老人の奪い合い(金の奪い合い)。
亡くなった隣のおばあちゃんは一人暮らし。筆者は土曜または日曜に、訪ねて必要な食べ物を買いにスーパーへ行ったり、冷蔵庫の卵や牛乳が賞味期限切れてるものは捨てて、インスタントコーヒーをご馳走になりながら世間話をしたものである。買ってきて欲しい食べ物はすべて出来合いのおかず。そのまま食べれる商品ばかりだ。料理する材料は皆無。私の母もそうであったからスイスイ買い物ができる。団地では、一人暮らしの老人が月に1回どこかの家に集まりおしゃべりする会はあるものの、それを苦痛に感ずる人、楽しくてしょうがない人それぞれである。マージャン大会もある。隣のおばあちゃんは大の苦手。デーサービスへ出かけるが、それも嫌々。ある日、『違う施設の社員が来て、うちのサービスに替えませんか?と促す。いま利用している施設の悪口を言うのだと。デーサービスも取り合いなんだね』と苦笑していた。特にひとり暮らしのおばあさんが狙われやすい。『おれおれ詐欺』も老女が被害に遭い易い。健康食品も老人の持病ともいえる膝や物忘れ、血液さらさらや足・腰の強化、睡眠を深くとる薬など多彩だが、老人からお金をいただきましょうの商法である。信託銀行も孫の教育費にお金を預ける制度を設けて使わせようとする。金利が高ければ、その利子は思う存分使えた老人たちは低金利の現在、消費を控えているが、自分の健康と旅に関しては使う。また、パラサイトする子供の健康保険や社会保険も負担している老人もたくさんいる。介護保険も年金額から引き落とするから、国まで老人を狙っている。老人のお金を狙っているのは、デーサービス会社だけでなく、子供たち、孫たち、国や健康器具屋はじめ通信販売業者、葬儀屋、お墓や仏壇や、ガラケーをスマホに替えようと宣伝する通信会社、紙おむつメーカー、そして新聞部数を確保する新聞社、安い娯楽(無料放送)のテレビ、はじめてのパソコン教室、一番大きなところは病院や薬メーカー(過剰診療を促す検査漬け)。お金がどんどん適正に出て行けばいいけれど、私たちの親たちは貧乏には慣れているが、お金の使い方の文化の洗礼を受けていない。戦中生まれはひもじい思いの中で過ごした。『稼ぐことはできるが使うのが下手』の世代である。節約して貯める人も多く、亡き後、財産争いの種を残す。ということは家族や兄弟ををバラバラにしてしまう時限爆弾を持って生きているということである。遺言も法的な効力は別としてフェアさがどこまで保たれているかは疑問である。感情の動物である人間が公明正大な人生を送れるとはとても思えないのだ。親の死で長男や長女がしっかりしないと兄弟がバラバラになりやすいのは法律の問題ではなくて、兄弟間の信頼という主観の世界がぐらつくからである。普段からそれぞれの暮らしぶりを見ながら、親亡き後のタクトを振るって欲しいものである。
いじわる老人になりましょう。
昨日、家の電話が鳴って、見ると何やら知らない番号だったが出てみた。するとアフラックの勧誘だった。「○○さんのお宅ですね?」。「85歳以上のがん保険」だとか?。オペレータの女性らしき説明が始まろうとしたので「結構です!」と切ったが?さて?ところで一体どこで我が家の電話を知ったのかと考えた。今度からは、この手の電話がかかってきた場合には、先ず説明を聞く前に「ところで、どこで家の電話番号を知ったのですか?」とか?「お宅はそこの社員さん?それともアウトソーシングの方?」とか、「どこのオペレーションセンターなの?」とか、「時給なの?」とか、相手に質問させる先に、こちらの質問攻めで、根掘り葉掘り聞いて困らせてみようか?と考えた。つまり個人情報をどこから入手したかを聞きたい事と、当たり前のようにかけて来る電話撃退も兼ねようかと。しかし、いまの新しい電話受話器などでは、迷惑電話をシャットアウトする装置もあるので、相手の社名を聞いた直後にボタンを押せば、二度とかかって来ない方法もある。
seto
最近、多いのは保険と通信、中古の和服でさすがに証券や金の売買電話は皆無。電話帳に登録して
いるのでわたしのところにかかってくると諦めてます。
高学歴の老人たち。
高学歴な人ほど、福祉のお世話に成りたくない傾向がありますね。我が家の家内も介護制度の初期から関わっていたのですが、英語もペラペラの老女の介護をしたことがありましたが、デイ・サービスなど行きたがらなかったようです。「老いては子に従い」のことわざの通り素直に介護を受ける老人たちは、むしろデイ・サービスを楽しみにしていました。その反面、高学歴の方々は認知症にでもならない限り、高学歴が「他人とは違う自分」を主張しているのでしょうね。介護側から見れば、どれも同じ利用者なのですが。???。
seto
逝くときは穏やかに逝きたいです。学歴関係なく皆さん、静かに迷惑は最小限で棺桶に入りたいと
思いますが・・・。
兄弟姉妹は他人の始まり。
自分も含め、嫁によって、婿によって人の性格は変わりますね。本来の自分が、知らず知らずの内に、相手によって変えられていくのです。その結果、兄弟仲や親戚づきあいも変わっていきますね。財産相続などには無縁ですが、そんな場合には骨肉の争いにも成り兼ねませんね。以前、義理の弟から「財産相続権の放棄」を促す便りが来た時、妻に「気持ちよく印鑑押してあげたら?」と言って放棄させました。相手にとって良かれとした事ですが、それでも兄弟仲は今もギクシャクしていますね。原因は、私の連れ合いと義弟の連れ合い同士の不仲なのでした。僅かな財産を奪い合うことで、更に姉弟関係が不仲になるのでは(?)と考えたのでしたが無駄でした。
seto
わたしの親戚も父親の葬儀で、長男だけが大学へ行き、教員になり、いい暮らしをしてしてました。
3人の弟、妹は高校を出て就職。父親の葬儀の後、集まった香典を巡り悶着。普通は喪主の長男が
全部もらうのですが、父親は葬式代を残していたので香典はそれぞれ持ってきた兄弟がまた持ち帰る
ことで決着。「兄ちゃんだけが大学に行ったのはズルイ!」と50年経過しても言われ続けています。
4人総計で香典合計70万円ながら、実は一番お金持ちになった長男への怨嗟が背景にあるとわかった次第。
高齢者様々?。
若者たちが消費を控えるようになって、高額商品が売れなくなっていますから、高齢者に営業の手が伸びているわけでしょうね。今までは60歳以上は殆ど相手にしなかった業種が目の色を変えて高齢者をターゲットにしています。高齢者を狙う詐欺も横行していますね。下手に小金を持っていると狙われます。ですから僕などは貯金も殆どありません。自己防衛にはこれに限りますね。死んでしまえば人間お終いなんですから、其のあとの事なんて本人には責任の取りようもありませんからね。お金なんて最低限の生活費以外は要らないでしょう。・・・とは貧乏人の負け惜しみですけどね。格差社会ですから、どこかで純金風呂にでも浸かっている高齢者も居るのかも知れませんね。健康食品だって、それが原因で病気になろうが亡くなろうが「年齢的なものです」と逃げられますからね。