先日、自宅前をゆっくり住所確認をしながら走るライトバンがユーターンして向かいの住宅前に止まると、前に女性、後ろに男性が玄関に並び、ベルを押す。午前11時。ご主人が出てきた。庭の草むしりをしていた私は見てしまった。菓子折りを渡した後、45度、腰を曲げたまま顔を上げない二人。まるで申し合わせたような行動。ややしばらくして、今度は前列の女性が玄関の石畳に土下座を始めた。それを見ていた後列の男性も土下座開始。主人は近所のホテルの経営者なので、取引業者だとは思うが、「こんな場所で止めてください」と2回ほど言うも、止めようとしないので仕方なく、二人を自宅に入れた。しばらくして家を出てきて、最敬礼をしてバンは走り去った。

土下座といえば、現役サラリーマン時代に10階建てのビルに向って宅配業者が土下座をする風景を見たことがある。それは一人であったけど、仕事上の許されない配達ミスだとは思うが、お客さんは何も相手に土下座を要求しているわけではなくて、担当者を替えるなり、業者から外される程度で済む話だとは素人目には思う。企業の存亡を賭けた土下座というのは滅多にないとは思う。「半澤直樹」は資金繰りのために父親が銀行側に土下座するところから(雨の中ではなかったか)始まったと思う。私も現役時代、郵政局の仕事で大失敗をやらかしてしまったが、人間の記憶というのは成功談より失敗談がいつまでも残る性なのか。この失敗で郵政の窓口担当者は人事でペナルティを食らったらしい。申し訳ない。

住宅街でも都心のビルでも土下座の習慣はなくならないのだろうか。すべて取引先とのトラブルから生じる土下座文化。しかし、家庭でも土下座は生きている。「もう二度とカードでキャッシングいたしません、リボ払いはしません」「二度と浮気はいたしません」「競馬とパチンコはいたしません」「アルコールで前後不覚になって帰宅するような真似はいたしません」。まあ、かわいらしい土下座ではある。しかし、離婚される恐怖は走るから、気をつけたい。

日本の外交も田中角栄の中国訪問、国交回復以外はアメリカへの土下座外交に見える。橋本龍太郎は通商貿易で大喧嘩したとはいう例外はあるにせよ(真偽は確かめられない)、属国外交を続けてうん十年。財布だけ出す情けなさ。霞ヶ関官僚は、国民の利益最優先ではなくて、まずはアメリカとの構造協議の遵守が刷り込まれているから、戦後70年を経てまだGHQ外交をしている情けなさ。そろそろ30代や40代の頭の柔らかい、多角的に外交を高所から見れる若手にその席を譲ってはどうかと思う。50代や60代は相当な異能の官僚以外はさっさとバックヤードに引いて、若手に仕事をさせるのが賢明と思うがどうだろうか?

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