教室の中が変!(講師を退職して)
65歳で講師を退職して・・・。
看護師を養成する学部の講師を30年以上従事しながら、ボランティアで分裂病や鬱病に苦しむ人たちの「いのちの電話」の応対をしている知人と近々、居酒屋で会うことになった。前にも一度、ブログで書いたことがあったと思うが、「1クラス50人だとして、生徒の半分は鬱症状を呈している」とは彼の判断。
なので必ず、ひとりひとりの携帯電話に彼自身の番号を登録させ、相談事があれば電話するよう授業の終わりに言う。筆者の学生時代は、ランチタイムの食堂内や近所の喫茶店で同人誌仲間や気の合う奴とぺちゃくちゃ喋ったものである。研究室で囲碁や将棋をするのもいて、学園紛争を横目で見ながら、ノンポリが圧倒的に多い大学で、飲んでは騒いでストレス発散の時間を過ごしていた。余談になるけれど、私は全然、自分の学部と関係のない、スラブ研究会の定例会へ行くのを楽しみにしていた。ドストエフスキーの翻訳者中村健之介、パステルナークの研究家工藤正広、ゲルツェンに詳しい人、そして何をおいてもラーゲリ帰りの内村剛介さんがいた。ソルジェニチィンの「収容所列島」は誤訳で正しくは「群島」だと。点々としているのだと。田中角栄の「日本列島改造論」の列島が流行していた時代であったからね。内村さんから画家の香月泰男、詩人の石原吉郎の存在を教えてもらった。次々、勉強しなければいけない課題が出てきて、学校の授業どころではなかった。
話題を戻して、それがここ10年(いや15年)以上前から変だという。教室の中でクラスメート同士のお喋りが無くなっているというのだ。その内容の詳しいところは今度居酒屋でじっくり聞いてみて報告するけど、この現象は一大学の一クラス内だけの現象ではなくて、企業の中でも同じ現象がある。信頼関係を築く言葉や行動というものが人間社会にはある。そして簡単にこれは潰れる。たぶんこれは民族や国家に関係なくあるような気が筆者にはする。
「それって具体的に何?」と聞かれても即答はできないが、世の中にはあるのである。「こいつは信用がおける。人の気持ちを逆なでしない。こいつは自分が悩みを相談しても茶化したり他言をしない。ゆっくり聞いてくれる」。結論はそういうことだ。男女に関係ない。彼の携帯電話は、昼夜の区別なく「悩み相談電話が鳴って鳴って大変だ」と言っていた。
「自分たち学生の頃は友達とお喋りして解決していったことが、いちいち相談の電話が来る」と。「自分で解決する習慣がないのではないか」。大企業の中でも、隣の同僚と「今晩、〇〇で何時に呑もう」と言葉で言わずメールする習慣も多い。嫌なやつを排除するためか「周りの同僚に知られたくない」。秘密結社フリーメーソンみたいで筆者は苦手な世界だ。堂々としてほしいと思う。
排除することは両人の絆を強めることにつながるだろうけど、第三者からみて社会(世間)性がないように思える。
坊主の孫。
これが現在の社会性なのかも知れませんね。昔は007以外に携帯電話など持っていませんでしたが、今では子供までが小型PCよろしくスマホの時代です。知りたい事は他人に聞くよりスマホが便りです。友人との連絡もスマホです。ゲームなども居ながらにしてネットでやり取りします。昔に比べて情報伝達速度が速い時代ですから、何か有ればすぐに拡散してしまいます。それが怖くて本音で、しかも面と向かって心を打ち明けることをためらうのでしょう。進化も罪悪ですね。
seto
初めのころの携帯は、どっしり重くて小さなカバンを持つようで私も一度持たせてもらいましたが、移動電話機でした。かっこよかったです。スマホで人間の大脳が退化している気もします。考えずに速射砲のように言葉を繰り出すロボットの見えるときがあります。たぶん、何度もどこかで繰り返して話している日本語をここで喋っているのかもしれず、自分の言葉か誰かに洗脳された言葉なのか区別がつかなくなってるようにも思えます。それと大きな作家の本を詠むと、語彙の豊かな世界に浸れます。教師も豊かな日本語を、感動する話をどんどん教室でして欲しいと思います。
昔の少年。
言葉の文化から文字の文化に変わったのでしょうね。昔はタイピスト以外は文字を打つなどせずに手紙を書きました。ところが道でしょう。今では猫も杓子もタイピングです。それも素人とは思えぬ早業ですね。手紙の場合は不明な文字は辞書で引きましたがPCやスマホなら自動変換で知らない漢字も簡単に見つける事ができますからね。スマホやPCは、一方的なメッセージを送るには格好のツールですね。
seto
週に3回、電車に乗りますが、膝にノートパソコンを載せて仕事をしている人がたくさんいます、女性も。覗くとメール点検とエクセルの表に数字が打ち込まれていて、売上げなのか勤務表なのかよく見えませんが、今度、眼鏡をかけて読んで報告しますね。いかにも(忙しい、仕事ができる)雰囲気を漂わせていますが、私の現役のころは、さりげなく仕事はするもので人前で見せ付ける人は無能なビジネスマンという定番でしたたが、価値もかわったのでしょうか?単なる私的な作業をしているのでしょうか?
鬱、時々晴れ
鬱は子供たちの世界に広がっていますね。先ず、喋らない子が多いですが、此方から声をかけても返ってきません。しかしいつもかと言えばそうでもなく、明るく普通の態度を見せる事もあるのです。殻に閉じこもっている時は無理に声をかけても仕方が無いので、気分が晴れていそうな時を見計らって声かけすると、心を少しずつ開いてくれます。かたくなな所は硬派のツッパリにも似ていますね。我が家にもそんな中学生女子が一人います。小学生の女児もこの春から中学ですが予備軍のような気もします。
seto
自宅前を小学生が通ります。庭にいると(おはようございます)と挨拶をする子供が多いから、まあ、この小学校は大丈夫かなと思ったりします。中学にもなると裏サイトがあって、近所でいじめられた女の子がいましたが、平気平気でわが道で生きてきてました。結婚してふたりの子供もいます。見ていると母親がずっと守っていたみたいです。職員室での先生同士のイジメや企業内でのイジメ、政治の世界でのイジメ、芸能人同士のイジメ、外交でのイジメ。イジメのないところはありませんが、なぜイジメが発生するか?そこに排除の論理が働くからです。なぜ排除が始まるかですが、仲間との価値観(多くはボス)を同じくしない奴を排除することでの内部統制です。警察や自衛隊に自殺者が多いのも縦関係絶対の世界で、カンタンに排除を発動、異分子を弾きます。体育会系のクラブも皆そうです。イジメを捜査する機関(教育委員会)や警察もイジメを抱えていますね。
広告マン。
人間関係の悩みは誰しもが持っています。それを解決できるのは自分自身でしょうが、それも出来ないと鬱状態になるのでしょうね。その結果、人間不信から他人との接触を避けたくなるのでしょう。今やネットなどでの誹謗中傷も常態化の傾向にあって、精神的に追いつめられ自殺にまで及ぶケースが急増しています。以前に芦別市にカナディアン・ワールドの再開発に全国の登校拒否などの子供たちを全寮制で学ばせる企画案を提案した事がありました。政治的な利害も絡んで自然消滅して却下されたようです。
seto
芦別の不登校児の学校はまだあるかもしれませんが、なんか新興宗教みたいで、地元の学校へ通わせなかったりで、社会問題になってましたね。