時計の語源について
丸谷才一『蝶々は誰からの手紙』(マガジンハウス)の書評78選(187p)に時計という漢字の語源について書かれていた。漢字は殷や周の時代から、甲骨文字や金文で残っていて、たとえば『口』という漢字は、サイと発音されて祝詞(のりと)を入れる器(箱)だというのは有名な話。さっそく筆者は図書館へ出向き『日本語源大辞典』(小学館)をペラペラ。
『時計』の語源は、中国周代の『土圭(どけい)』で緯度測定器でのちに日時計として用いられた、また、時のはかるところから、トキ(時)の延。トキケイの略。さらに時を刻む音がトケイトケイと聞こえるところから時計に。表記は本来、土圭であったが、14世紀にヨーロッパで機械時計が製作されて、キリスト教宣教師によって中国と日本にもたらされた。1551年、日本にはフランシスコザビエルが大内義隆に献上したのが最初とある。中国では機械時計を、時を打つので『自鳴鐘』という漢字を充てた。江戸時代、『自鳴鐘』の漢字を日本でも使われたとある。和語で『ときはかり』。幕末・明治初期の漢字重視の時代には、『時器』『時辰儀』『時振表』と表記はされたが、漢字の横には送り仮名で(とけい)とルビを振られた。
余談だが、ザビエルは大内義隆(1507年〜1552年)へ『置き時計』をはじめ、望遠鏡・ハープ、ガラスの水差し・眼鏡・絵画・小銃まで献上している。その見返りに、大内はザビエルに教会を建てる土地を提供し、布教の許可を与えている。献上された翌年に皮肉にも大内義隆は死去。
私はROREXの偽物腕時計を持っている。闇市で6千円の格安でビニール袋に入ったものをプレゼントされた。ある日電池が切れて、時計屋さんへ持っていくと『お客さん、これはROREXではなくて業界ではHOREX』と呼んでいますと教えてくれた。
現代は腕時計を外して仕事をする男女も多い。スマホを見れば時間は一目瞭然。街中にもたくさんの時計があるから便利だ。偽のROREXはガラス面にひびが入り捨てた。さらに裏面も私の汗の影響で錆まで出てきた。考えてみると、私が一番高い時計は、父親から12歳のときに中学の入学祝にくれたセイコーの時計だ。時計と万年筆がうれしかった時代である。
古時計も持たないお爺さん。
前々職の職場でブランド好きの30代の女性が腕にはめていたのは男性用の時計だった。よく聞くと時計マニアでいくつかの高価な時計を持っているらしい。その逆で,僕は今では時計を一つも持っていない。必要ないのです。クルマとスマホとTVとPCで正確な時刻が見れるからです。オフイスのデスクには電波時計が置いてあるが,不思議なことにある日狂ってしまった。今は回復したが,機械式に比べて信頼度は意外に低いのかも知れない。今朝も朝練準備中の我が家の野球少年に「i-phoneいま何時?」と聞かれた。
タダ(???)で貰える高級時計。
今や,時計の役割は一部を除いて,すっかり変わってしまいました。動くアクセサリーなんですね。時間も見たりはしますが,ほとんどが自分が見るよりも他人に見せたがっているように見えますね。何気にではなく,それも自慢げに。ブランド時計は数百万円以上のものが多く,さらに珍しいものは腕時計にもかかわらず,腕にはハメずにガラスケースか何かに仕舞って観賞用なんですね。そのために,自動巻きも腕にハメて振るのではなくケースが電動で動くなんて訳の分からないものまでありますね。これじゃあ自動巻きではなくて電動巻きで本末転倒ですね。立派なクルマを買って乗らずに眺めているのと全く同じですね。若狭湾にある田舎で都会の水商売の女性が海水浴に来ていましたが,当家の渡し船で無人島の海水浴場に行く途中に海中に落としてしまいました。水深が深く潮流もあって取りに潜るわけにもいかず,それっきりでした。数百万円だったらしいですが,どうせタダ(??)で貰った時計なんでしょうね。危険をおかして潜るよりも,またタダ(???)で貰えばいいですからね。
高級時計に変身したシチズン。
僕は,高校入学祝いで,東京の姉からシチズンの腕時計を貰いました。大事にしていたのですが,機械いじりが好きな僕は時計の分解も大好きでした。小学生の頃は置時計はもちろん,柱時計を分解して両親が夕方返って来るまでに復元するのがスリル満点で楽しかったものです。そんな分解癖も手伝って,何度もシチズンも分解しました。結構微細な部品ばかりで難儀しましたが,最終的には3針を外して文字盤も外してしまって再び3針を取り付けてスケルトンにしました。こうすると,これがシチズンとは思えない立派なスケルトンの高級時計に変身しました。大阪では阪急電車の吊り皮につかまっていると皆んなの視線が僕の腕時計に集中しているようで快感でした。その後は安い時計が出始めたので分解しましたが,時計だけに「時間のムダ」と気づいてからは止めました。今は時計は一つも持っていません。