DSC049299月9日に居酒屋で飲んだ友人が何度も読みたいブログNO1だということで再再録となった。9月17日、国会を見据えながら、再々録をした次第である。

キナ臭い戦争への準備がを憲法9条と集団的自衛権めぐり、安倍政権と霞が関官僚たちの手で進行しているけれど、近所の現役自衛隊員に「何かあったら、戦地へ赴くの?」と聞いてみた。「ああ、それね・」。言葉止まる。煮詰まってるな・・と感じた。そういう質問には答えないよう指導されているのかも。縦関係が絶対の世界の怖さは警察にもあって、叔父の次男が警察で、最近、本部に戻り、父親に「もう警察は終わっている。守秘義務があるから内容は話せないが・・」と。組織のことか個人のことかわからないが、こちらも煮詰まり状態。

要は、自由に思ったことを話せない、語れない、家族へも悩みを打ち明けられない、秘密のオンパレードで風通しが超悪い社会にここ20年、日本に限らず我々は作ってしまった。

TPPにしても、その具体的な条文案件をアメリカの国会議員でさえ、地下の秘密部屋で読み、コピー禁止、他人への話すことは守秘義務違反らしい(田中宇ブログ 国際ニュース6月18日)。国民の生命や財産に関して、当事者の自分たちがこれほどまでにバカにされた、国家って何?である。それにしても、車いすで京都からデモに参加した瀬戸内寂聴さんには頭が下がる。ブログを始めたころ(3月29日)に表題の作文を書いたので、未読の読者も多いと思い再々録します。

 

1929年1月号の「我等」(1919年創刊)の巻頭言に、大正デモクラシーきっての評論家・長谷川如是閑が書いたもの。第一次世界大戦から10年後1929年、小国デンマークのフリッツ・ホルムという陸軍大佐の手になる法案草稿の紹介をしている。この法案を各国が可決し、実行すれば、なるほど、世界から戦争はなくなる。第一次世界大戦は、大変な戦争で(大変でない戦争はないけれど)、列強による植民地分割ゲーム。ドイツ皇帝ウィルヘルム2世が、世界帝国を目指して英・仏・露と戦う。大砲、戦車、飛行機、戦艦、潜水艦、魚雷に加え、約40種類の毒ガスも使用されて、兵員はドイツ1800万人、イギリス1000万人、フランス1400万人、ロシア1700万人、イタリヤ500万人。ヨーロッパ全体が、同盟を組みながら、自国の利益を求めて戦争をしているとき、小国デンマークの陸軍大佐が提案・起草した幻の法案である。内容は下記のようだ。

戦争行為開始後または宣戦布告の効力の生じたる後、10時間以内に次の処置をとるべきこと。すなわち各項に該当する者を最下級の兵卒として招集し、できるだけ早くこれを最前線に送り、敵の砲火の下に実践に従はしむべし。①国家の元首、ただし、君主たると大統領たるを問わず、尤も男子たること。②国家の元首の男性の親族にして16歳以上に達せられた者③総理大臣、及び各国務大臣、また次官。④国民によって選出されたる立法部の男性代議士。ただし、戦争に反対の投票を為したる者は除く。⑤キリスト教または他寺院の僧正、管長、その他の高僧にして公然戦争に反対せざりし者。上記の有資格者は、戦争継続中、兵卒として招集さるべきものにして、本人の年齢、健康状態を斟酌すべからず。但し、健康状態については招集後、軍医官の検査を受けしむべし。上記の有資格者の妻、娘、姉妹等は、戦争継続中、看護婦または使役婦として招集し、最も砲火に接近したる野戦病院に勤務せしむべし。

発表時は、治安維持法に配慮して、伏字で長谷川如是閑は書いていた。元首とか君主とかのところ。「日本ファシズム批判」(1932年)で発禁処分を受けた如是閑であった。江戸っ子の彼はまた職人たちが大好きで、あくまでも低いところから権力を打つ人であった。庶民をボウフラにたとえている文もある。そういう気概のないやつは報道に携わるなと言外に言っているようだ。

