何年か前の山下達郎コンサート会場でのお話。
3月17日(日)の小樽ゴールドストーンでスペシャルアコースティクライブ、立ち見席当選しました。
山下達郎のコンサート会場で。
12月3日(木)札幌ニトリ文化「山下達郎コンサート2日目」午後6時半開演を午後6時と勘違いして、5時半に入場してしまい、時間を持て余して、1階のグッズ売り場を見に行こうと2階席の私は1階へ降りて行った。
すると特別入口から、病院で使用する寝台そのままに酸素マスク(単なる防菌マスクかもしれない)をつけ、パジャマ姿の患者が入ってきた。車椅子で入場するのは映画館でもコンサート会場でも多いが、寝台に寝そべっての入場は初めて見た。
札幌での公演チケットは8月から売り出されていたから、それに当選したが、交通事故か急病か何かで寝たままの入場になったのか詳しくはわからない。係員も丁寧に応対していたから、事前に了解を取っているみたいだ。付き添いが二人いた。達郎さんの大ファンで難病かもしれないなと勝手に筆者は思いをめぐらした。気持ちよく入場させた興行のWESSさんもえらいね。
なかなか取りにくい山下達郎のチケット。私はすぐに2階席に戻り、身を乗り出して1階を覗くと、少し広い通路部分に寝台が置かれていた。良かったね。長丁場のコンサートだから体力が持てばいいなと感じた。この日のコンサートも3時間25分だ。ステージ上の達郎さんからも彼の姿が見えていたはず。
「希望という名の光」の歌詞に「運命に負けないで たった一度だけの人生を 何度でも起き上がって 立ち向かえる 力を送ろう」という絶唱部分で筆者はポロポロだ。彼のためだけに歌ってもいい曲だ。音楽の持っているパワーを感じた瞬間だった。
*久しぶりの小樽行き。まさかライブが東京→大阪→小樽とは思わなかった。娘から『東京・大阪のチケット申込みするよ』と来ていたが、倍率高いし、当たっても飛行機に乗れる自信がどうもね。小樽は立ち見ながら当選。外れた皆さまには申し訳ない。曲数を調べると東京24曲、大阪21曲。達郎さん、北海道が好きでジンギスカンやシュークリームを食べるとのを楽しみにしているかもしれない。小樽の旧渋沢倉庫を改造してライブハウスにした会場だ。1階と2階で立見入れて450人くらい入る。東京の達郎ファン2名に当日の『達郎コンサート通信・小樽』を書くことになっている。以前、竹内まりや札幌公演の通信が好評だったからだ。金曜日、チケット番号13ケタを娘から聞いてセブンで発券する。3時間を超えるコンサートが予想されて、会社の女性がお父さんが釣りで使う折り畳み椅子を貸してくれた。ありがたい。小樽に宿泊することにした。
ホランペッター。
宿泊までして、熱狂的なファンですね。私などはミュージシャンにしろ、どんなアーチストにしろ、そんな情熱はありません。若い時に全部使い果たしたのかも知れません。誰とは限定しないで気が向いた時間に余裕の有る時だけ見たいとは思いますが、そこまで熱中はできません。好き嫌いではなく、好きな物が少しずつ無くなっています。でも若いときの夢はミュージシャンになれたらいいなと思っていて少しはかじったのですが、結果は中途半端でしたね。
seto
ピアノでもできれば、作詞や作曲でもいいかなあと思ってもいました。音楽していると女の子にモテましたから。運動音痴だし、さっぱりモテル要素のない青年時代でしたから。クラシックギターでもエレキでもやってる人はキャーキャーと追いかけられてましたから。動機は女の子にもてたいから始める人、多いと思いますよ。スポーツも。しかしながら例外が達郎で、見かけで女性引く人います、今でも。テレビ嫌いも、そのあたりトラウマになってるのと自由がそこにはない。台本の世界で、言いたいことがカットされて誤解も生じるからライブで喋る自由度に快感を感じてるんでしょう。江戸っ子で落語趣味ですから、音楽より語り集を発行できるくらいですよ。権威や権力批判、役所批判もしますしね。
ホランペッター
高校の時に吹奏楽をやっていて、放課後の教室でペットの練習していると知らない間に後ろにスケバンが子分と一緒にしんみり聞いていました。
seto
ですよ。スケバン万歳ですね!うらやましい!!!
ホランペッター
高校の時に吹奏楽をやっていて、放課後の教室でペットの練習していると知らない間に後ろにスケバンが子分と一緒にしんみり聞いていました。
ホランペッター。
何故か?スケバンやヤクザの親分の息子や不良達が僕には優しくて何だか気持ち悪かったです。山下達郎さんには敵わないけど、此れも音楽の力?ですか。
seto
音楽は不思議に、そういう人を誘因しますよ。ロックやジャズやトランペットなど。これがギターならもう少し、穏やかな人たちを吸引したかもしれません(冗談)
夢破れしバンドマン
若気の至で大阪は心斎橋のクラブのステージに上がってギター弾いたり歌ったりしましたが、薄暗い客席のキャンドルの灯りに寄り添うカップルや酔っ払い客は音楽など会話を打ち消すBGM程度にしか捉えていませんから空しすぎました。そして、いつかは、ステージではなく、あちら側に座りたいと思いましたよ。しかしお酒を飲まない僕は今だに実現出来ていませんが。
seto
札幌でもクラブのミカドなどテレビ局の忘年会で行きましたが、ステージの音楽は二の次で、次々入れ替わる女性陣とのお喋りで音楽はBGMでしかありません。演奏している人もあちこち見ながら、むなしく演奏していたのを思い出しました。聴く側のお客が、実は演奏家を育ててもいるのでしょうね。当時はわかりませんでした。