9月6日午前3時過ぎに、胆振管内の内陸地震としばらくしてに全道(295万戸)大停電。筆者の住む町で震度5強の揺れ。上下運動始まり、約1分間、寝室で耐えていた。2階が倒壊するのではという危惧も持った。NHKのテレビ速報を見るために階下に降りたが、突然、停電が発生。ラジオに切り替える。

災害が発生したときのラジオのありがたさをいまさらながら感じた次第だ。24時間営業のローソンへすぐに走れば良かったが、朝の7時過ぎに行くと10人が並び食料品買いに並び、停電でバーコード利用できず、机を出してお客ひとりひとりの買った品物を紙に書いて、支払いを済ます。オニギリはすでにゼロ。

次に行ったのが、携帯電話の充電を車のシガーから取れる器具であったが完売。ここもすごい列。隣がケイズ電機。ここも長蛇の列で社員がメガホンを持って整理をしている。隣のスーパーは外に机を置いて、店員が最小の食品を店の前で販売をしている。さらに隣のDIYにも長い列。電池や簡易コンロなどの防災グッズなのか?

筆者の体験では震度4が最大の地震であったから、今回の震度5強の体験は恐怖&恐怖。このエリアは活断層として新千歳空港から追分に向けて《追分活断層》が走っている(東大出版会・活断層地図)から前々から危ない場所ではあった。しかし、今回は全く新しい活断層が動いたんだと主張する人もいて、活断層だけは日本中どこにでもあると考えて間違いない。この記事を書いている今もすでに何回か揺れがきているが、「この程度なら平気」という気持ちにもなってきた。

筆者には9月8日、3ヶ月前から決めていた中学のクラス会を開催する予定であったから、地震とともにあらゆる交通機関、ホテルの電気も消失することを考えて中止を即断、電話をかけまくり、携帯電話のバッテリーが無くなる寸前。9月8日は大安でどのホテルも結婚式と二次会で満杯であったのに。ススキノも全電源消失。妻のドコモ携帯は車から充電できるので、思う存分使えたのがラッキーであった。

しかし、午後7時も過ぎて真っ暗闇に包まれると、私自身、閉塞感で陥る昔のパニック障害症状(イライラとうろうろ行動)が出てくるから困ったものである。近所の老人憩いの家が不安な市民に開放されているので、観察を兼ねて文庫本を1冊持参して、バッテリーで灯した明るい空間目指した。しかし、受付で「本を読むために来られてもね」と断られた。

偶然、帰宅して10分後、向かいの街灯が点いたので自宅のブレーカーを上げると照明点灯。ニュースソースがラジオだけであったのが、テレビを見るとどの局も「北海道の地震と大停電、厚真の山崩れと札幌清田区の液状現象」一色であった。自分たちの足元の事件をテレビ映像とともに見るとこんなに凄いことなんだと改めて事件を追体験。ようやく繋がったネットを開くと沖縄から大阪、東京からたくさんの心配メールが来ていた。「足りないものあれば送るよ」と何人も書いてきたが、不足するものはないからありがとうで返信。

定年後、小樽のオーシャンビューのマンションを購入した同級生から「7階に住んでいるが、水と電気がない。特に水に弱い。トイレのあれこれが大変だわ」「運び上げるだけでクタクタに」。除雪がない快適なマンションと思いきや、住むには何事かのリスクが必ず伴う。最強の住み方は、1階か2階の賃貸アパートかもしれない。固定資産税要らず、マンション管理費・積立金も要らず。見栄を無くせばこれでいいかも。真っ暗な闇の中で発見が一つ。夜空が綺麗で星たちが輝いていたことである。街灯に隠れていた星たちが現れた。電気が発明されて200年くらいか。人類の歴史で縄文・弥生時代は、北海道開拓時代の先住民族や屯田兵、士族の人たちは同じ闇の中で暮らしていたことを考えた。暖炉に集まり、アイヌならば長老が語り部になってユーカラ物語を子どもたちへ伝える。電灯が消えたことでか家族の会話や助け合いが増えた家庭もあるだろう。前向きに考えよう。

 

日常生活が落ち着きを取り戻したら、このテーマで再度書きます。泊原発の再稼動に今回のブラックアウトが口実として使われる可能性が大きいので要注意だ。他の全国の電力会社もね。

