女性にとって都合がよい夢は男にとって悪夢、男にとって都合がよい夢は女性にとって古臭い男の論理。
「パラサイトシングル」という単語を1997年2月8日日経夕刊で、基礎的な生活条件を親に依存して生きる未婚者たちに命名したのは1957年生まれの山田昌弘さんだ。
私も恥ずかしながら29歳まで自宅から通勤して、さらに家には一銭もお金を入れないで、すべて遊びと交際費に使っていた。元祖パラサイトシングルを地でいったような私がいまさら、「パラサイトシングル」を語ると言っても自分の青臭い時代を思い起こすようで嫌なものである。
この本では、こうしたパラサイトシングルの数が現代日本で1000万人になっているという驚愕の数値も出てくる。基礎的な生活条件として、住居費・光熱費・水道代・食費・車(親から借りる)などすべて親に依存していたら、特に女性の場合、ブランドや買い物、旅行へ注ぎ込めるお金が豊かになるのは目に見えている。もちろん貯蓄や老後に備えて生命保険に入ったりする。また、派遣やアルバイトであれば給与が安くて基礎的な生活費を取られては豊かになれないから、自宅にいると贅沢な暮らしができる。安全だし。
親の家がマンションや戸建てなら、ずっとそこに住み続けることも可能だ。しかし、経済はどうなるだろうか。家を出ると不動産が売れる(賃貸家屋が埋まる)、借りる人(部屋)が増えれば、電化製品や家具や寝具が売れて需要が増える。世帯数が増えて物も売れるというわけだ。個々に考えれば、日本の経済を成長させるために生きてるわけではないのも真実だ。
とはいえ、パラサイトならばどうだろうか。小さなテレビや元々あるもので間に合う。結婚についてはどうだろうか?女性のパラサイトシングルから考えると今の暮らしより、夢が膨らみ、豊かになれるなら、またこの人とずっと夢を紡いで子供を育てて、豊かな人生を送れるかどうか考えると二の足を踏む。そんな保証もないし、子育ては大量にお金がかかるし、辛抱な暮らしが待っている。男の方も女性から大きな夢を語られても、いまの自分にそれを実現させていく経済力や勤め先の未来が見えない。男からみれば結婚はハードルが高い。「女性にとって都合がいい夢は男にとって悪夢だ」。これは年齢とともに上がっていく。妥協しなくなるケースも多いとお見合いを成功させてるいる経験者は語っていた。
男の場合、パラサイトしていてもたえず外を見ているので女性と少し違う。機会があれば家から出ようとする意識も高い。親がそれをまた望んでいることも肌で感じる。私の世代で当たり前の価値観だった妻は地味に家庭を守ってくれよとでも言うものなら「封建的」や「古臭い論理」と笑われる。
パラサイトは寄生する親や家があって初めて成立する。寄生する木々が倒れた後(死んだあと)にどうなるのか。経済もどう変わるか?近々の課題で、最終章にその絵が描かれてある。65歳を過ぎても働き続ける人たちの背中に自身の年金の頼りなさとパラサイトする子どもたちを養わなければいけない現実も隠れている。さらに長生きする親の世代の介護や医療費を負担している60代も多い。ここの部分は見えにくいが、深刻である。引きこもりやニートも多い。外で働く以前の問題で苦しんでいる近所の親たちの苦渋に満ちた顔を見るのもつらい。同世代でも、多少年金が高くても毎月出て行くお金で赤字。
若い世代が、団塊世代を「年金食い逃げ世代」と皮肉ったが、個々の事情を見ると貧富二極化はここにもある。
坊主の孫。
経済状況が停滞している社会状況下ではパラサイトもますます増える訳ですね。家族みんなで協力し合って暮らすには二世帯同居もパラサイトも効率面から考えれば正解でしょうね。しかし、居候のみで経済的に親に頼りっきりではたまりませんね。子供への過度な愛情と精神的自立しない子供の間にも一定のルールが必要ですね。嫌がろうが、無視されようが、学校などから来る給食費や諸費用のように家庭内でも請求書を発行して自覚を促すのも一つの解決法ではないでしょうか。暮らして行く上での現実を肌で感じて貰うためにも。
seto
親が生きている間は食べていけますが、死んだときにどうなるのでしょう?兄弟がいれば、面倒がその人にいけばいいのですが、現実にそういう問題が起きてる。知り合いも親たちも苦しんでいます。小学校で習う科目に『人間関係を学ぶ』を追加して欲しいくらいです、勉強よりよほど大事な科目です。アホもいればいじめる奴もいる、優しい人もいれば他人に無関心の人もいる、スポーツ馬鹿もいるし多様で、そういう人とどういうふううに接していったらいいかを学べれば、生涯、その勉強は役立つはずですよ。そのために教員が自らの家庭や教員室での振る舞いを冷静に分析する必要があります。それがないと子供に教えれませんから。足し算引き算、読み書き以上に人間関係の学び大事です。
昔の少年。
