ブログを止めて1週間。

 

私的なことでバタバタして落ち着いて本も読めず、ブログを書ける時間が取れなかった。もちろんパソコンのブログページが開けない問題もあったが、毎回、400字詰め原稿用紙約3枚を書くのは容易ではない。知り合いから「ペストの原稿は面白くない」とか言われる。ペストをSNSと読み替えれば、十分現代を語ることになるのだが・・・とメタ言語で読んでほしかったが(メタ言語って何?とも聞かれて説明が面倒だし)、人により言葉と物をイコールで考える習慣が強いと筆者の意図は伝わらない。書棚にそういえば岩波新書で村上陽一郎著「ペスト大流行」~ヨーロッパ中世の崩壊~があるのに気付いたのはブログを書き終わってからだった。学生時代に彼の「日本近代科学の歩み」を読んで感激して、村上さんへ手紙を書いた記憶がある。特に江戸末期の解体新書を翻訳する事業が並大抵ではなかった。当時の杉田玄白・前野良沢たちの苦労を思うと、現代はなんて豊かな、勉強をしようと思えばたくさんの教材が用意されている社会だしネットで幾らでも学べる。解体新書のコピーを私は大分県中津市の1640年から続く村上医家資料館で出会った。ここに江戸時代末期から使用された医療器具や綴じ本が展示されてある。幕府から指名手配されていた高野長英をかくまった白いペンキの蔵もあって、開明的な村上医師の度量を感じたものである。さらに錆びたメスも展示されている。中津は福沢諭吉を生んだ中津藩だけではなくて、鳥の唐揚げの発祥でもあるのだろうが、異様に医者の多い町であった。長崎に近いことからずいぶん洋学やオランダ医学を志す若者がたくさん住んでいた。日本最大の寺子屋(塾)も日田市にあって4000人を超えていたのである。日本の教育エリア豊後からさらにギアを何段も上げたい福沢諭吉という人が生まれてきたのかもしれない。「解体新書」に話を戻せば、よく引用される杉田玄白の巻頭言「一犬、実吠ゆれば、万犬、虚吠ゆ」。とはいえ、戦争を阻止したり、セクハラ・パワハラを大声で叫ぶのはいいだろうが、何も悪いことはしていない者にまで「吠える(書き込みを入れる)」ことは自省しないといけない。江戸時代も「あいつは幕府からのお尋ね者だ」と張り紙でも出されれば、あっという間に広がる。スピードと影響力は全然違うけれど。弱者の弱者叩きの構造である。

  1. 好きなブログもお休みするほどですから、身辺でご苦労があったのだとお察しいたします。今回のブログでも直接触れてはいませんが、語らなくても何となく分かる気がいたします。とにかくご心配ごとのある時は優先順位をお考えになって、ブログは毎日の義務のように考えずに、時々お休みするくらいがちょうど良いのではないかと思います。私の場合は時々休むどころか?時々思い出して書く方ですから、偉そうな事は言えませんがね。

  2. 華岡青洲の末裔の方が立ち上げたクリニックが札幌は美園にあるのですが、オープン当初の仕事に関わっていたので、いろいろと調べたりしました。朝鮮朝顔で抽出した麻酔薬で日本で初めて全身麻酔で外科手術を行った青洲も当時の城主から帯刀を許され、当時では異例の武家の地位が認められたそうです。全国には名医と言われた人たちが居たようですが、当時から外国の医術の勉強をしていたようですね。これまでに犠牲もあったのでしょうが、当時鎖国の日本では医学だけが常に先を読んでいたようですね。

  3. お昼休みの使者

    再執筆、嬉しく思います。いいことでもわるいことでも、きっとここの読者は、主様の思索の一端を感じたいと思っていることでしょう。しかしながら主様も恐らくは真面目な方と推察いたしますゆえ、コメントにもありますとおり義務ではなく、どうかこのブログが息抜きになりますよう、ご無理はなさらないでくださいませ。

    • ありがとうございます。週に3回の会社勤めですから時間はなんとか工面できますが、話題が工面できません。

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