50年前の平均寿命、男63.6歳。女67.75歳。
働く人が減り、スーパーはじめ高齢者が現役で働きだしている。まだまだ年金支給額が少ないということもあるし、アメリカへせっせとお金を貢いでいる政府は幾ら税収があっても困らない。天下の宝刀(消費税10%)を控えて、さらに高齢者と外国人労働者の雇用は必須になってきている。以下は、昨年の12月に書いた記事である。
50年前平均寿命、男63.6歳、女67.75歳。
1955年(昭和30年)の平均寿命である。定年は男は55歳が平均で、男の余生は10年もなかった。そのころ、私はまだ幼児。周りの大人を見てはいなかったが、戦争で亡くなったり、栄養価の高い食糧を食べている世代でもなくて、さらに医療も進んでいるわけでもなくて、総じて短命(今と比べて)であった。1953年で初婚年齢は男で26歳くらい、女性で23歳。タイムスリッップして同じ60代を観察できるとしたら、当時のほうが老けていた可能性が高い。定年後、健康で、余生を楽しく過ごす予定が突然の病魔に襲われたり、事故に遭ったり、子供のことでトラブルの渦中に入ったり、結婚してやれやれと思ったら、子連れで自宅に戻ってきたり(筆者も娘からそのときはよろしくと言われている。トホホ)する。息子の失業も心痛める。引きこもっていないだけいいかと低い理想で慰めたりする。
現代は男の平均年齢は80歳に近づき、約20年間、自分のために生きられる。しかし、どうだろうか?趣味ばかりでは飽きがこないだろうか。忙中の中の『閑』であるから充実の時間が過ごせたかもしれない。『何をしてもいい自由』は、30代や40代に仕事や職場の人間関係だけで完結していると辛いものがある。私も現役のときに3連休でもあると『早く休みが終わらないか』と密かに思っていたこともある。
特段の趣味もなく(ゴルフせず、呑まず、スポーツせず、本だけは読んでいた)過ごして、今なら『老人の引きこもり状態』に突入である。一気に老け込んで、目から輝きを失い、足元もふらつき、免疫力も低下して病魔に苦しんでいてもおかしくない。ありがたいのは、札幌生まれ、札幌育ちなので、学校の同級生も多く、転職も4回して、各分野に知人も多く、根っからのお喋りなので街を歩けば知り合いに当たる。会社の閉鎖的な空間を嫌っていたので、結果として得をしているかもしれない。若いときから自分の住む町の町内会活動をし、いまも続けている同僚は若々しい。
他人に説教はしないで、自分の足で歩む癖を持ってる人は不平・不満分子になりにくい、つくづくそう思う。企業や集団は、限られている酸素量を皆で吸い合うようなもので、呼吸で汚れてくる。外気を吸いに出なければ、鮮度は保てないと思いましょう。60歳を過ぎても現役で働く人が異常に増えて、嫌われていたり、喜ばれたり様々である。私は世間のお邪魔虫で『ちょこっと片隅に座らせてくださいな』という気持ちで生きていてちょうどいい。週に3回の営業のアルバイトで自分の1ヶ月の小遣いを年金に頼らず稼ぐことを目標に生きている。自由の確保に必要な最低限の小遣いである。友人・知人とのお茶代や昼ごはん外食費、図書費、映画、コンサート、たまの飲み会。夫は妻から離れて生きる、妻は夫から離れて生きる。ベタベタが一番よくないと筆者は思っているのだが・・・・・。
ホランペッター。
前職の本部会議で「趣味は?」と聞かれて「仕事です!」胸を張って答えて失笑をかった事がありました。言いたかったのは、趣味が仕事になったと言う事でしたが、きっと「無趣味な奴!」と笑われたのだろうと思いますね。絵画もデザインも、写真も、趣味が仕事になってしまい、現在では本当に仕事を趣味にしている自分に気づきます。しかし言い換えれば、仕事をせずに趣味だけに生きたとしても困らない状況でもあります。昔は好きな音楽を一時仕事にした事がありましたが、飽きっぽい事も手伝って一切やめていました。が、最近はまた趣味として数十年ぶりに練習を始めました。長い間の記憶は曖昧で初心にかえってやり直しです。
seto
私は趣味はありませんが、好奇心だけで精一杯で、何か事件があれば走っていく。現場で確認する。趣味は世の中や世界の行く末を占うことですかね。先日も札幌にできた芸術音楽堂HITALUへ建物チェックで音楽を聞いてきました。困った人がいたら助けたくなるのも趣味といえば趣味ですかね。仕事が趣味は貴重ですね。時間を売るサラリーマンと違うところです。
坊主の孫。
身近な周囲にやや高齢の各種ガン患者の方が多いですね。でも入院している方以外は活動的に見えるのは気のせいでしょうか。たとえ手術しても元の生活に戻っている人さえ居ます。当のご本人以外、その本当の苦しみは理解できないですが、たとえ病魔に襲われようと、80歳以上ともなれば人生の大方を既に生きて来たと達観しているのでしょうか。他人には苦しい顔を見せませんし、それどころか比較的健康な我々よりも楽しみを沢山持っている方々も多いですね。海外や国内旅行、趣味の習い事や、大学の通信教育を受ける人さえ居ます。生きている間は、何が有ろうとも前向きに考えているのでしょうね。病気は気からと言いますが、気持ちの持ちようで、病身とは言え、精神的な健康は保って行けるのかも知れませんね。知人の大阪在住の兄は退院後しばらくして最早夜警の仕事に復帰していますから驚きです。一時痩せて60k台になったらしいですが、今は70k超までに戻っているとの電話でした。寒い季節にも広い構内を夜間から早朝にかけて自転車で見回る仕事が体力を付けてもいるのかも知れませんね。
seto
自転車で回る夜警ですか、凄いですね。私は恐怖を感じます、情けないですが。先週土曜日から胃腸が痛み始めて止まりません。どうした胃腸?で、きょう胃カメラ飲むと、胃潰瘍ができていて出血中。原因がわかると心配半減します。刺激物禁止で先ほど懐かしいカステラを3本買ってきました。毎日、ブログを書くストレスでしょうか?
