臭いものにはフタ?
トイレの水洗化で水を流せば、目の前から何が下水管を通り、それぞれの自治体で郊外に作られたし尿処理場へ行き、浄化槽に集められて塩素その他の薬品を混入されて、乾燥させたものは肥料として安く売っていたりする。多くは近くの河川に流して海へ帰る水となる。昼ごはんを食べてお金を払い店を出る。しかし、次に食器を洗い、食べ残しは1箇所に集めて生ゴミの日にまとめて出すことになっている。
日常のひとつひとつの営みが、ある人からある人へバトンが渡されて、それがまた次の人へ回っていく。この間に、たとえば浄化槽に入れられる塩素の量が多過ぎたり、少なかったりしたらどうなのか?海に不具合が生じないのか?いつのまにか、日常の暮らしがシステムの上を走っていることに気がつく。果たして自分はそのシステムの中でどんな役割をしているのか、または何もせず指示と報告書を読み上げサインをする人間なのか。
処理場の例でいくと塩素の量がある人が「これは少ない。誰がしたのか?誰もしていないならコンピューターに故障があるから、すぐに調査をしよう」という判断になるはずだ。しかし、ある人は「その程度の塩素の量の少なさは海に出ても人体に被害は出ないから大丈夫だ。しかも上司の了解は先ほど取った」となったらどうだろうか?さらに「こんな発表をすると、下水処理のだらしなさをテレビ局や新聞社に報道されて、市長にまで迷惑が及ぶ。課長や部長は減給処分になるかもしれない。さらにこういう問題がいつから始まったのかまで調べられたら、歴代の担当者にまで累が及ぶ。なので黙っていよう。なかったことにしよう」。
塩素を不良債権や横領されたお金に置き換えると、学校を含めて日本中の組織は似たり寄ったりではないだろうか?「臭いものにはフタ」は昔も今も残り、昭和の時代よりSNSが普及した現代のほうがタチが悪くなってきているように筆者は感じるのである。引きこもる子どもを隠す親たち。イジメの告発があっても(これには100倍の勇気が本人には必要だ)、教育委員会もグルになって隠す。鉄鋼や車、耐震強度、官庁の書類改ざん、大学の教授選挙、警察の不正領収書作り継続、電通の東京オリンピック招致に不正な金銭授受をIOC委員にしたというフランスIOCの指摘の無報道、MLBの中継で電通が入れたバックネット広告を平気で流すNHK。これをするなら国民から受信料は取らず、電通から広告料をもらえばいい。それだけのことを言う言論人がいない。
人相は正直で、嘘が重なるとテレビ局も含めて企業も人も国も醜悪になるから要注意である。醜悪さの根源は厚顔無恥、恥知らずである。