  1. 天災は忘れた頃にやってくるものですね。震災は何度か経験していますが、意外にも近い震源地で揺れも大きかったですね。まずは恐怖で固まった子供たち4人に服を着させて1階リビングに集め靴を用意させ即避難できるようにしてから、断水になって居なかったので水筒に水を入れそれぞれに持たせ、リュックに必要なものを入れて待機させ、お互いに避難場所の確認をして、風呂の湯船に非常用の水を80%ほど張り、飲料水も容器や鍋や夜間に貯めてから、ガスが使えたので電気釜の内窯でといた米にいつも通りの水加減でそのままガスコンロにかけて鍋の蓋をして炊飯。おにぎりを作れば混雑して売り切れが予想されるコンビニに行かなくても済むわけです。冷蔵庫が3つあるので食品は十分あり、買い出しもしなくて済みました。大型店やスーパーの周りには未明から行列ができていました。クルマの燃料は4分の3ほどあり町まで2~3往復しても十分に持ちました。おかげで、家族の携帯電話の充電もシガーライターとUSB電源から2台づつできました。ラジオは電池式が1台あるのとカーラジオが活躍しました。札幌で一番被害の大きかった清田区ですが我が家は大丈夫でした。家族は昨夜味園の銭湯にいきましたが、その直後我が家の電気も点きました。今日から給湯ボイラーも使用できるようになり、シャワーもお風呂も洗濯もできるようになりました。

    • 北海道で内陸地震の大きなのは経験がないので(ほとんど浦河沖や太平洋が震源地)だったので驚いています。札幌東区も震度6
      に昨日訂正されました。あそこは茨戸に活断層があってそこと今回の震源地の追分活断層と深いところでつながって飛び火した可能性
      ありますね。地震計もいい加減ですね。地震予知は根室や釧路沖で近々震度7クラスが数年以内に起きると週刊誌やテレビでアナウンス
      して原稿料やギャラを稼いでいて、なんですか?あの連中。読むと確信を持って書いてました。しかも厚真にある地震計は作動せず正確な
      震度も憶測で後で7に訂正という体たらく。仕事を普段まじめにしているのでしょうか?所詮、他人事の学者の面々。テレビの解説者の
      訳知り顔にも腹が立ってスイッチOFFでした。今回は幸い、水とガスが使えて夫婦ふたり暮らしなので食べ物も100円のソバあれば
      十分ですが、お子さんいるところはミルクや牛乳で大変だと察します。ガソリンは20リットル制限をして入れてきて満タンにしました。

  2. 信号がすべて消えた道路での交通マナーは全体的には良かったとおもいますが、しかし中には横断歩道や交差点を無視してスピードをあげて走り抜ける人たちも居ました。歩行者や自転車などは、さぞ大変だったと思います。歩行者や進めなくて困っているクルマなどが居れば、かなり手前に停止してお互いに譲り合う気持ちを持たなければいけませんね。

    • 私も信号のない国道36号線を走り、ガソリンスタンド探しをしましたが諦めました。キャンピングカーも多数
      並んでました。全国から中年おじさんがクルマできてました。道の駅はさしずめキャンピングカーパレードで運転手
      同士、情報交換をしてます。恵庭道の駅は水が使えるので安全地帯で、電気も通るのが早くて自動販売機が使えて重宝
      していましたね。ガソリンが20リットル制限では遠くまで走らないので、待機していました。台風が持ってきた暖気が
      あって夜が過ごせるのが不幸中の幸いです。早く彼らもお風呂に入りたいでしょうね。

  3. 電気自動車は停電時には役立たずの無用の長物と思っていたのですが、実は大きな間違いでした。充電能力を生かして停電時の住宅照明や小さな家電やPCなどに通電して、今回大変重宝したと言う人が居ました。停電も長期の場合は少なく、必ず復旧するので災害時の電源としてPHEV車は大活躍するそうです。

    • 日産リーフが人気あるのもそういうことからでしょう。停電なのに居酒屋を赤々としていた家、ラーメンを食べて
      いた店、自家発電の何らかの装置が動いていたのでしょう。太陽光のパネルでの蓄電はいかがなものか?近所の屋根に
      パネルたくさんありますが、部屋は真っ暗でした。

  4. とても心配しておりました。更新を確認できて一先ず安心しました。
    余震も絶えないストレスフルな日だと思います。現状、出来る限りの防災をしてください。
    とにかく息災を祈っています。また日常に戻れるはずです、もう少しだけがんばってください。

    • アメリカのテレビ映画で『ブラックアウト』をテーマにしたドラマがありました。私が一番の恐怖は闇でした。日常に戻りつつ
      ありますが、これは日本中、世界の地震エネルギーの10%は日本ですから、活断層もすべての住居の上を走っていると再認識
      したいものです。

  5. お昼休みの使者

    とても心配しておりました。更新を確認できて一先ず安心しました。
    余震も絶えないストレスフルな日だと思います。現状、出来る限りの防災をしてください。
    とにかく息災を祈っています。また日常に戻れるはずです、もう少しだけがんばってください。

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