憂鬱な秋・・!
11月に入ると、嫌な季節の到来に北国の大人たちはうんざりだ。憂愁の秋だ。紅葉を撮影するのはいいが、強風で我が家の庭と歩道に隣家のカエデの葉が飛んでくる、ガレージにまで入り込む。4時になると暗くなる。日の出も遅くなり、気温も低く、また雪の季節が、除雪の季節、電車が乱れる季節だ。その予感で憂鬱になるのだ。子供も遠く離れて住み、クリスマスにも縁がなくなり、あっという間の1年経過。12月だ。現役の頃は正月の仕事で締め切りに追われていた。あの追い詰められた感じがなくなって、心身の調子はいい。自身のパニック障害の発生がここ数年なくなったのも個人の数字(売上げ)から離れたことによるかもしれない。内からは売上げ足りない、外からは効果ないものを売るなというクレームに挟まれていた。とはいえ、そういう時期も終わった。北海道は考えてみると地中海の北側のヨーロッパの気候に似ている。雲も低くどんよりだ。そこでコンサートやバレー、オペラが大きな都市で次々開催。ファッションショーも秋の開催ではなかったか。お祭りをしないと日常生活が真っ暗になってしまうからだ。これが西ヨッロッパならまだいい。スウエーデンやノルウエーはさらに憂鬱な季節が続く。北欧家具がなぜあんなに色使いが派手なのかわかる気がする。自然に逆らう色を使うのである。地中海への憧れの色を使うのである。生き方も北国はどちらかというと生真面目、倫理的、融通のなさが特徴で分裂病が多いと分析されている。4時になれば真っ暗だから外へ出たがらない。内向的な性格者が多い気もする。冬のスポーツをたしなむ人は早くパウダースノーが降って欲しいと願う。タイやマレーシアからの観光客は『北海道の冬は大人気』で道内の小さな町に突然観光バスが来て雪遊び。雪合戦や雪だるまつくりを始める。札幌駅前にはそういう需要を見越して、雪だるまコーナーも新設、作るための雪を山のように置いてあり、自由にお使いください。しかし、私は観光業に従事しているわけでもないから、冬が去って早く春が来て欲しいと切に思う。500リッターの灯油タンクを満タンにして、庭のバラ20本も冬囲いを終えて、ブルーベリーの木にもシートを巻いた。エアコンの室外器も雪が入らないよう囲う。雪のないクリスマス、雪のない正月を迎えたい。本州に長年住む兄・妹は『6月から10月まではいいが、冬は北海道には帰りたくない』と異口同音に言う。なんだか、ヨーロッパで言えば、本州が地中海でアルプス以北が北海道のようにも見えてくる。縄文人が北海道にはたくさん住んでいた。まだ、ユーラシ大陸と陸続きの時代は、マンモスを追って狩猟民もやってきた。その時代の気候もやはり11月(こういう区分は当時はないが)に入れば、私たちと同じく憂鬱感を共有する縄文人がたくさんいたかもしれない。食べるものは、鹿や小熊、狐、ウサギや蓄えた木の実やキノコ類か。寒いから全体が天然冷蔵庫だから腐る心配はない。幾つかの家族が身を寄せて生きてきたのだろうと推測する。火を消してはいけなから、絶えず家族の中の誰かが焚き木を入れていた。彼らはどんな夢を毎日見ていたのだろうか?エゾシカもキタキツネもウサギも足が速い。それを捕獲した瞬間の夢だろうか?経済成長するとか、富を蓄えるとか、隣人と持ち物を巡って競い合うとか、芸能界もスポーツ界もなく、子供をどこの学校へ通わせると悩むこともなく、隣人との格差もなくて、静かに生まれて静かに死んでいく。なんだか羨ましい気がするのは私だけだろうか?
