低欲望社会になってしまった《第2回》
低欲望社会になってしまった(第2回)
昨日の『低欲望社会』に引き続いて、いろんな人と話をして、あらたに書いてみた。1億円~2億円のお金を持っている60歳後半の人から、3年前に『何か投資できる事業はないだろうか』と相談されて、ホテルの経営者を紹介し、ヒントをもらいに行った。『居酒屋でもやったら』と経営者は言ってたがその後どうなったやら。経営者は筆者に『一億や二億は金持ちとは言わないよ、小金持ちって言うんだ』と。私と生きてる世界が違う。
欲望は具体的な物や人、それを他人が所有していたり、それを見たり、妄想や観念が沸いてきて(そのきっかけも具体的な物や人との遭遇)で生じる。低欲望社会は、それはもう自分は持っているから、欲望が生じるとしたら新しい型の商品だったり、知り合いだったりする。
物を買わせるために、乱費させるために戦後の広告が、業界が潤った時代があった。いまは物を捨てる、できるだけ広い空間を確保するために部屋に物は置かない生き方が、都市のマンションに住む若者で大流行だ。しかし、少子化とはいえ、子供に対してかける費用は習い事を含めて尋常ではないなと思う。小学校入学前に入れる3年保育や生まれたばかりの子供を預ける施設も多い。その費用を含めてお母さんも頑張って働き、ご主人とともに家計の足しにするか、シングルマザーで働き続ける。近くに実家があれば子供を預けられるけど、遠くの実家なら働き場所もなくて、本当に困る。
私の街の求人広告を見ても、正社員は老健施設や営業職、製造業やコンビニはパート労働、食品工業や精密器械の検品作業など時給750円から900円まで。保育所・幼稚園や自分のお洒落代で消えてしまいそうで、家計簿をつけたら、ため息が聞こえてきそうなくらいだ。『あの子が持っているから私の子供にも』『あの子が通ってる水泳教室なので通わせる』『あの子が持っているスマホ。学校からのお知らせもラインで来るのでスマホは必須アイテム。通信費がばかにならない』。
こういう若い世代に、いかにお金を有効に使わせるか、落としたらいいのか。現在、60歳以上で預貯金を持っている人たちが、自分の子供や孫たちへ存分に使っていくことができれば、改善されるが、60歳以上もまだまだ自分たちの高齢者の親を抱えて余裕がないとすれば、生活に苦しい家族だけが出てきて、一体国民の資産1700兆円はどこにあるの?という話にもなるから不思議だ。住宅ローンと教育費(教育ローン)が子供を持つ平均的な家庭で一番の支出になる。
サラリーマンを辞めると国民健康保険と介護保険が重い。こうしてみると5月4日の『低欲望社会(第1回)』との乖離が生じる。お金の本質は運動だから、たえず動き回らないと腐る。ケイマン諸島に預けられているのか金融機関を通じて日本国債を買う原資になってるのか、さっぱり運動して社会を元気にしてくれない。
毎日、20歳代で株やトレーダーで億マン長者が一人は出ている一方、夕方7時過ぎにスーパーの割引シールやワゴン物(筆者はこれが大好き)を購買する人も多い。欲望といえばしかし、知識欲とか異性からもてたい欲とかアルコール欲、何でもみてやろう欲とか好奇心旺盛な人もいて、せめてこのあたりの欲でどんどんお金を自分を含めて消費したいが、持たざる者のやせ我慢か。正直、そう思う筆者であった。
欲望いろいろ?。
欲望と聞けば、金銭欲とか性欲とかが浮かんで、貧乏性の私には野望とか陰謀とか悪いイメージしか浮かばないですが、何かの目的や目標に向かっての欲望(意欲)は、同じ欲でも性格が違いますね。働く意欲、学ぶ意欲、奉仕する意欲、などなどと、こんな欲なら誰にも出来そうで、実はなかなか出来ないことですよね。働かないで楽をしたい社会には、犯罪さえも蔓延しますね。学ばない世界には争いも起きますね。その反面、奉仕する社会には地域平和の輪ができます。解っていても、人間は金銭欲や性欲にコントロールされがちです。世界や地域社会の中で、自制心を持って生きるには、働き、学び、奉仕し、後世に継承していく事でしょうね。
千人に一人の仙人になりたい。
独占欲なんてよく言いますが、恋愛も結婚も、つまりは独占欲ですね。利己主義の活用形で、一般社会では常識として公認されては居ますが、所詮、ほとんどの人間は生きるためとは言え、欲の塊なんですよね。欲の性質はそれぞれですが、無欲の人には会った事がありませんね。仙人にでもならない限り、欲は影のようについて回ります。無欲の人って千人に一人くらい居るのでしょうか?
oldbadboy
低欲望を困ったことのようにみなすこと自体に、無理があるような気がします。「低燃費」に置き換えると、「どこが悪いの?」と言われておしまいでしょう。ましてや「燃費が無駄に高くなれば、経済が回るから」なんて言ったら、まともに話もしてもらえないでしょう。