謹賀新年!
ことしもよろしくお願い申し上げます。新千歳空港のすぐそばの街に住んでいながら飛行機に乗らない(乗れない)昨今でしたが、それも35年間にわたる売上げ数字のノルマに苦しんだからかもしれません。同じ境遇であっても個人差は大きいですね。パニック障害の原因については、たくさんの本が書かれてありますが、結局、精神科医がパニックで苦しんでいるならまだしも、医者の発言の多くは「所詮、他人事」みたく書いたり語るのであてになりません。
亡くなった札幌天使病院にいた精神科医村田忠良先生と何度か仕事をしましたが、先生自身が心の病を持っていて、それが患者さんをたくさん持っていたことでもあるのですが、危険なのは患者に寄り添い過ぎると、患者の病が医者に転移することです。「あの先生は私の気持ちをホントよくわかってくれる」は、ひとりふたりならまだしも(これでも相当シンドイ)次から次と分裂病患者、社会不安障害、極度の対人恐怖、パニック障害の患者と付き合うと先生自身も大変だろうなと思ったもので、新聞の原稿を校正に伺った時の「疲れ切った顔」を思い出します。待合室にはまだまだ大勢の予約患者が待機していました。
医師会の仕事で先生の講演会をしたときのテーマが「笑いについて」でした。笑うことで人間の体の免疫力が高まり、ボケやガンの進行を遅くする効果があるとアメリカのジャーナリストノーマン・カズンズの話をしていました。会場には多くのお年寄りが来場していて、説教調や学問調の講演ではなくて楽しそうな講演でした。お正月はテレビは東西寄席や漫才師や曲芸のタレントが稼ぎ時です。
なぜ、新年にお笑いが似合うのか筆者にはわかりませんが、「笑う門には福来る」なのはなぜなのだろう?毎週、落語のCDを図書館から借りているので、筆者は「福だらけ」になってもいいのですが、そうはなりません。さて、ことしは、全国の国立博物館めぐりをする予定です。上野、京都、奈良、福岡です。1箇所で2日間~3日間は要すると思うのです。ノート持参ですから。難敵は人混みです。どうか私のために広い空間をください。ことしも1年よろしくお願い申し上げます。
病気ではありません。
家内は、普段は大胆過ぎるとみられているのですが、狭所恐怖症に近い症状が出ることがあります。美容院での椅子を倒されてシャンプーするとパニックになります。歯科医院でも椅子を倒し過ぎると息が苦しくてパニックになります。人にはそれぞれ大なり小なり悩みがあるのです。自分だけと思わずに、パニックを病気だと考えないようにしたほうがいいですね。強いて病名をつけるなら北海道病とでもしませんか。広い大地で育った道産子ならではのぜいたくな病気?でしょうか。
脳にも笑ってもらいましょうか。
お笑いにも、面白くないものも沢山ありますね。それらは殆ど演じる者達の身内話が多いです。視聴者無視のお笑いはつまらないですね。しかし難しいものを読んだり見たりばかりでは脳も休まりませんから、たまには脳にも笑ってもらう事が大切でしょうね。笑いにも好みがあって、果たして自分の脳は?どのジャンルの笑いを求めているのか知る事も大切ですね。
seto
余裕があるときは、よく笑うし、自分をさらけだせる人間界の中では大いに笑いますね。落語も寄席での
録音は楽しいです。ひとりで3人も4人も使い分けしますから、凄い芸術です。
精神病も伝染病?
身内にも神経内科に通っている者がいます。医者に何を語って?医者から何を聞いて?何の薬を貰って?良くなっているのか?悪くなっているのか?さっっぱりつかめません。元日からお雑煮を食べながらも、お年玉をあげても、新年のあいさつも、お礼の言葉もなく、うつむいて暗い顔で小声でつぶやくので、大きな声で聞きなおすと、さらに声は小さくなって?どうやら「初詣に行くの?」と言っているようなので「初詣に行く人は連れて行ってあげるよ」と大声で募集したが、どうやら皆んなも遠慮してか?行かないようだ。なら聞くなよ!と言いたい所だが、ぐっと我慢して会話は途切れた。家族でありながら家族に属そうとしないのは一体?どうしてなのだろうか?と此方のほうが精神病になりそうだ。アニメの世界に浸ることが唯一の逃げ場のように見えるが、過激なアニメが病原菌だとすれば、美化されやすいアニメの作り手にも責任の一端はあるのではないかと。
博物館か美術館か。
国立博物館ですか。映像でしか見ていませんが全国に多数あるんですね。ゆったりと博物館めぐりのほうが駆け足海外旅行よりも贅沢かも知れません。僕も絵画に興味はありますが、美術館巡りなど、まだまだ全国は無理ですね。せめて東京だけでもとは思っているのですが、それもなかなか余裕がありません。その前に、さらに予備知識を仕入れてからですね。
seto
京都国立博物館だけ、昔、行ったキリです。そこも改装されました。運慶の彫刻のレプリカ置いてました。読むだけで百科辞典
を読むようで、解説量がすさまじいのを覚えています。その解説も正しいかどうかわかりません。新しい発見あれば科学と同様
変わります。すべてのことは「今のところ」という但し書きがついています。私も「今のところ生きています」。