「一方の得はもう一方の損」(モンテーニュ 随想録第22章)

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アテネ人デマデスは、その都市において埋葬用品の販売を生業とする一人の男を、「あまりに利益をむさぼりすぎる。しかも利得は多くの人々の死がなくては生じえないものだ。」と言って(彼を)処罰した。この裁きは間違っていたと思う。なぜなら、どんな利得だって他人の損失とならないものはないし、そんな風に考えるとすべての利得を処罰しなければならなくなるからだ。商人が栄えるのはただ若者の乱費のためだし、百姓が栄えるのはただ麦が高いためだし、建築家が栄えるのは家が倒れるため、裁判が栄えるのは世に喧嘩訴訟がたえないためである。聖職者の名誉と義務だって、我々の死と不徳から生じるのだ。「医者は健康がきらいで、その友人の健康さえよろこばない。軍人は自分の町の平和さえよろこばない。」と古代ギリシャの喜劇作者は言った。そのほか何でもそうである。いや、なお悪いことには、皆さんがそれぞれ心の底をさぐってごらんになるとわかるが、我々の内心の願いは、大部分、他人に損をさせながら生まれ且つ育っているのである。そう考えているうち、ふとわたしは、自然がこの点においても、その一般的方針にそむかないことに気がついた。まったく物理学者は、もろもろの物の出生・成長・繁殖は他のものの変化腐敗であると説いているのである。

 

まことに物がその形と性質とを変えるとき、

前にあったものの死がないことはない。(ルクレチウス)

 

1533年生まれ1592年死去の、モンテーニュ「随想録」で一番短い章なので全文引用した。(関根秀雄訳 白水社)当時フランスボルドーのお城に住んでいた彼のところにも宗教改革と戦争の波が押し寄せてる中で書かれている。文章はそれを書いてる人の環境や心境に大きく左右されるから、彼が最初に埋葬用品の人を引用したのも、たくさんの旧教徒とユグノー新教徒の殺し合いが身近に、目の前で起こっていたのだろうと筆者は推測する。蛇足ながら、関根秀雄訳は誤訳が多過ぎると咬みついたのが、林達夫だ。16世紀フランス語なんて全然読めない私だしこればっかりはね。キリスト教同士の殺し合いに辟易して城に閉じこもり、細々とエセイを書いていて、時々、自殺をほのめかす章もある。腎臓結石に見舞われた時期だ。肉体の苦痛・耐えられない苦痛は死にたくなる。それは時代を超えている。奥付を見ると私が21歳のときに購入した本だ。さっぱり読んでいなかった。情けない。

*育児や子育てに関していうと、子供みずから働き出すまで(現代、これも不分明だ)、親の苦労は半端ではない。お金や気苦労の損得だけからいうと損・損・損である。しかし、お金では買えない喜び(こういう言い方をする人が多いが本当だろうか?)があるから耐えられる?しかも育って働き出す子供にしても、自身の仕事への喜びや生きがいを持てるか?近所で東京からUターンして地元に戻ってくる人も多いから、営業職を辞めてくるケースが圧倒的だ。

 

  1. ビジネスとボランティアの心の持ち方の違いは全く正反対ですね。かと言ってボランティアが正しくて、ビジネスは間違っているとも言い切れませんね。何故なら利益の無いところで人は暮らせないからです。理想的なのはビジネスをして、ボランティアもする方式が理想的でしょうね。ともすればビジネスに熱中してしまう事の方が多い世の中ではありますが、それで富を築いて自慢気な実業家も居れば、そんな人たちの中にも社会貢献をする人は居ますね。身近には親への恩返しや地域への貢献などがありますが同じ貢献でも売名のため選挙のためとなれば私利私欲になってしまいます。新入学の季節に必ず現れる謎のタイガーマスクなどは心打たれますね。しかしお金を掛けなくてもできる社会貢献もいろいろありますね。

    • 企業で得を求める民間にいて、帰れば自宅で主夫(主婦)ボランティアという形もありますから場面場面で攻守交替のところが『損得』にはあるみたいです。タイガーマスクはいい話で全国に広がりました。ああいう人が全国津々浦々いればいいですが、自分が要は何ができるかです。ある年齢を超えると、決まった胃袋・弱る足腰・かすむ目で、生きるために使うお金も少なくて済むが、全国にいる10代から60歳までの引きこもりガ100万人いますから、彼らを養うために負担する親の経済的な負担と気苦労を考えると暗澹たる気持ちになります。損を覚悟しないと子育てはできません。

  2. 今は亡き田舎の父が晩年に道路わきの草刈りや清掃をしていました。誰から頼まれたと言う訳ではありませんが黙々と続けていました。元気な中高年は仕事に忙しく足元に生い茂る雑草など気にもしていませんでした。そんな或る日、河川敷の空き地に父が桜の苗木を植えました。その桜はどんどん成長して見事な花が咲きました。父も他界した数年後の春、僕が田舎へ行った時の事です。あの桜の木が大きくなって見事に咲き誇っていました。その桜を誰が植えたのかは故郷を離れた僕以外、村人は誰一人知りません。今年の春も桜はさらに大きく育って見事に咲いたのでしょうか。

