ドラマー青山純(2013年12月3日死去)に会えた。
山下達郎のヒット曲から竹内まりやのヒット曲やステージをドラマーとして永年支えてきた故青山純を見てきた。竹内まりやの18年7ヶ月ぶりの2010年のコンサートを中心に作られた”souvenir”を見てきた。音楽映画では、圧倒的な集客をしている「ボヘミアン・ラブソディー」は完売であったが、こちらのチケットは少し残っているが2800円の入場料にしては7割は入っているから興行的にはまずまず。筆者のお目当ては山下達郎もさることながら、56歳で亡くなった青山純のドラムを見たかったことである。山下達郎の文章であったか、コンサート会場であったか忘れたが、ドラマーの青山純の離脱によって、しばらくコンサートができなくなった。いろいろドラマーを探したが見つからず、バンド活動を休止した時期がある。アウンの呼吸でバンドメンバーは曲作りをする。スタジオの中なら、あれこれのアレンジがきくが、ステージでは1本勝負である。音職人の山下達郎は、納得のいかないステージならしないほうを選択する。それほどドラマー青山純の存在はとんでもなく大きかったのである。2014年の”souvenir”は筆者も札幌真駒内アイスアリーナに見に行ったが、そのときは新しいドラマー小笠原拓海を掘り当てた後であったので寒かったが安心して聞けるステージであった。出過ぎないドラム、品のいいドラミング、「プラスチックラブ」では全体の曲調を支配している。メリハリがあって、この曲がユーチュブで世界中で2000万回超えている隠れた功労者は青山純のドラムかもしれない。竹内まりやのコンサート収録映画ではあったが、大好きな青山純のドラミングを見れて大満足な1時間30分であった。
それにしても不思議な夫婦である、こういう組み合わせの夫婦って日本に滅多にあるものではない。達郎曰く「奥さんは、ポジティブ感が強い、作家的才能がある」と認めていた。山下達郎は、人生観、少し暗くて「蒼茫」という曲に彼の人生観が色濃く出ている。竹内まりやから見て達郎さんは映画の中で「飽きない!」と言っていた。夫として友人として、曲づくりのパートナーとして、冗談のうまさ(達郎は本当は落語家になりたかった)として、どちらも尊敬し合ううパートナー。ある人の才能が隣の人の才能を磨くことになる。こういう人の周りに異能の人たちがたくさん集まってくる。音楽サロンだ。サロンから次々とCMソングやドラマ主題歌が生まれる。しかし、ステージを中心に活動する音楽家は、美術品運び、ステージづくり、PA関係、PR関係、スタイリスト、楽器を運ぶトラックの運転手などたくさんの関係者がいないと成立しない。沢山の人に生かされて音楽活動ができることを山下夫妻は繰り返し、ステージで教えてくれる。彼らは立派なバイプレイヤーだ。
ホランペッター。
音楽に限らず、芸術全般に言えるのは創作環境でしょうね。身近に共感する仲間がいて初めて成立したり、結婚しているなら連れ合いの理解度の深さも必要でしょう。創作活動と言うものは出来上がるまでの予測もつかない作業ですから余程好きか飽きないか熱中できるかでしょうね。ましてや多くの人の心を動かす作品となれば作家個人の持つ資質が影響してくるのでしょう。一方プレイヤーは殆ど歌いませんが楽器を通して表現する術を身に着けているのでしょう。感覚的に合う人同士がユニットを組んでこそ優れた作品も生まれるのでしょうね。先ほど楽器が主のJazzコンサートを調べたら、有名プレイヤーのステージは早々とソルドアウトでした。コンサートや映画や芝居も含めて、ステージは本物を観たい聴きたい本物のファンが居るから成立するのでしょうね。青春期にはしょっちゅうステージを観に行っていたのですが、最近は余り行っていませんでした。
seto
演劇はどうも,日本語の話し方が不自然で苦手でしたが、ある日、興行会社の社長から1枚「恋の折鶴」という山本周五郎の劇のチケットをもらいました。林与一や山本富士子(?)だったか忘れましたが、泣いてしまいました。身内がやると音楽はともかく、演劇は照れくさいですよ、きっと。竹内まりやの顔の後ろにドラマーが隠れるので追いかけるのに疲れた映画でした。もう1回見に行く予定です。ナベサダが来ますね、女性のサックス奏者寺久保さん出るコンサートですかね、完売は。新春コンサートにドボルザークの故郷から「新世界」の演奏会がありますよ。プラハ交響楽団。辻井伸行さんのピアノ、ジャズピアノ演奏凄かった、CD出せるレベルです。音楽できる人、なんでもこなします。江利チエミみたい。
坊主の孫。
昔々、今は亡き兄が地元のデパートの若社長たちと自由舞台と言う劇団を作って活動していました。幼い頃によく招待されて観に行きましたが、普段と全く違う別人の兄が立ち振る舞う姿に違和感を覚えて最後まで観れずに、楽屋に引っ込んで遊んでいました。最も身近な身内が演劇活動をしていたのに、自分は全く興味を示さなかった事を思い出しました。その後、音楽には興味を持って多少なりともステージ演奏なども経験はありますが、若気の至りとは言え今思えば恥ずかしい限りです。当時は有名な国内外ミュージシャンのステージを沢山観に行きましたが、どうしても演劇だけは幼い時のトラウマなのか、未だに足を運んだ事はありません。しかし一度だけ見た人形浄瑠璃には非常に感動しましたね。初めてとは言え、きっと本物との出会いだったのでしょう。
seto
本物の持つ力、生演奏はCDでは再現できないですね。そのとき、その場所に居ないといけないし、何が起きるかわからないです。感動がいつやってくるかも、予想不可能。ライブが病みつきになる理由でしょうか。