中国人からのリターン要請に応えた日本人と中国人留学生の身元保証人になった話
知人からのメールで、日本人の建設会社経営者が「雇っていた中国人
から帰ってきてくれコールに負けて、6月8日朝の3時に中国へ飛び立ちました。」と
報告ありました。また、スカイプで生の中国社会の現実を書けると思い
ます。ご期待ください。
さらにきょうは、メール送信者がお寺の生まれで、住職でもあったお父さんが
中国人の留学生の身元引受人や面倒を見ていたときの話が綴られてました
ので紹介します。
中国の都市と地域
これは私自身の話ですが、以前父が中国人留学生の身元引き受けをしたことか
ら、私も留学生と仲良くなりました。文革が終焉し、海外留学生の派遣が再開さ
れ、その第一回の選抜に2位で選ばれた学生でした。それまでは知識階級は地方
に下放されていたので、第一回の留学生募集は、若い学生だけでなく30代の候
補まで募集してきました。その中で2位は、中国屈指の秀才と言っていいでしょ
うが、本人は農村生まれの、気さくな若者でした。
その留学生の子供の頃の夢は、軍隊に入ることだったそうです。農村地帯の住民
は都市住民とは違う住民票を持たされ、勝手に行き来することは許されていませ
んでした。例外が軍隊に入ることと、優秀な成績をとること。彼は、農作業で鍛
えた屈強な若者でしたが、やや身長が足りなかったのでしょう。膨大な人口の中
から偉丈夫だけ揃えたような軍に入ることが出来ず、学問の道をめざしたそうです。
労働者の国にしては、そういう差別があるのが違和感がありましたが、それは今
でもあるそうです。ここからは彼の話ですが、農村から都市の工場への就職者は
多いですが住民票で区別されるので、そのまま都市の住人にはなれないそうで
す。また例えば上海市と言っても、中国の市は都道府県より大きい行政単位です
から、農村出身者が働く工場地帯は周囲に都市らしいところはなにもないようです。
都市との人的交流がそんなものですから、農村部は、電気製品などは入ってきて
ますが、生活は「自給自足」というニュアンスが大きいようです。大きな道も鉄
道も通っているのに、農村では清朝時代とそう変わらない生活をしているのが不
思議です。
収穫したものは近隣の「市(いち)」に出されます。市は、普通の道路にテント
やゴザを並べて商品を売るのですが、ここでは食品だけでなく、鍋釜などの雑貨
や布団、工具など、なんでも売られます。そういうのが道沿いに延々とつながっ
ています。路上ではありますが、品揃えはスーパーとホームセンターを合わせた
ようなもので、おそらく住民の生活を支えているのでしょう。それ以外の、農協
のような流通経路があるのかどうかはわかりません。ただ、市には「城管」とい
う、警官とヤクザの地周りを合わせたようなのがいて、店の人間に暴力を振るっ
たり金品を巻き上げたりします。地域の暴動は、たいてい城管への不満がきっか
けになるようです。特に都市の住民票がなければ何をされるかわからないので、
郊外から都市部へ産直野菜を売りに行くということもできません。
なお、中国の一人っ子政策は都市部のもので、農村地帯には適用されていません
が、農村は貧しいので子供をたくさん育てられず、結局国中が一人っ子同然だそ
うです。