  3. 息子が葬祭業に就いて10数年経ちました。母親は近所の主婦たちには息子の仕事を隠していました。なぜなら、近所の人たちの間では葬祭業はヤクザ商売だと決めつけているからでした。実際は普通の人にはとてもできない大変な仕事なのです。何故なら人の死は綺麗なものでは無いからです。死因は老衰もあれば病死もあり、事故も自殺もあるからです。また死は老人ばかりとは限りませんし、暮らし向きも裕福な人ばかりとは限りません。或る時は死体をおんぶして運び出す事さえあるそうです。家族は誰一人しない事さえもしなければならないのです。警察の検死解剖後は病院からの搬出です。これも誰もしたがりません。死んでしまえば家族も知人も連れ合いさえも気味悪がるからです。もちろん当の息子本人だって同じ気持ちに違いありませんが、プロは如何なる場合にも嫌な顔も、異臭にもマスクをする事もしません。死体に最後まで敬意を払う事が基本だからです。仕事は深夜でも発生します。ですから仕事を終えた後の彼はいつもぐったりして戻ってきます。以前は東京で綺麗な仕事ばかりしていた息子でしたが。ビジネスもいろいろです。

    • 葬祭業に携わる人を何人か知ってますが、寝るときは黒の礼服を寝室に置いて、すぐに夜中でも出れるようにします。寝ていても仕事で起こされます。さらに葬儀場で家族や兄弟でケンカが始まったりもします。その目撃でも発言は許されません。私の母を担当してくれた人は東京でIT産業に携わっていました。遺体への化粧が上手でみるみる母が若返りました。ありがたい仕事です。

  4. ネット時代。

    損得を考えないのは「子供たち」ですね。黙っていても親や家族が守ってくれているからです。しかし最近は子供たちの間でも格差があって、それが原因で「いじめ」とかで命さえ落とす子供も多くなりました。ネット社会と言われて久しいですが、スマホやタブレットやPCが子供たちの中でもコミュニケーション・ツールになったのも起因しています。情報伝達の拡散スピードが速く、一気に悪い噂話や、でっち上げの偽情報などまでが蔓延してしまいます。ですから矢面に立たされた子供の苦しみは想像できます。男児のゲームなども戦闘ものが多く平気で人殺しを楽しむ内容のものばかりです。作者のプログラマーにとってソフト開発は利益を得る手段でしかないのでしょうが、その裏で子供の将来をも虫ばむ原因にもなって居るのです。確かにゲームにハマれば楽しいでしょうが、麻薬と同じで中毒にも犯罪にも成り兼ねません。平和を願う一方で仮想空間とは言え、子供たちに戦闘体験や殺人体験させるのはどうかと思いますね。今やネットで国内外ともつながって対戦する子供たちです。プロゲーマーとして?数千万円稼ぐ一部の若者にあこがれているようです。

    • 昨日、ある人から株式売買に入り、引きこもり状態になった若者について話を聞いてきました。年収を8000万円に設定しているみたいです。朝から晩まで(しかし就寝は10時、頭脳の冴えが失われるので早寝です)。こんなので金持ちになって幸せが来るのかと悩んでいました。毎日ひとり若者で1億円長者が株や取引で出ている現実があります。ゲーマーですか?若いときからTVゲームはしない(発売されていない)ので、もっぱらトランプ・マージャン・将棋でしたから、会話を楽しみながら遊んでいました。男の子は『戦い』『勝つ』女の子は『可愛い』がソフト開発の要諦みたいですね。

  5. ゼロ戦パイロットの弟。

    今や小学生男児の間でネット・ゲームの戦闘ものが流行っています。居ながらにして全国にあるどこかのチームに所属したり、中国人とも対戦したりしているようです。役割や階級もあるらしく「隊長」とか肩書で呼び合っているのです。子供の方がグローバルなどと思いがちですが、その裏には何か恐ろしい予感がしないでもありません。と言うのはバーチャルとは言え、戦闘好きの子供にジャンル分けされた個人情報が収集されたとしたら、過激派組織の魔の手が忍び寄る可能性だって否定はできません。ゲームの中では満足できず、実際の銃器を使ってみたいなどの単純な好奇心が実現できるなどとなれば中学、高校と成長するに従ってその筋の道に誘われ兼ねませんね。学校では「ゲームは決めた時間内で」とぐらいの指導ですが、子供たちは大人の目が届かないところでネット・ゲームへの時間を作ります。ゲームの内容やアニメの表現もエロ・グロものが氾濫しています。元号は5月から変わりますが、さて次代は良くなるのでしょうか?それとも、近い将来、悪の時代に傾くのでしょうか?利益を子供たちに求める大人は最低ですね。

    • 子どもの世界ではなくて、大人の世界で殺し合いや戦闘がなくなれば、ゲームソフトづくりも変わるかもしれませんが、現状のままだと同じようなソフト開発は続きますね。販売の戦略そのものが軍事用語で満たされてますからね。

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