「毛沢東の私生活」(3)ふたりの毛沢東

第一回目の「毛沢東の私生活で)22年間主治医をしていた李志綏(リチスイ)の上巻の出だしが「毛沢東の死」から始まる。

党は最初、「遺体を2週間保存する処置を施してくれ」という命令であった。専門家は2週間くらいなら、防腐剤のホルムアルデヒドを2リットル、片足の動脈に注入すればいいと思っていた。しかし、突然それが「主席の遺体は永久保存」に変更されたのである。医師団は困った。1958年、毛沢東は自分が死んだら火葬にしてくれと宣誓書に署名されたではないかと反論するも受け入れられず、永久保存をしなければいけなくなった。

李志綏はモスクワにあるレーニンやスターリンの遺体のミイラと対面したことを思い出した。遺体はちじんで乾燥しているように見えた。「レーニンの鼻や耳は朽ちて蝋の代用品が取り付けられて、スターリンの口髭はそぎ落ちた話を聞いて、ソ連の死体防腐処理技術は中国よりずっと進んでいるのにこうである」。中国の技術はここまでも進んでいないのである。

そこで考え出されたのが主席の蝋人形をつくることであった。美術工芸研究所の指導者に本物そっくりに作ればいいということになり、イギリス本国のタッソー夫人の蝋人形館を訪ねさせて蝋人形の製造技術を学ばせた。イギリスよりも毛沢東にそっくりの生き写しの蝋人形が完成した。遺体のほうは少しでも長く遺体を保存するために、2週間で2リットルのホルムアルデヒドを合計22リットルに増量して注入。顔面はパンパンに膨れ上がり、首筋も頭部の大きさまで膨張、耳も同様で、醜悪な死体になってしまった。そこでタオルで溶液を体内に押し込め元の顔に戻すためにマッサージを何時間も続け、メーキャックを施して毛沢東らしい顔にした。

毛沢東の遺体はだから蝋人形の毛沢東、ホルムアルデヒドを注入さえた遺体の2体が完成した。天安門広場の「毛主席記念堂」が完成すると、その地下に遺体収容の棺が置かれて、エレベーターで「きょうは蝋人形、明日は遺体の方」と手直しをしながら「遺体の公開区域」までエレベーターで上げ下げするのである。毛沢東はふたりいるのである。

  1. 浄土真宗の坊主の孫。

    死んでまで元の姿を求めても到底ムリがありますね。蝋人形は良しとしても、本物の遺体をいくら保存しても腐敗して行くに決まっています。そんな遺体をご本人は見せたくもないでしょうね。映像ぐらいで妥協すべきでしたね。父母や義兄弟の遺体を見た事はありますが、僕は見られたくないですし、今後一切、誰だろうと遺体を確認はしたくないですね。そして、自分なら完全焼却で骨まで燃やして欲しいです。つまり、何も残したくないですね。どうしても残すとするならば、骨ではなく骨粉でもなく、墓でもなく、位牌一つか、小さなレプリカの掛け軸(浄土真宗はこれ)くらいですかね。

  2. 漫画家にあこがれていた昔の少年。

    取り巻きが仕立て上げる葬儀や死後の扱いは、必ずしもご本人の意思とは違うでしょうね。終活などと言って「自分史」や「日誌」や「死後の扱われ方」を書き残す人も多いと聞きますが、ご本人が思っているよりも周囲はクールに直ぐ忘れてしまうでしょうね。後世に名を残そうとしても、思惑通りに行くか?は疑問です。ご自分の為にだけ書き残すのなら、一緒に火葬してもらった方が良いと思いますね。残された場合には処理に困りますからね。今日、東急デパートで漫画家の原画を見てきましたが、あれなら大切に保存してもらえるかも知れません。僕たちが子供の頃に見ていた漫画のヒーローたちの作家の見事な直筆や、版画でした。

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