決断とリスクはワンセットであるほか(羽生善治)
この後は『日本の社会は、同質社会ということもあって、このバランスが悪いと思う。リスクを負わない人がいる一方で、リスクだけ背負わされている人がいる。決断を下さないほうが減点がないから決断を下せる人が生まれてこなくなるのではないか。目標があってこその決断である。自己責任という言葉を最近よく聞くが、リスクを背負って決断を下す人が育たないと、社会も企業も現状の打破にはつながらないであろう』(71p)(決断力 角川oneテーマ21)
格言の山のような本である。筆者は特に『リスクを負わない人がいる一方で、リスクだけ背負わされてる人がいる』とというところで立ち止まる。日本社会を大局観として、将棋盤に見立てれば、起業家や企業経営者、派遣労働者も彼の視野に入って語ってるような気もしたのである。将棋はひとりで決断する連続技ある。
また『将棋と狂気』についても書いている。将棋を忘れる空白の時間、空白の大脳をつくる大切さについて説いている。仕事についてもいえることかもしれない。『将棋には怖いところがある。・・・将棋だけの世界に入っていると、そこは狂気の世界なのだ。ギリギリまで自分を追いつめて、どんどん高い世界に登りつめていけばいくほど、心がついて行かなくて、いわゆる狂気の世界に近づいてしまう。一度そういう世界に行ってしまったらもう戻ってくることはできないと思う。入り口はあるけれど出口はないのだ』(同著97p)
凡人には計り知れない怖い世界は、どの分野にもあって、仕事やゲームの世界、パソコンのソフト開発の世界もスポーツの世界にもきっとあるだろうなと推測する。サラリーマンでも仕事中毒や競馬に狂う、投資に狂う、夜の世界から出て来れない人にもある種狂気的なものがある。ドストエフスキーが『賭博への情熱』と命名した狂気の世界かもしれない。彼の場合はポーカーであったが。マージャンで賭けるものが無くなり、自分の妻を抵当にする小説もあったくらい賭博は世界中を駆け巡り、太古の昔から消えない遊び(真剣勝負)だ。
何事をするにも、何もしない時間や空間が大事。気晴らしを大切にとも読める本だ。狂気に陥らないために。
最後にチェスと将棋の起源であるが、起源は同じで紀元前2000年ころにインドで発明された『チャトランガ』が西洋に伝わりチェスになり、平安時代に日本に輸入されて将棋になったとある。中国や朝鮮、タイなどにも『チャトランガ』を基にする将棋があると薀蓄を語っていた。
ギャンブラービジネス。
将棋など、ともすれば賭博にも繋がると言うことで親からは教えて貰えなかった。身内でギャンブルで身を滅ぼした者が居たからだ。東京から田舎に避暑に来たはずも二日も持たずに競輪、ボートレースに飛んで行く義兄の息子は、さすがに親譲りで働かなくなった。弁当持って仕事に出かけるが、行先はギャンブルだ。そんな人達を相手にするビジネス は何故か景気がいいから不思議だ。
seto
私の周辺はパチンコと競馬狂いが多いです。パチンコは筆者も少しはまりました。賭け碁や賭け将棋もありますね。宝くじ
は可愛いものですが、国が胴元。胴元が一番もうかるのが博打。ボートや自転車、競馬、宝くじ。官庁の天下り先です。ここ
を攻めていかないといけませんね。隠れている人が一番の悪かもしれません。