トイレの話。
食についてはあれこれ書いてきた筆者だが、食べたら出す(出る)話を書いていないことに気づいた。たまたま『トイレ』(ミネルヴァ書房)というそのままズバリの本を見つけた。トイレ掃除たけなわの年末でもあるし。
スウィフトの本に裏切り者は緑色の便をするので、それを確かめに家来が王様の命で便色を調べる話とか、フランス文学者渡辺一夫さんの本に超美人でクラクラする女性を見たら、バランスを取るために彼女のトイレでのポーズを思い浮かべるといいとか、中村浩『糞尿博士世界漫遊記』(教養文庫)で尿を飲み水に変える研究をしていて、ソ連(現ロシア)で宇宙開発の関係者を前にした講演で、突然、自分の尿を出して水に変えてそれを飲んで、会場を唖然とさせたと。
誰しも実は糞尿に関しては、男女に関わらず失敗談含めていろいろなエピソードを持っている。その発表の機会がないだけだ。居酒屋で話されてるとは思うが、話せば『おいおい、食べているときに汚い話はよしてくれ、悪趣味だ』と嫌われる。子供は尿や便の話が大好きだから(おならの話も)、いつのまにかし尿・便の文化は入試試験問題からも遠ざけられてしまった。大事だと思うけど。
『トイレ』の本に戻れば、副題が排泄の空間から見る日本の文化と歴史。書き手がし尿・下水研究会だ。1998年に立ち上げた組織。会員は約20名。し尿・トイレ・下水道関係者が多い。『日ごろ、何となく口にするのがはばかれる話を、話題にしにくい話を幅広く情報交換する場をつくった』わけだ。古代、人間はどこでどういうポーズや環境で排泄をしていたのか?世界史の教科書には書いていない。日常の暮らしが書いていないのである。食べていないと生きられない生物としての人間だから必ず排泄をしているはず。
古代人は川を利用して排泄していた。天然の水洗トイレである。日本では縄文時代の貝塚やゴミ貯めから石化した便が見つかっている。糞石と言う。しかし、自然の中におおらかに男女とも大小便をしていたと思えば間違いないし、それが天然の肥料にもなっていた。川ヘリに突き出すように作られたトイレは世界じゅうで見られる。
私の義姉が万里の長城を見に行ったが『もう中国へは行かない』と言う。『どうして?』『トイレが丸見えところでするので嫌だ』と。水洗トイレに慣れている者から排泄に行くときに感じる違和感は大きい。水に流すトイレットぺーパーも使える国は少ないそうだ。ヨーロッパも下水道が作られる前は、自宅にある容器にし尿を入れて窓から『ご注意!』と叫んでざっと道路へ捨てていた。どれだけ匂う町であったろうかと想像する。ベルサイユの庭もあちこちで淑女がスカートを上げて何をしていたと思うと興ざめる。
一番、上の図は、江戸時代のし尿のリサイクル図であり、無駄の無い環境の江戸を示している。江戸の長屋20人の借家人が住んでいれば、1年でし尿を売り1両以上の収入がある。一人前の大工の1か月分の収入に匹敵する。2回目は厠(かわや)について書きます。
昔の少年。
大都市への一極集中化や、都市部への移住による過疎化の大きな原因の一つはトイレだったのかも知れないと思いますね。昔々の田舎暮らし経験者の僕でも、かつての暮らしに戻ってもいいですがトイレだけは我慢できるか?どうか疑問です。子供が小学生の頃に田舎の父を見舞いがてらに帰省した時、女児は田舎のトイレを拒否し、離れたJR駅に行ったり、食事も駅前のスーパーで買ったお弁当を食べたり、風呂はかなり離れたスキー場の温泉ホテルに行ったりと大変でした。自分は我慢できても子供たちはもはや耐えきれない時代になっているのです。男児はトイレにカマドウマが居たと言って飛び出してくる始末です。あんな虫は田舎では当たり前ですが、都会育ちは小さなクモやいろいろな無害な虫さえも怖い存在なのです。子供の頃はクモを餌にしてイワナ釣りをしたものですが?。溜めゴエ式のトイレは災害時の時の訓練にもなると思うのですが、水洗で汚物を目に前から水に流して消し去る事に慣れてしまった世代には耐えられない事なのでしょうね。実は自分自身のものなのですが?。
