ペストの歴史(第3回目)

2017年5月3日記:今回はペストとユダヤ人問題が語られます。11世紀のカトリック教会が●ユダヤ人とカトリック教徒の共住を禁じる(ゲットーを発生させる)、●土地の所有を禁じた(農民になれなくなる)。したがってユダヤ人は都市に住み、商業や金融以外に職業の選択肢が狭められたのである。カトリック教会の所業があまり語られないので再度書いておきます。語りたくないのでしょう。ヒットラーのホロコーストばかり語られ映像化されますが、それも十分悲惨な人類史の出来事ですが、遠因にカトリック教会自らの11世紀のユダヤ人への各種禁止令があるのだとしたらどうでしょうか?『ペストの歴史』からそれが見えてきました。ブログ780本目。

ペストの歴史(3回目)

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1348年イングランドにペストは上陸した。ロンドンは人口10万人。しかし、市街地の飲料水は不潔、風通し悪い街並み、不衛生な環境の町であった。テムズ川も汚物で詰まり、下水として機能をしていなかった。黒死病は全イングランド征服に500日。侵攻速度は一日1キロであった。


当然、スコットランドへも伝染していった。1350年であった。しかし、ペスト菌の耐性温度がマイナス2度(1回目に書いている)なので寒いスコットランドは大流行には至らなかった。


アイルランドのダブリンは8月というペスト菌が繁殖しやすい気温での流行で14000人死亡。ダブリン大司教も命を落とした(1348年8月)。


大陸のウィーンはどうだろうか。人口5万。通りも狭く木造の住宅、舗装もされていない。

「伝染性の疫病はやがてウィーンのその市域全体に及び、結果として無数の人々が死亡し、ほとんど三分の一の住民だけが生き残った。遺体の発する悪臭と嫌悪感から、それらは教会附属施設の墓地に埋葬を許可されず、死亡するや市外にある共同埋葬地に運搬しなければならなかった。そこでは短時間で五つの大きな深い穴が縁まで遺体でいっぱいにされた。疫病の流行は聖霊降臨祭から大天使ミカエル祭まで続いた。・・・・修道士や修道女も容赦しなかった。なぜなら53名がそのとき死亡したからだ」(ノイベルク修道院年代記」同書59p


ペスト菌はドイツ、ノルウエー、スウエーデンへ。フィンランドに伝染したがグリーンランドは免れた、低温と人口がまばらだかったから蔓延しなかった。そしてロシア全土へ蔓延してから突然消滅する。しかし、それはペスト菌がどこかに常在しつつ表面化しなかっただけで18世紀、19世紀まで流行の波が押し寄せる。


実はこの本の「ペストの歴史」には、ユダヤ人問題が出てくる。著者が書きたかった大きなテーマが読んでいてわかってきた。それは第3章「中世人の反応」。「黒死病の流行でみえるもっとも顕著な反応は不安と恐怖であった。それから逃れるためにおこなったのが憂さ晴らし、逃亡、他者への迫害、自虐的な内省であろう」。自虐的な内省は有名な鞭打ち苦行集団で、街から街へ集団で練り歩き、上半身裸になって鞭で叩きながら、災いを止めるよう神へ祈る言葉を唱え放浪する。北フランスとフランドルで多いときで80万人の参加があったというから驚くべき数字だ。

しかし、同時に人々は黒死病の不安と恐怖から、ユダヤ人への迫害に向かった。井戸に毒を撒いたという噂を流しては迫害した。ユダヤ人は5世紀にはヨーロッパに住んでいて隣人と問題を起こすことがなかったが、カトリック教会が11世紀以降、ユダヤ人への禁止事項を決めたのである。(1)公職への就業禁止(2)カトリック教徒との共住禁止(ユダヤ人だけで住む街ができる、ゲットーだ)(3)村落への居住禁止(土地を持てない、農業ができない)(4)土地の取得禁止(5)ギルドの加入禁止(モノづくりを生業にできない)(6)ユダヤ人を示す黄色のユダヤ人章の携帯義務。ユダヤ人が生き延びれる仕事は行商、古着商、金融業しかないようにすでに11世紀にカトリックによって決められてしまっている。イエスを殺したのはユダヤ人(イエス自身はユダヤ人でユダヤ教徒である)であるからという理由で迫害もされた。

数少ない王様がユダヤ人迫害を止めるようお触れを出しても止まらない。アラゴン国王や教皇クレメンス6世など。1349年、有名なストラスブールにおけるユダヤ人虐殺事件が起きる。1800人余のユダヤ人を捕まえて、キリスト教への改宗を迫り、応じなかった900名を穴に放り込むホロコーストが起きた。しかし、そういう中でもオーストリア大公アルブレヒト2世とポーランド国王は迫害を最小限に食い止めて、ユダヤ人はその保護を求めて移動した。

  1. ヒトラーは、大勢居た。

    ヒトラーは、私たちが知らない過去にも大勢いたわけですね。しかし迫害され、あらゆるものを奪われたユダヤ人は、結果的に頭脳労働をすることになって、世界中に逃れ散っていったと言う事ですね。都市にしか住めない事も、今となれば、人も集まり、ビジネス環境としては絶好とも言えます。しかし、ペストの脅威とともにユダヤ人への迫害の恐怖が収まるまでに、相当な年月の歴史が続いたわけですね。今でこそユダヤ系の人は優秀だと言えますが、これも黒い歴史が生んだ皮肉な結果かも知れません。

    • 都市は石の墓場だという建築家もいましたが、都市は人を自由にするとも言われてますが、筆者も若いころは
      街中のほっつき歩きは好きでしたが、足が疲れます、特に筋肉。老化です。ところで、迫害は迫害する側がそれによって
      まとまるわけですから、人間の感情の機微はあります。グループ化はグループ外を排除する・・あれっラインか?

  2. ヒトラー時代の鉄十字の意味が少しわかりました。それも、キリストが背負った十字架では無く、縁取りまでされた、まるで勲章のような鉄十字ですよね。硬い結束を意味しているのでしょうか。

    • 政党が大きくなるためにマーク・シンボル募集をしたら、あのハーケンクロイツに決まったみたいで誰が創作したまでは
      追跡できずです。申し訳ない。

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