1948年(昭和23年)、大正・昭和のジャーナリスト活動に対して文化勲章が贈られ、戦後初、宮中での伝達式が行われた。この法案をアメリカ合衆国に適用してもらえれば、戦後、戦争し続けてきたアメリカはもう少しましな国なっていたのではと悔やまれる。しかし、この法案、デンマーク人の書いたものではなくて、長谷川如是閑自身が書いたものかもしれない。

岩波新書「読書こぼれ話」~一月一話~にあるお話だ(同書16p・17p)新書を書いた匿名の作家(准陰生)はだれだろうとあちこち聞いて歩いたがわからず、文体からいって英文学者の中野好夫さんではないだろうかと推理してるが・・。神宮外苑の学徒出陣で教え子を戦地で死なせた責任を感じ、戦後、自分を責め続けた人である。だから、長谷川如是閑のこの話を彼が書いたのだすれば、妙に納得もするのである。

どこの国も戦争が起きた場合、まずは国のトップから戦地に赴く絶対法案が可決されれば、安易に戦争を起こすまい。

 

 

  1. 子供の頃のチャンバラ戦争のきっかけは何だか忘れたが、言い出しっぺのガキ大将が先頭に立った。たいていは、比較的集まれる休みの日だったと思う。落とし穴や仕掛け橋にまんまと落ちるのもガキ大将が先に犠牲になる。石合戦でも額から血を流すのはガキ大将で家来を守る。だからみんなが慕い従軍する。女の子たちの看護師の参戦は無かったが、男の子は本気で近くの村同士で戦った。でも、どちらからともなく休戦(仲直り)もしていた。サラリーマンの子供たちと違って、農家の子供は家族の中では働き手で、何かしら家の手伝いをしているから『戦争ごっこ』ばかりもしていられないし、遊んでばかりもいられない。つまり生きるためには、そんな事は二の次、三の次で、親の言いつけは天皇陛下様よりも神様のお言葉くらいに受けとめていたから絶対第一義だった。傷をして帰っても当人はカッコ悪い仲直りはできないが、親が相手の親に抗議に行く。親も言いたい事を言って帰ってくればスッキリするらしい。しかし暇さえあればガキ大将も作戦を立てたり、また悪さを考える。今では嘘のような子供の世界だった。今の子供たちは、あくまでゲームで戦う。だから誰も傷つかないが、心は病んではいないだろうか。昔の戦争で大将が『ソレ行け!』と安全なところで叫んでいる光景はカッコ悪い。幼少時代は『お坊ちゃま』で本物のチャンバラ経験も、肉体労働の経験も無い、もちろん本物の戦争体験なども無い中途半端世代の大人たちが法律を『ゲーム感覚』でいじくるから怖い。自国を守るのはいいが、予想外に攻めるまでエスカレートしてしまえば、もはやゲームの勝ち負けではない。『本物のシナリオ』では、都合が悪くなったとしても、スイッチを切れない恐れがあるからだ。また、近代戦争は人が戦わずしてもボタン一つで瞬時にして我が国は壊滅してしまうだろう。『頭でっかちなお坊ちゃま』の言い出しっぺも、自分だけは大丈夫と思っているのかも知れないが『ソレ行け!』と後ずさりしても同じ事だと判らないのだろうか。戦争太りの財閥の構図もいまや前世の伝説でしかない。立派な京都議定書などのルールを唱っても、戦争こそ地球環境破壊でしかない。

  2. 戦争は「殺すか殺されるか」など昔のヤクザの喧嘩ではない。シリアなどにも見られるように兵士ではない子供たちまをも巻き込んでしまう。つまり後世にまでも及ぶ傷を残す。昨今の世界情勢は「脅しの構図」で一触即発のように思わせているが、本心はその裏返しで「平和を望んでいる」のだろう。単なる口喧嘩に乗っかって先に手を出してしまえば「負け」で、どこまでも「穏やか」に振る舞う「尊敬」されるお手本の国・国民性で有りたいものだ。

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