ウサギの出てくるイソップ物語
出雲の人から今後、お話を掲載するにあたり、有名な大国主のみことが因幡の白ウサギを助ける話が有名ですが、イソップにもウサギが何篇か登場します。調べたら5編見つかりましたが、その中からウサギが主人公の話を3つ紹介してみます。有名過ぎる話「ウサギとカメ」から。
カメの足がおそいのを、ウサギがばかにして笑いました。「あなたの足が早くても、あたしのほうが勝ちますよ。」とカメがいいました。するとウサギは、「そんなこといったって口さきだけだ、競争しよう。そうすればわかる。」と、いいました。「だれが場所を決めて、勝ったものにほうびをだすのですか?」と、カメはいいました。「キツネが公平でりこうだから、あれにたのもう。」と、ウサギはいいました。そこで、キツネが競争をはじめる合図をしました。カメはちっとも休まずあるきつづけました。ウサギは足がはやいとおもって安心しているものですから、ねてしまいました。それから決勝点まできてみると、カメのほうが勝っていました。生まれつきはよくても、いいかげんにやっていてだめになる人はたくさんいますが、まじめで熱心でしんぼうづよい人は、生まれつきすばしこいものに勝つことがあります。
最後のオチは「勝つことはあるけど負けることが多い」とも読めますね。しかし、キツネが公平だからというのも説得力があるようでないような気もしますが。次は「ウサギとカエル」。
あるとき、ウサギたちが集まって、自分たちの生活は危険が多くて」、しじゅうびくびくしていなければならないと、なげきました。人間にもイヌにもワシにも、そのほかいろいろの動物にも殺されるから、びくびくして生きるよりも、いっそいっぺんに死んだほうがましだというのです。さてみんなで死ぬことにきめて、ある池のふちまで出かけて、そこに身をなげておぼれてしまおうということになりました。ところが、その池のまわりにいたカエルたちが、ウサギのはしってくる音をきくと、すぐに池の中にかくれたので、ほかのウサギよりも、物知りだといわれている一匹のウサギがいいました。「おまちなさい、諸君。うっかりしたことをなさるな。ごらんなさい、われわれよりおくびょうな動物がいます。」不幸なめにあった人は、それよりもひどいめにあっているほかの人から、なぐさめを受けます。
自分より不幸な人をみて、いまの自分を慰める消極性がよく出ている逸話です。
最後は「ウサギとキツネ」
あるとき、ウサギがワシと戦争をして、キツネを味方にたのみました。すると、キツネはいいました。「あなたがたが、どんなけもので、戦争の相手がどんな生きものか、われわれが知らずにいたら、味方になってあげるのですが。」じぶんより強いものと競争する人は、失敗するばかりでなく、ばかにされます。
イソップ物語は、反骨の物語というより、従順さを推奨する、寄らば大樹の蔭的な要素がありますね。自分が犠牲にならず、ほかに転嫁する処世も多い。日本の幼稚園で紙芝居や聞かせの会で読み上げるには、その従順さを植え付ける材料としては最適かもしれない。存在感として、ウサギは薄いかもしれない。筆者は残念ながらウサギ年だ。妻は業のトラ。勝負は目に見えている。
昔の少年
小学2年生の教室で、読書の時間が終わって先生がこう言ったそうな。
先生「今から、君たちが読んだ本の感想文を書いてください。」
児童「はい!」
その中の一人、ワンパクな男児は「いなばの白兎」を読んだんだそうな。
彼の感想文はいたって簡潔明瞭、こう書かれていたそうな。
ワンパク男児「ウサギがワニに毛皮をむかれて、グロかったです。」
先生の赤ペン添削「もう少し違う言葉で書きましょうか?」
※グロい(グロテスクの現代っ子語)
清田区小学低学年の実話小話より。