたり、半年の二スパンに分けて数字管理を考えれば,月々悩むことはありません。半年の間に取り戻せばいい訳で,焦る必要はないのです。焦りは仕事の上では禁物ですね。それに,仕掛けだけは沢山用意しておくことも大切ですね。

  5. 「出来ない営業マン」に成りなさい。

    得意先と「飲み食い」や「ゴルフ接待」や「風俗遊び」などはしない方がいいですね。方法としては「飲めない」「打たない」「買わない」を最初からわかってもらうことが大事ですね。付き合いは仕事だけでクールにこなすのが一番ですね。誘われたら「私は下戸です」「私はやりません」「私はできません」で通した方が,お付き合いは長き,信頼度も高くなりますよ。

    • 下戸、ゴルフゼロ、風俗接待しない、唯一寿司接待、ホテルでランチ接待だけでした。電器メーカー支店長はカードで自由、
      テレビ局も営業マンはカード、薬メーカーの部長以上は医者接待(高級店を志向するし、風俗大好き)にカードを使うのが
      現実で、新聞社は交際費は超縮小。スポーツ紙はハワイやオーストラリアゴルフ招待もありました。派手な時代がありましたが
      筆者は一切、関係ないのが良かったです。いい時代は一つもないですから。たんたんとした日常を、せっせと子供へ仕送り
      の毎日でした。10年間続きました。毎月、ゼロからの数字づくりを28年してきましたから、営業の苦労は骨身にしみて
      ます。

  6. 「オラ商品を売るオラが営業」より「何でも取次ぎ営業」へ。

    昔,こんな話を聞きました。東京のメルセデスの正規ディーラーさんに,全国でもトップ・セールスの方がいらっしゃったそうです。この方は他の社員より先に出社して,事務的な仕事をこなしたあと,早々に外出して一日戻らなかったそうです。この方の営業の方法ですし,それでも何時も筆頭営業ですから,会社でもとがめられなかったのだと思います。彼の営業は外でいろいろな人と会うことだったらしいです。安くて500万円,高級車クラスで1千万も3千万円もする商品の営業ですから,そんなに売れるはずはありませんね。ところが彼は自分の商品を売ることだけでは無かったようです。例えライバル社の国産高級車が欲しいと言う方の話を聞けば,知り合いの国産ディーラーの営業マンを紹介したり,住宅の新築を考えていると言う方には,知り合いのハウスメーカーの営業マンを紹介したりしたそうです。同じ営業職としての絆づくりをしていたわけですね。当然ながら,彼らも高級車のベンツが欲しいと言う顧客の声を聴けば紹介してくれたようです。この話で勉強させられるのは,お相手の話を聞いて,自分に直接関係が無くても,他の営業マンにとっては宝のような新規情報だと言うことです。その情報をも無駄にせず,即欲しい所に伝えることで,顧客にも他社の営業マンにも感謝され,何時かは恩返しをしてくれることも有ると言うことですね。

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