seto
人間自身、腸内細菌やバクテリアの住処で、それがないと消化もなくて人は生きていけない。わたしも小学校4年まで肥溜めのトイレでした。便所と言われて、紙も新聞紙やチラシを揉んで柔らかくして使ってました。次は茶ちりで、その中に活字も残っていて読んでいた記憶が蘇りました。とにかく清潔好きの都会人が多くて、ピンチ(災害など)に子供を含めて弱い住人になってることだけは確かです。食べる=排泄ですから、栄養のバランス云々前に、ミシュランガイドより排泄教育のほうが大事だと思いますよ。
坊主の孫。
大きな川は子供たちの遊び場でした。魚を獲ったり泳いだり、河原で遊んだりと楽しかったですね。そんな川も、上流の村で伝染病のチフスやコレラ患者が見つかれば、川遊び禁止令がでました。病人のオムツを川で洗濯するからだそうです。その川は清流での鮎釣りのメッカで他府県からも大勢の釣り人達が鮎釣りに訪れるところでした。しかし夏になると何故か伝染病が上流の村落に出るのです。暮らしそのものが不潔なのか?ほかになにか原因があるのかは判りませんが、いつも同じ村落です。下流の僕たちは遊べない夏は仕方なく三重連のSLが引くスイッチバックの峠を超えて海に遊びに行ったものです。さすがに海は広くて殺菌能力も高いのか?悪天候以外、伝染病などで遊泳禁止にはなりませんでした。川は昔から汚物を流す習慣があったのでしょうね。水洗トイレもその原理の発想とも言えますね。人の目に見えない地下の下水管を通って行き先は下水処理場ですが。
seto
上流で事件は起きますね。札幌の豊平川ではコレラや伝染病はなかったですね。それより子供がたくさん溺死しました。夏休みです。イカダづくりをして流されて助けられたとか。先日下水処理工場で汚泥を肥料にして安く売ってました。匂いはしなくて人気があります。市民の野菜作りが流い行ってますから。食べ物→排泄→肥料→食糧の循環が見えます。宇宙飛行士も尿と便の処理はリサイクルまたは地球に持ち帰るとのこと。バクテリアで処理しているかもしれません。幼稚園児も(うんち)の本が大好きですから、排泄物を目に見える形で利用するいいアイデイァをいずれ生み出すでしょう。どちらにしても田舎暮らしは都会人、必須ですね。不便さを実体験しないと話になりません。
リサイクル&エコロジー
バキュームカーが無い時代には、各家の父親が天秤棒で肥桶二つを吊り下げて歩いて畑に行き、長い柄の大きなひしゃくで野菜畑に撒いていました。道すがらこぼした肥が臭くてたまりませんでした。野菜畑にもその名残があって子供ながらに気味が悪かったものです。そんな野菜を食するせいなのか?学校での検便などでは回虫や蟯虫が見つかりました。今の子供たちには想像もつかない事でしょうが?便と一緒に長い生きた虫がにょろにょろ出て来た時には恐ろしくなったものです。田舎もバキュームカーが来るようになってからは回虫や蟯虫も少なくなったようです。田舎では今でもトイレは溜め肥式なのでしょうか。不潔とは言え、本当の意味のリサイクルでエコロジーは昔の暮らしそのものだったのですね。 臭い物は見ない見せない時代ですね。
seto
札幌の街中もバキュームカーでホースを各家の肥溜めに入れて、タンクに収容してました。しかし、ホースの先から糞尿が漏れて砂利道にこぼれて、においが拡散して、大人も子供も手で鼻を覆ったものでした。回虫はおなかにとって大事で、ある生物学者はわざわざ回虫の大きなやつを腸に入れて育てている人もいます。私は中学で保健委員をしていて、年に1回の検便があり、バケツでプラスチック容器(ベントールという絶妙なネーミング)を集めてました。中にははみ出している人もいて男女全員集めてましたが、女子は嫌がりましたね。『臭いものにはフタ』をしすぎで真実が見えなくなっている現代です。