書物・パンフレットの宗教。
きょうも私の通勤する駅前にエホバの証人3人、立て看板にパンフレットを置いて通行人に『おはようございます』と丁寧にお辞儀をする。関心がありそうな、悩みが顔に出ているような(?)私に向かってちらりと一瞥。以前は公園に信者が集まって、手分けして各個を回り信者を増やした戦略であったが、生命保険の勧誘に似てきて、立ち止まって契約(信者)を増やす。違いは保険はどこの会社の生保でもOKだが、宗教は当たり前ながら一つだけだ。これから宗教も保険屋さんを真似をして、街中に『あなたのライフスタイル。悩みと収入に応じた宗教を紹介するコーナー』。ができるかもしれません。エホバ・創価学会・統一教会・幸福の科学・カトリック・プロテスタント・イスラム教・大乗仏教・金剛教・PL教団・霊派の会・大本教・子羊の会・光の輪もあるし、有名人を広告塔にした宗教もある。昨日も友人と話したが『宗教とひいき野球チームと自衛隊』については話せないなと会話してきたばかりだ。中国では法輪功という大運動があったが圧殺されたのか話題にならない。それでつなない経験から、新興宗教の見分け方をつ書いてみる。
1)教祖の体格と清潔さである。そして自分だけ美味いものを食べているのか太っている。大きな声で断定的に喋る、語る人も要注意。
2)やたら『この本を読め・読め』と勧誘する人間たちが多いこと。図書代金が馬鹿にならないし、その宗教だけにしか通じない日本語が出てきたら去るといい。なぜなら超閉鎖的だからで、社会との断絶近いと思うべし。
3)いくら新興とはいえすっかり組織ができているケースも多く、疑似国家(疑似役所)的な役割分担があり、その組織を維持するために食べる・部屋を維持する、本を作る・売ることで生計を立てないといけない。そこで信者から金を巻き上げることになる。
4)さらにどんどん出版物を買い当てられる(ほとんどゴーストラーター作が多い)
5)新聞でも発行していたら毎月買わされる、年に1回の寄附金集めまでさせられて生活費が裸になる人もいる。家庭内不和が発生したり、子供が離れるケースも多い。知り合いのエホバの人の娘は全員警察のお世話になった。嫌々布教させられて母親へ反抗したのである。
しかし、考えてみると、すべての宗教がなぜ説教と活字から始まったのか?旧約聖書・新約聖書・コーラン・幸福の科学・池田大作全集・統一教原理・エホバの証人・モルモン。仏典の数々。訓詁学で生涯を終える学者もいるわけだが、こういう原理主義(THE BOOK支配)、寛容で寛容でどうしようもなく寛容な宗教って寡聞にして筆者は知らない。庭に咲いたウツギの花に出たり入ったりするミツバチを見たり、死んだミミズを運ぶ働きアリを見ていて、所与の本能で生きる昆虫を見てうらやましい自分がいる。人間はつくづく本能が壊れた動物だと岸田秀の言葉を思い出す。
文字に操れない生き方を筆者はどこかで、静かに待ってるのだ。朝のテレビの不愉快なほど意図的な元気さと笑顔。すぐに消す、最近はつけない。