落ち着いてきた買い物風景。
震災後4日目、というか大停電4日目。昨日、会社近くの筆者の糖尿病主治医のいる病院へ電話すると通常どおりの診療をしていた。川崎の兄からメールで「計画停電が始まりそうだから携帯の電源確保を」とアドバイス。加えて「川崎のスーパーで牛乳が品薄になっていると妻から言われた」とも。酪農の大産地十勝の牛乳は、釧路港から牛乳専用コンテナ船(ほくれん丸)が茨城に運ばれ、首都圏の加工工場に入荷するのでそれが停電で不足してきたのであろうが、無事に動き出している。タマネギの大産地北見からようやくJR貨物のコンテナが動き出して本州へタマネギが向かう。苫小牧からフェリーで首都圏・中部・大阪に向うのか青函トンネルを通るのか?
ジャガイモの加工も電力稼動とともに動く。そういうこと以外に、筆者はホームセンターへ出向いて太陽電池で作動する庭の明かりを2本買い、穴を掘って立てた。リサイクルショップに電池が安く売られているのを知っていたから、単2、単3を購入(単1はない)。道路沿いのレストランも営業開始、床屋も混んでいる。停電の疲れを取りに来ているのかもしれない。きょうも筆者の町は震度2、震度1が何度も襲う。
農業のほうはどうなのか、近所のジャガイモ農家を訪ねたがイモの選別中で引き返したが、電話で地震前の5日の強風でビニールハウスがやられたと言っていた。稲は大丈夫であったと。約50ヘクタールの大農家で30代の2代目社長。いろんな夢を語ってくれた(生産から加工、販売まで手がける農業形態を目指している)。前にも書いたが、隣の農家が廃業していて、「水道・ガスもあるので、誰か農業を志す若者はいないだろうか」と相談されたことがある。北海道じゅう、そうした農地がたくさんある。冬は厳しいが、体力に自信があり、やる気がある人は各地の農業委員会やJAに電話なりメールをするといい。地震の話と話題がそれて申し訳ない。
さらにATM全部が停止して6日と7日と(金曜日)のATMは自家発電装置を持つ本・支店以外は利用が不可能。各銀行前に行員が立って説明をしていた。停電中の昼間、お客に品物を売っていたコンビニでカードは使えない。そこで思ったが、使わなくても現金で10万円は必ず家の中に置いておくことである。いざというときに働き出す。突然のお通夜や葬式にも使えるし。電子決済率が日本は遅れているとアナウンスされているが、危ない気がする。自然は人間の思惑やシステムに関係なくわが道をいくのである。平気ですべてを切断する。人間の死まで呼び込むのである。
工場は別にして電力を使っているのがマスコミである。デジタル放送になってスタジオの照度が上がって、人物の皮膚やしみまで写すカメラ。節電を呼びかけるテレビ局が一番電力を使用しているかもしれない。その点、ラジオや防災に便利、経営難の民放FM局も防災に強い。赤字続きのラジオ局はテレビ局にとって今までお荷物であって子会社化をして待遇も悪かった。ラジオ(地方のFMローカル)に税金を投入するのも賢い税の使い方だと思うがどうだろうか。より住民の暮らしの危機管理に役立つ。
今回、STVラジオやHBCラジオは24時間地震に関する市民や道民からの情報を吸い上げて、逐一放送していたし、「質問があればメールなり電話でお寄せください」と放送し、それに対してどこどこの店では無料で何々を配っている、食糧や医療や市民の安全に関して素晴らしい報道をしていた。スマホでラジコが唯一の情報源でもあった市民や観光客も多かった。ラジオの力は凄いし、パーソナリティーはよくがんばったね。白々しい学者ばかり出てくるキー局の人ごと報道に比べてラジオはたいしたものである。
ブログを書き終わった9日午後11時、震度4が来て、外で防災無線(火には気を付けてのアヌウンスなる)。
昔の少年。
昨日の日曜日は私たちの街、清田区の被災地に安倍首相が視察?に来ると言うので、朝からすぐ近くで報道ヘリや警護ヘリのホバーリング音が絶えなかった。セスナも低空で旋回。首相はまだホテルで朝食でもとっているのだろう。彼にとっては、今回の震災直後の北海道入りで道民からの良いイメージを期待して自民党道連や選挙前の地ならしをすべて目的通り果たして、新千歳から新型の政府専用機でロシアに飛んだ事でしょう。我が北海道は東京からロシアへの直線コース上の途中でした。政府専用機の窓から厚真あたりの山並みの地肌を横目に眺めながら。
seto
新しい政府専用機に乗りたかったのです。羽生田の指示かも。
坊主の孫。
幼児の頃体験した大震災のおかげで、何となく身に着いた習慣があります。一昨日も自衛隊筋の情報から地鳴りがするので数時間後に大きな揺れが来る恐れがあると聞いて普段着のまま就寝しました。余震は確かに来ました。当時は風呂敷に衣類と靴をまとめて枕にして寝ました。横には母の手作りの綿入れの防空頭巾がありました。東京空襲経験者の親の知恵ですね。災害はいつも最悪のパターンまで覚悟して居なければいけません。家屋の倒壊や地割れや隆起・陥没、停電、断水、ガスも止まり、燃料も不足、食料も不足と全てが連鎖していきます。最終的にキャンプなどで身に着けた経験などが生きるでしょうね。近所の40代の主婦がガスでお米を炊く方法を教えて欲しいと言ってきました。テントと寝袋と飯盒などのキャンプ用品はきっと役立ちますね。
seto
アウトドア趣味の後ろの旦那が突然テントを張り、カヤで囲み焼き肉パーティーが始まりました。キャンプ
用品はまるで自衛隊の演習のような。こういうサバイバルの知恵が欲しいですね。