クレオパトラの鼻が・・・・。
クレオパトラの鼻が短ければ歴史は変わっていたというパスカルが言ったということばを思い出して、実際はどうなんだとパンセを図書館から借りてきた。本棚にあったパスカルの本は書物整理で捨ててしまった。原文はこうだ。『人間の空しさを十分に知ろうと欲するものは、恋愛の原因と結果を考察しさえすればよい。その原因は私にはわからない何かであり、その結果は恐るべきものである。この(私にはわからない何か)、ほとんど認められないほど些細なものが全地を、王侯を、軍隊を、全世界をゆるがす。クレオパトラの鼻。それがもっと短かったら、大地の全表面は変わっていたであろう』(人類の知的遺産シリーズ パスカル207p)。
この話は恋愛の本質についてパスカルが書いていたのだと発見した次第だ。私の身の回りにもたくさんの結婚・離婚・悲劇・喜劇がある。結婚が続いているからといって幸福とは限らないのも本当なら、離婚したからといって不幸とも限らない。今なら離婚してハッピーな人も多いかもしれない。自身を振り返れば、39年前のあの日、友人との約束に10分遅刻しなかったら筆写は今の妻には遭遇しなかった。過去、一度だけ会ったことがあるがお互い『いけすかない奴』でおしまいだった。地下鉄の階段で10分遅刻したので遭遇できたのである。学生時代の私とすっかり変わっていたらしい。クレオパトラに限らず、ほとんど夫婦になるきっかけは些細な出来事から、えっと思うきっかけから生まれる気もするのだ。だから頑なに独身独身と意地を張らずにのんびり構えていると縁が舞い込む可能性もあります。
パンセのように『その結果は恐るべきもの』ではなかったが・・・縁とは不思議なものである。芸能ネタ・政治ネタでも結婚・離婚・不倫記事はよく読まれる。読み手の経験や体験から理解しやすい、下半身の暴走はわかりやすい。しかし、発展して殺人やテレビジャックまで進展すると『いい加減にしてくれ』となる。せめて子供の養育費を負担したり、財産分けをして、弁護士入れて身内で静かに話し合って欲しいものである。しかし、弁護士が入るケースは持てる者の離婚かもしれないが、貧しい庶民はさらに貧困に入ったり、子供に余計な精神的な負担を強いることになる。ゆめゆめ大人だけの判断でことを決するなかれである。
クレオパトラはシーザーを愛人にして、彼の力で一度失墜した女王の地位を取り戻し、シーザーが暗殺されると次はアントニウスを取り込み子供までもうけるが、アウグスツスに滅ぼされる。エリザベステーラーの『クレオパトラ』の印象が強すぎて実像がイメージできない筆者である。歴史のif問題というテーマがある。『もしあのとき何何であればこうであった』という仮説。無意味という人もいるが、『今の自分を客観的に考えるにはとても大事な視点ではあると』筆者は思う。思考訓練、想像力訓練、未来の事案が出てきたときの解決のヒントになるからだ。
5時から男。
トランプもジョンウンもきれいな美女を妻にしていますね。中澤?社長も剛力?と。権力や財力を持つと、必ず美女をそばに起きたがるのは世の常ですね。しかし、そのきっかけは些細なことかも?は別として、権力者や財力を持つご本人たちの思惑とは裏腹に、彼女たちは好んで一緒に居るとは限りませんね。権力も財力も、まるでアクセサリーかステイタスのために、としか考えていないとしたら、果たして幸せかどうか?は分かりませんね。装飾品か美術品のつもりの見栄を重視する男性たちと、自分への注目度と価値を上げるために権力者の側に近づく女性たちと、似た者同士と言えばそれまでですが、端から見ても、公の面前だけでは、お互い作り笑いが見てとれますね。夫々が自分自身のためにでしょうか。そんな世界に全く縁のない貧乏人のひがみですかね。
seto
全く、美女とお金に縁のない人生ですが、刑務所にも入らず、ここまで生きてこれたのも両親のおかげであったりするわけで、もう少し強い欲望が自分にあれば変わったかもしれませんが、のんびりゆったりが性に合ってますから、これでいい・・・ということにしましょう。
貧乏暇なし、年中無休。
これまでの東洋人は一般的に鼻が低いですね。それに小鼻のふくらみも大きくて、むしろ動物のように上向き加減で鼻の穴丸出しって感じですよね。でも最近は変わってきましたよ。足は長く、細身で鼻も高く9頭身美人も多いですね。昨日も神宮に初詣に行くと中国圏の人が多くて、背も高くきれいな若い女性など言葉を聞かなければ、アジアの人とは思えないくらいでしたよ。それにしても観光客を見ていると、羨ましい限りですね。家族や仲間たちと気軽に海外旅行を楽しめるんですから、きっと幸せなんでしょうね。
seto
どのくらいの旅行費用で来るのでしょう?中国人に聞いてみたくなります。お土産を買う量も凄いですね。台湾人と中国人とどこで区別したらいいのでししょうか?
昔の少年。
もし、あの時に何何をずっと続けていれば、きっと?大抵は失敗していただろうと言う結論が多いです。それだけ飽きっぽく転職を続けてきましたが、気がつけば、結果的には同じ様な事をしている自分に気づきます。つまり無駄と思って辞めたことも頓挫したことも現在の自分の生きる糧になっているようです。無駄を重ねて、失敗を繰り返して、学習して、反省してばかりですが、そんな事の繰り返しで歳を取ってしまいましたね。
seto
私も結婚後4つ転職しました。怖いもの知らずでしたね。山のように戻ってくる履歴書の山にもめげず前向きでした。ワインのメーカーへ送ったときは、備考欄に下戸と記入。すぐに戻ってきました。幼稚園から失敗続き(退園)の人生が続いていて、何があっても平気。鼻なんて呼吸できればいいのです。
ホランペッター。
10代の頃の恋愛の原因と結果を今更ながら考察すると、原因は単純に美しい異性への憧れであり、その延長戦で一向に交わらない平行線で終わったり、2年間ほど付き合ったものの、最後は悲惨な結果が待っていたりしましたね。女性は精神的にも成長が早く、冷静に将来を見据えますが、男の頭脳はやや遅れていますから、感情だけが先走って急いでしまいます。若かりし頃のプラトニック・ラブでの経験から学んだ事は、自分の感情より、相思相愛か、もしくは相手の方が自分に惚れていない限り、いつまでも平行線は続くと言う事でした。結婚が果たしてそうか?と言えば、これもお互いに一時的な衝動なのかも知れません。つまり、何が良くて、何が悪いか?などと、結果は最後に現れるのであって、例えば、初めは全て衝動買いにも似ていますね。
seto
衝動の衝突が結婚や同棲でしょうね。すべてに、しかし、飽きがきます。子供でもいないと間が持ちません。結婚は交通事故、ひどいのになると女性をひき逃げしていなくなる男もいますから暴走車には注意です。