結婚願望が薄れている原因の多くは経済的に苦しいからですね。若い時には将来性も不透明で、不安で一杯なのは今も昔も変わらないでしょうね。若さの勢いで恋愛がエスカレートして結婚して共働きすれば一時的に暮らしは安定しますが、子供が出来れば、共働きも思い通りには行かず暮らしは一変します。男性は子供を産まない代わりに家族の暮らしを支えるために稼がなければなりません。しかしその一家の働き手の長期的安定収入が得られれば問題は無いのですが、社会環境の変化や勤務先企業の浮き沈みもあって暮らしへの保証はありませんね。そこまで見越してしまえば結婚に踏み切る勇気が失せるのでしょうね。どんな時代も将来などは約束されていませんから、結婚してみなければ、また自立して見なければ答えなど出ませんね。人生は歩きながら考えるしかないのでしょうね。失敗する事ばかり心配していると何もできませんからね。
seto
最近、子供のいない夫婦が周りの多く、あれこれ聞くと、不妊治療を何度もして大金を使った話も遠まわしに聞きます。1回の費用が約30万円かかりますが、何度もするそうです。それに行く前に結婚ですが、国のために将来、働き手や税金を納める人材として子供をつくることは終わって、無理なく楽しい人生が過ごせればいいという人生観も増えて、それなら女同士でも男同士でもOKということでしょうか。女性にある男性ホルモン、男に流れる女性ホルモンがどういう機会に発揮されるのか図で映像で見てみたい気がします。
貧乏暇あり年中金欠病
血税を皮算用して国家予算などと大見栄切って振り分けるのが仕事と思っている人たちに底辺の庶民の暮らしぶりなど分からないのでしょうね。恵まれた待遇の人たちの頭脳だけで考える机上プランは口先で丸投げ、または指先でキーボードを叩くだけですから(キーボードも叩いた事の無い方も?いるそうですが)身体を使って働いていませんから、いとも簡単に、しかも密室で決まった後に表に出てきてゴリ押しですから、民主主義(現代版帝国主義)も驚きですね。ゴルフに、別荘に、海外旅行にと国家予算から自ら生み出したお手当で、彼ら彼女らはGWを謳歌満喫するのでしょうね。街中でも一足早い桜が開花しはじめましたが、今朝は季節外れの雪もチラホラ。あと3日も過ぎれば元号が令和とかに変わるそうですが、新しい時代が「冷和」?にならなければ良いのですが。
seto
霊和が合いそうな雲行きです。死んだ人たちが怒って甦る、官僚や政治家の国民イジメが続いてますから。メディアもヒドイ、何の厳しい現政権批判を出せない、電波が止められるテレビ局とか新聞代を消費税の例外規定にする飴をなめっている新聞社がトップから腐ってますから。既得権者は恐ろしいものです。変化を嫌います。ニューヨークタイムスが高収益を上げています。有料記事が大人気で内側からの政権(トランプ)批判を読みたい読者を増やしているのです。ワシントンポストやウォールストリートジャーナルもいいですよ。風通しの悪い社会は企業の中も沈滞、自由な言論空間が無くなって、私なんかブログがないと窒息しています。数少ない読書フェチの人が先日、脳こうそくで倒れてすっかり新聞さえ読まなくなったと奥様から聞かされてガックリした私です。会えば必ず紀伊国屋で新刊を買って、どれどれと本の話題から入っていったものでした。クラシックもフェチで無名な作曲家の音楽に凝りだしていました。私のブログの表題に似てきているなあと感じた矢先でした。
広告マン。
街中を闊歩する女性たちは華やかなファッションで笑顔も楽しそうに見えますね。その点、男性諸君はスマホ歩きでうつ向き加減が多いようにも思います。今や女性の時代なのでしょうか?そして、あの華やかさは一体どうしてなのでしょうか?。確かに同じ困難に置かれても、パニくるのは男性で、意外や女性はオタオタせずに肝が据わっている事が多いですね。それでも若い時はゼスチュアーなのか「きゃぁー!」とか「こわ~ぃ!」とか言って見せますが、一旦家庭に入ったり、勤務先で長く居れば、存在感も増して同年代の男性に比べても冷静で遥かに大人を感じますね。街中を胸を張って闊歩する若い女性諸君を見ていても既にその兆候を感じますね。がんばれ!男性諸君!
seto
同意します。昼ご飯を最近、居酒屋で食べています。ここにサラリーマンの集団が多数来てて観察するには、とても勉強になります。私もかつてはこういうメンバーでいたのかなと思います。もう女性の時代に入ってしばらく経過しますね。現代は感性の時代で、もっとも女性が生き生きする世相でもあります。賃金だけが彼女らの能力に見合わない不満は通底してます。パソコンスキルも高いし、話題も豊富、たくさん遊びたい、美味しい食べ物に食らいつく根性には感心します。男は冴えません。自分だけの勉強をしていないです。少しでも人間の品格や教養をアップさせて、世の中を上から下から外から見て自己判断をする癖がありませんから輝くはずもないのですね。『士大夫、三日書を読まざれば、しゃべる言葉に味がない』ということわざがあるのですが、知識量ではなくて知性量をアップするために毎日毎日、自分に課していかないと年齢を加えると特にその差が出てきますね。