寓話「第1回満月のときは朝まで宗教会議」。オブザーバー孔子・仏陀・シャクシャイン
ユダヤ教代表のモーセとキリスト教代表イエスとイスラム教代表のムハンマドさんの3人が、お月様の上で青い地球を見ながら、史上初めての鼎談をした。オブザーバーには中国から孔子、インドからお釈迦様が来た。また、ケルトやロマ(ジプシー)アボリジ・アイヌなど少数民族代表としてアイヌのシャクシャインも同席いたします。司会は、どの宗教にも精通してるかもしれないフロイトさんに頼んだ。
司会(フロイト)「それではこれから、人類史上初、お月様の上でフワフワ浮かびながら、あの青い地球上で起きていることについて、思いを述べてください。まずは一神教の祖でもあるモーセさんいかがですか」
(モーセ)「私が一神教の祖とおっしゃいましたが、元々エジプトにあったアトン信仰(太陽信仰)が一神教になり、第18代エジプト王アメンホテップ4世が偶像崇拝を止めさせて、その道を開いて、私はそのときに役人をしておりました。アメンホテップ4世は、数千年来のエジプトの伝統や生活習慣を止め、新しい宗教を強要して、偶像破壊をたくさんやりましたから、当時の神官からたくさん恨まれもして、王が亡くなってから私の立場も悪くなり、次の王が即位する前に奴隷を連れてエジプトを脱出したわけです。それが有名な(出エジプトです)私はもともとエジプト人で、旧約聖書では預言者の一人にに分類されていますが、奴隷たちと会話がうまくできず、文字で彼らとコミュニケーションしました。石版に10の戒めを書いたのも言葉が不自由だったからです。」
(フロイト)「その話は私の遺書(モーセと一神教)に書いてあることで、いいのですが、いまの世界をモーセさんはどのように思われてますか」
(モーセ)「3500年経過して、まさか中東がこのような状況になろうとは思いませんでした。むしろ私が教えを請いたい心境です」
(フロイト)「このあたり、ムハンマドさんいかがですか」
(ムハンマド)「私が622年、50歳のときに天啓があって、アッラーを信仰することを身近な部族に広めて、私の信ずる神もユダヤ教徒の信ずる神も同じ神だと思っていて、いずれユダヤ教徒もイスラムの教えに合流すると初めは思っていましたが、そうはならず判断が甘かったでした。どの宗教より早くアラビア語で教えを書いたので、布教は早かったかと思います」。
(フロイト)「もともと、イエスさんもユダヤ教徒でしたよね。ゴルゴダの丘で磔刑になるときもユダヤ教徒ではなかったですか?あのころユダヤ教も三つの派閥に分裂していて、サドカイ派、パリサイ派、そしてイエスさんがいらしたエッセネ派ですね。エッセネ派は政治的なことには首をつっこまず禁欲・独身主義で貧しさを誇りにしてましたよね。」
(イエス)「はい。サドカイ派は富が大好きで貴族階層が多かったように思います。パリサイ派はユダヤ教の律法を守るだけの日本で言うと小市民というところでしょうか」
(フロイト)「それにしても、マホメットさんは商業活動をしてお金を儲けた後で、天啓を受けたのに、イエスさんはこれといった職業にもつかないで、25歳で神の声を聞いて亡くなったのが31歳、実質5年間の布教ですよね。なぜ、こんなに世界へ広まったとお思いですか?」
(イエス)「わかりません。後の歴史家はパウロの功績と言ってます。私は彼に一度も会ってはいません。神と預言者とイエスを三位一体として言語化・観念化したのが大きいと言われてますが、詳しいことはわかりません。聖書研究者に聞いてください」
(フロイト)「モーセさん、どうして同じ神であるのに、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教とこんなに殺戮を繰り返すのですか?どう思われます?」
(モーセ)「同じ神のようであり、ないようであります。マホメットは最後の預言者として自らを位置づけて、私もイエスも預言者としてイスラム教徒は認めているのですよ。ではありますが、時間の順番から言うと最終なのがアッラーで、イスラム教はユダヤ教・キリスト教を包み込む関係なのです」。
(フロイト)「コーランを私は詳しく読んではおりませんが、日常生活の細かい規則(食事・夫婦関係・利子・衣装など)を書いてあるのでしょうね。ユダヤ教の法典もそうでしたよね。」
(ムハンマド)「そうです。イスラム教は、ユダヤ教やキリスト教と違い、そうそうそこにいらっしゃる孔子さんやお釈迦様の仏教とも違って、初めからアラビア語で書かれた文字で始まった宗教なのです。旧約も新約も論語も仏典も後の世で編集されたものですね」
(モーセ、イエス、孔子、お釈迦さま)「そうです」。
(フロイト)「先ほどから、何か言いたそうなシャクシャイン殿、休憩の前に何かおっしゃりたいことがあればどうぞ」
(シャクシャイン)「先ほどから聞いていると、一神教って勝手なものだなあと感じます。アイヌは言葉の概念とかありません。生き物ひとつひとつに名前があるだけ。民族の物語は唱や踊りで古老から次の世代へ伝えられて、伝承されていきます。初めはいまの日本の本州にもおりましたが、武器の発達もなく北へ北へ逃げて参りました。あなた方は、布教する性格を持って、信者を増やして何をしようとしているのですか?増やして集団発狂しているようにしか私には見えませんが。民族的に数が少ないですから特にそう見えます。一神教の神にしろ、近現代の新興宗教も偶像崇拝やら、大きな組織を維持するために集金活動ばかりしているのではないですか。略奪ばかりしているのでは?私たちも和人(日本人)に利用されました。小さな家族のせめて部族だけの平和や幸福があれば、それ以上、何を欲しているのですか。ユダヤ教もキリスト教もイスラム教も、正義のためと言うとき、どこかあなた方に恨みの感情が見え隠れするのですが、いかがですか?」
(フロイト)「では、休憩に入ります」
この続きは第2回へ(休憩)2回目掲載日未定
昔の少年
夫々の支流が合流して大河になり大河が合流して海になり、海は幸を産みつつ、雲を作り雨を降らせて森を育み、プランクトンを海に恩返しする。海は感謝して塩を差し伸べ、また雨で恩返しをする。自然が教える摂理をそのまま受け入れて居ながら自然から学んでいない生物が居る。人間もその一つだろうか。学ぶどころか、自然の摂理を破壊するところまでエスカレートして戦争を繰り返すたびに、ある部族やある宗派に属する人々が標的になる。奴隷、インディオ、黒人と差別していたが、彼らも力を得れば戦いを挑む。第二次大戦のヒトラーに代表される虐殺もすべてが宗教・部族戦争だ。陣取り合戦には同じ考えで味方を統率しなければならない。便宜上宗教が洗脳しやすい方法だったのかも知れない。本当の心を支える目的の宗教もあったのだろうが。