昔の少年。
自分の母は86歳、父は96歳まで生きました。母は最後は認知症にもなりましたが、父は最後までしっかりしていました。ただ最後は老健のベッドに寝かされっぱなしになって体力も急減して自力で立ち上がれなくなり、見舞いに行った私には2階の病室の窓を指して「生きていても仕方が無いので、あそこから飛び降りたいのだが?身動きできないのが無念だ」と言いました。94歳まで一人暮らしの時は、耳は遠くても音楽を大音量で聞いたり,食事の支度や身の回りの事は自分でしていたのですが介護されると途端に弱って、最後は肺炎でした。湿気の多い隙間だらけの寒い自宅に比べ、一見清潔なコンクリート作りの施設は暖房が効いていて密閉度も高い代わりに、看護師や介護士たちの活発な行動でホコリが舞いあがり、決して環境的に良いとは言えません。おまけに喉の筋肉が弱っている高齢者に少しだけ起こした体勢のまま薬や水を呑ませるので奥の食道に到達する前に手前の気管に落ちて肺に遺物が入って誤嚥となり、結果的には肺炎になります。高齢者の肺炎での死亡が多いのも寝たきりが原因でしょうね。
seto
昔の少年さんは長命な家系ですね。私の父は79歳で自宅トイレで脳梗塞でなくなり、母は88で老健施設から病院へ搬送されて東札幌病院で老衰でなくなりました。先日、筆者の向かいの96歳のおじいちゃんがなくなりました。10月までは自転車に乗っていて、100歳まで生きる宣言をしてましたが。しかし、おじいちゃんも子供を二人亡くしているので可哀相です。長男を18歳でほくでんの高圧線工事で電線に触れて墜落死、長女も60歳で病死。自分より子供が先に逝く辛さは体験した人でないとわからないかもしれません。
5時から男。
忘れっぽくなりました。今やろうとした事?は何だったっけ?とか、出かけて忘れ物で戻ったり、名前をど忘れしたり、PCのアプリの名称を忘れて困ったりと、数えれば切りがありません。これも高齢の証なのでしょう。ただ、母の認知症を経験しているだけに自分にもそのDNAが存在するのでは?と考えると心配になります。でも忘れっぱなしはいけません。どんなに時間がかかろうと絶対に思い出す事にしています。
seto
物忘れは私もひどくて、一度出てまた戻るパターンです。言葉もすぐに出ず、簡単な単語やカタカナが出てきません。自宅の電話番号を忘れることもあります。ヒドイです。DNAではなくて、自然現象ですね。
胃潰瘍はピロリ菌。
胃潰瘍?ですか?。自分も50歳代に経験済みです。あの頃は会社の支店を任され、営業もしながらイベントの企画運営や売り上げ管理など責任も重く確かにストレスもハンパない状態でした。またその頃はヘビースモーカーで残業ばかりで不規則な生活でした。胃カメラは5度ほど呑みました。あれは嫌なものですね。当時の胃カメラは管も太かったように覚えています。医者も、ハッキリと「ストレスが原因ですね!」と断言していましたし、自分でもそのように考えていました。その後「もう大丈夫ですよ!」と言われて精神的にも落ち着き、快方に向かい全快しました。ところが、何と原因はストレスでは無い事が分かりました。その後、東京に住んでいた息子が十二指腸潰瘍で通院した頃には、原因はピロリ菌だと言う事が判明しました。ピロリ菌を退治した息子は全快してすっかり顔色も良くなったのです。医学も少しの間に進歩したのか?それとも間違った推測がまかり通っていたのか?もう少し早く本当の原因さえ分かっていれば、苦しい胃カメラを何度も何度も呑まなくて済んだのではと悔しがりました。
明治ヨーグルトでしたか?LG21?でしたか?ピロリ菌を退治するものがありましたね。カステラよりその方がおすすめです。
seto
鼻から入れる胃カメラは快適でした。両方の鼻に麻酔薬を2度ほど噴霧して入れるときの痛みを取ります。それから約2分ですべて撮影終わります。札幌グランドホテル近くの吉田胃腸科でした。宣伝をしてしまいました。ピロリ菌のことも言われ、胃潰瘍が完治たらピロリ菌取り除きする予定です。息子さんも原因が判明してよかったです。明治ヨーグルトはあれは誇大宣伝では?と疑問視されてますよ。