1)8月11日が旗日だなんて知らなかった。連休をつくるのに国のほうから言われる前に、自己都合でどんどん休められるのがいいね。私はいつでも自由に休められる身分だから言えるのかもしれない。いまでこそクールビズをしているが、現役のときは会社で私だけずっと抵抗して、ネクタイ姿を63歳までし続けた。役人から着る服まで『ああだ、こうだ言われるのが大嫌いだ』から従わない私。一番嫌いだったのは総務からの一斉メールで『何月何日からクールビズを始まます』というお達しと、どこの企業のドアに『弊社ではただいまクールビズを実施中』と貼り紙。これを見ると腹が立つ私であった。昔、ダサイ省エネルックの再来だね、ネクタイを除く繊維業界の陰謀かもしれませんね、これって。

しかし、オシャレ度が低いですね。若者はジーパンでの出社認めたほうがGOOD。中年男性のワイシャツの襟部分のだらしない人が多いし、役所は白のワイシャツだらけ。これじゃ中学生のジャージ登校。いろんな模様のネクタイをしたスーツ姿のほうが新鮮。ノーネクタイだからいいアイディアが出るわけではない。いい仕事ができるわけではない。汗を吹きながら、タオルで顔をぬぐって仕事をしている真摯な姿が筆者は好きである。北海道でクールビズをしてもそもそも涼しいからやる必要もない。へそ曲がりの夏が続いています。

 

(2)お墓のこと。自分が死んだとき骨を入れる場所がなくてどうしようか迷っている。両親が入ってる納骨堂が5人分まで入る。残り3人。東本願寺の寺の住職の吝嗇さにあきれて付き合いをしたくないので困っているのである。すでに納骨堂購入費用と葬式の謝礼に200万円使ったが、東日本大震災級の地震が来たら本堂が倒れるから檀家399戸で2億円を集めようと画策。1戸約50万円の寄付依頼が檀家代表者から手紙がきた。

お盆に寺を訪ねれば『仏壇磨きに来ませんね』と皮肉まで住職から言われて、こんなにお金を使って不愉快なお寺もないものだ付き合いはやめた。お盆は自宅の寝室に両親の写真を飾り、花を生けて、大好きなおはぎを備えて我慢してもらった。私の住んでいる街に集団で埋葬する場所ができて永代供養で5万弱でOK。

難点はたくさんの人と骨がゴチャゴチャになること。妻は樹木葬を望んでいる。好きな海洋に10万以下で捨ててくれる業者も調べたら石狩市にある。『無知の涙』を書いた連続殺人犯の永山則夫が、遺言どおり、元妻に骨を抱かれてオホーツクの沖に出て海に流した光景が浮かぶ。網走に生まれたのかもしれない。

それにしてもどうするか決めないといけない。葬儀は居間から焼き場へ直送することにしている。子どもだけに知らせることにした。ウルトラシンプルな最後にする。ふたりの子どもは迷わなくて済む。

 

  1. 一生は一小節に過ぎない。

    今年もお盆が来るが,遠く本州の墓参りには行けそうもない。田舎の従弟たちも豊田市に移住していて叔父叔母も亡くなり,近い親戚も又従弟くらいしか居なくなった。父母の七回忌以降は,遠くの寺とも疎遠になっている。親子ほど違う長男も他界して,末っ子の僕が仏壇を預かっている。と言っても,実家の古い仏壇の処分にお坊さんに来ていただいて魂を抜いた後,札幌で小型仏壇を購入し,同宗派のお坊さんに来ていただいて魂を入れていただいた。お経も知らない僕は毎朝のように拝んではいるが,遠くの墓や納骨堂のある寺に疎遠になっていることは非常に気になっている。いつか,どうにかしなければならないのだろうが,今のところ名案は無い。そこで,自分の事を考えると,墓は残さない方が良いと思うようになった。代々の宗派で葬儀を執り行うのは良いが,残すのは位牌か,または仏壇に入っている小さな掛け軸だけで良いのではないだろうか。骨などは残さず,埋葬も散骨も地球環境を考えれば,完全焼却を望んでいる。それが残された子供たちにとっても精神的,経済的負担もなくなると思う。幸いにしてか息子は葬祭業に従事しており,自分たちの葬儀は簡素にお願いしておこうと思っている。誰しも自分の名前を墓に刻んで残そうと考えるのだろうが,結局,後世に残るのは誰も拝むことの無い朽ち果てた無縁墓石のみとなるだろう。考えれば,一人の一生は音楽のたった一小節のようなもの。果か(墓)ないものだ。

  2. 自分流クール・ビズ。

    クール・ビズで半袖のスーツを提案した時代を思い出しました。あれはダサいと思いましたね。しかし,僕も知らないうちにクール・ビズになって居ました。ボタン・ダウンのシャツにノー・ネクタイです。夏は首回りをネクタイで絞めると体温がこもって暑いからです。もう一つは襟が脂汗でシミが付くからです。さらに実行している事は,なるべく髪を短くすることです。月に2回ほどカットします。なぜ,クール・ビズや髪をカットするかと言えば,自分が年老いたからです。歳をとると,ついだらしなくなりがちで,端から見ればむさくるしいからです。時折姿見などで自分を見て「ハッ!」と驚くことがあります。自分が自分に対する認識とのギャップを感じるからです。いくら気持ちを若く保とうとしても,姿は老けて行くものです。
    ですから,できる限りの範囲ですが,自分流のクール・ビズを実行しています。

  3. 社会の常識と非常識。

    クール・ビズなど叫ばれていなかった僕が若かった頃は,意外にクール・ビズに近かったですね。大阪では短パンにタンクトップ姿でカネボウのヘッド・オフイスの通路を社員の視線を浴びながら出入りしたものです。僕にとって,それだけ大阪は暑かったのですが,社員の方々はちゃんとしていましたよ。女性社員さんの少し冷たい視線を意識するようになって半袖開襟シャツと長ズボンをはくようになりました。北海道では夏場はジーンズとサマーセーター,春・秋はサファリ・ジャケットで北洋銀行の業務部に出入りしていました。ある日,僕の上司に担当の方から注意された時から,イヤミですが,三つ揃いのブランド・スーツにしました。しかし,これでも気に入らないと察した僕は,今度はぶら下がりの安い三つ揃いスーツを着て行きました。イヤミですが「ドブネズミ色」のスーツでした。これで,どうやら合格のようでした。つまり,彼らは上司より高価なタバコやスーツを着てはいけないと言う暗黙のルールがあるのです。ましてや,僕のような下請け業者の若造が高価なタバコやスーツや靴や時計をしていては気に入らないのでした。ジーンズやセーターやサファリ・ジャケットもラフ過ぎたわけです。同レベルの少し下。それ以下でもダメのようです。当時は営業職では無かったのですが,営業に出て初めて社会の一般常識なるものが見えてきた次第です。若い時は怖さ知らずでしたね。

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