秋は短く、長い冬の訪れです。
若い時には、雪が降るのが待ち遠しかったですよ。何しろシーズン中に30回以上はスキーに出かけていましたから。あの頃は平和でした。会社も土曜・日曜と定休で、さらに祭日もあって、何の心配も無く遊んでいられましたから。まだクルマを所有していなかった時でも長いスキーを担いでバスでスキー場へ行きました。スキー場へ行けば顔見知りの友人ができて楽しかったですね。その代わり家庭や子育ては殆どタッチしていませんでした。現代なら即、離婚ですね。そんな楽しいスキーも何度か捻挫したりゲレンデでの衝突事故をしたりして、急斜面の壁を怖がるようになりました。年齢とともに膝も弱くなって来ますから緩斜面でしか滑れなくなったのです。それにスノボのブームですっかりゲレンデの景色が変わってしまいました。足腰が弱くなってからのスノボは危険ですから、ついゲレンデを敬遠するようになりました。お陰で家事も多少するようになり、冬はもっぱら除雪に明け暮れる毎日ですね。体力維持のためには、除雪もスポーツと思ってやっては居ますが、年々おっくうになってきましたね。いよいよは雪が降って来ましたね。
seto
自宅前に斜面を作り、竹スキー時代、豊平川の土手でジャンプした時代以外はスキーには
いい思いではありません。手稲山第一ゲレンンデで直滑降で降りて、山小屋へ激突しました。
大怪我をするところでした。それにスキー学習で、教師が成績をつけるために降りてくる生徒に
点数をつけるだけの授業、面白いわけがありません。貧しい東区にいたのでスキーを買えるの
は裕福な人たち、スキー場へ行くのも市電やバス。交通費もかかって、それなら公園の中に
ある山ですべることになるのです。スケートもはじめてしたのが20歳。雪スケートは長靴
を引っ掛けて遊びましたが、スケート靴は友人のデートについていき、フィギュア靴。本州の
大学生や社会人のほうがスキーは上手ですよ。
肉食系でも草食系でも無い雑食系。
読書好きの方には、秋は最高では?と思っていましたが?意外ですね。頭を働かせ過ぎて先々を考え過ぎるからなのではないですか。どちらかと言えば毒書しか読まない、雑食系のキタキツネのような僕などは行き当たりばったりの暮らし方ですから、余り深刻に考えません。深く考えればノイローゼになっているかも知れません。むしろ、綺麗な秋が長く続いて欲しいとさえ思ってしまいます。田舎育ちの本性が出て、秋は木の実を拾ったり、美味しい果物狩りをしたりと気楽に考えてしまいます。この先、もう少し心配性になった方が良いのかも知れませんね。昨日もキタキツネを見かけましたが、むしろ彼らの方が、訪れる冬を心配している気もしますね。見習うべきですね。
seto
たぶん、そろそろお隠れ申す予感が自分の中で妄想を広げているのだと思います。それは心配性
ではなくて確実なことです。虫や南下するハクチョウをみていつもうらやましくなります。
枯葉をソックリお返しします?。
枯葉の季節は戸建ての街では嫌われますね。どこの家も猫の額ほどの庭に、処狭しとばかりに植樹をしているからです。我が家ではサクランボの樹木を一本だけ残して全て切ってしまいました。落葉樹は、枯葉の季節には、他の家に迷惑が掛かるからですが、もう一つの理由は、樹木は生き物ですから、その根は水を探して地中を伸びて下水管などに毛髪のような根を束のように増やして行って知らない間に下水管を詰まらせたり、基礎のコンクリートを割って破壊したりするのです。地味な成長も日を重ねれば大きな力に変わります。我が家の枯葉はほんの少しなのですが、今年の秋も裏のお宅からも右隣りのお宅からも、さらに斜め前のお宅からも枯葉がどっさり吹き溜まりのように我が家に押し寄せて来ました。掃いても掃いても。枯葉のお礼に、お返しするには?業務用扇風機でも買いますか?。(グッド・アイディア?)
在宅ショッピング?。
歳をとると、寒い季節が億劫になりますね。買い物の外出さえも出たくないですよね。北海道の家は気密性も高く中は快適ですから尚更ですね。そこでネット通販も生協のトドックなどの在宅ショッピング?も大流行り。PCの前に座ってTVなんか見ながら動かずしてショッピング気分ですからね。しかし、これでは足腰も弱ってダルマさんになってしまいますね。外出したくなるようなことを考え出さなければ、むしろ大変なのは、我々年老いた本人たちよりも、それらに関わる宅配の人たちですよね。出来るだけ他人にも迷惑が掛からないように、出来る間は自力で活きたいものですね。もし暇を持て余すように成れば社会貢献などもいいですよね。
太古を想う秋。
この世から電気が無くなれば、化石燃料か薪に頼るでしょうか?。時代の逆戻りです。寒い秋から冬を越すには暖をとるために燃料は欠かせませんが、そんな窮地に追いやられれば、人間は知恵を発揮して代替エネルギーを開発するのかも知れませんね。太陽光も風力も活用はしていますが、それらも全て電気を作るためのものですし、そんな設備や装置を作るうえでも電気のお世話に成っている訳です。そんな電気が無いと仮定しての物づくりは全く違う発想を生むのかも知れませんね。今こうして向かっているPCも使えないですから、ガリレオやダ・ヴィンチのような人物が沢山誕生するかも知れません。効率の良い機器や温暖化につながらない暮らしや生産方法、争いや格差のない世界を取り戻せればいいですね。太古の人々の知恵を大切にして。
seto
団地の郊外に、薪を積み、50坪の菜園、さらに井戸を掘ってるミニ団地があります。市内の建築
会社がまさかのときのために開発した、エネルギー自立型団地で、その思想に共鳴する人たちだけ
が住んでいます。団地内でも薪を大量に積んで、さらに薪割りをしている若い(30代、40代)の
人もいますよ。御嶽山の噴火、東日本震災を予見した木村正昭さんの「噴火と大地震の危険地図」を
読みながら、北海道東方沖(M8.5予想)、有珠山、樽前再噴火の予想も書かれています。地震
学者として、地震予知連のメンバーよりいい情報を発信します。電気がなくても生きられるのは素敵
かもしれません。工夫や連帯が生まれ、うつ病はなくなり、スモホも携帯も犯罪も減りますね。病院
の手術だけは自家発電にしないと。アメリカ映画での「停電(ブラックアウト)」のテレビシリーズ
ありましたね。日本映画「停電の夜に」という名作も生まれました。電気の恩恵を受けてたった200
年しか人類史は経過していないのです。