照れくさいブログ読者の出現。
ブログを始めて4年になる。グーグルアナリシスで調べると、私のブログは一日平均30から60アクセス。滞在時間は2分15秒くらい。新規が80%、常連が20%である。男女比は男65%、女35%。年齢は30代~40代が一番多い。つまり自分の娘や息子の世代が読者の中心になる。私のブログアドレスと題名は妻や子供たちへは教えていないから読めないことになっているし、読ませたくない。照れくさいのである。日常の家族が読んでいるとなると、彼らの顔が浮かんで書けないところが出てきたりする。それが最近、わたしのブログを長年読んでいたと名乗りを上げた人が出てきた。大阪の人である。グーグルアナリシスを利用した人ならわかると思うが、読者の所在地もわかる。そういえば『OSAKA』の表示は彼だったのか?!私と同じ団地に住んでいたが、定年で大阪の自宅に帰り、団地内の自宅を売却することになり、久々の電話で『ブログ読んでます』と告げられた。彼にとってまずい話は書いてはいないが、照れくささが最初にやってきた。なぜだろうか?私のブログに元住んでいた団地の空気が感じられたのかもしれない。アクセス数を増やすために「ブロガー」と書いた名刺をつくって撒いていたのだから増えるのはいいことでは・・と思うかもしれないが、照れくさい。越谷に住む妹夫婦や川崎に住む兄夫婦から「お前のブログを読んでいる」とコメントや批判が来てもきっと恥ずかしいと思う。それに反して中学の同級生が単身東京で一人暮らしをしていて「毎日おまえのブログを読んでいて楽しかった。あの記事・運動会でザトペック走法で走るおれを書いたな!」と言われたときは嬉しかった。中学3年の担任も高齢でクラス会出席も最後だから、飛行機で飛んできてねという誘いであった。私の住む団地住人や親族は私のブログには気づかずそっとしておいてほしいものである。
昔の少年。
私も2本ほどブログはやっていますが、アナリティクスで数値を見るほどではありません。何故なら、さほど読まれていない事と、アップする頻度自体が少ない事。そして興味深いテーマが少ない事が原因なのでしょうね。ですからアナリティクスも数値として反応しないのでしょう。つまり他人は余り読んでいないブログで、あくまで日記の域を出ていないようです。貴殿のように読書がライフワークの場合のようにモチーフやテーマが少ない事もありますね。もちろん、誰にもPRはしていませんが。
seto
同じカテゴリーのブログとはいえ、人によってこんなに違うんだと思いますね。(1)日常日記(2)写真(3)勉強発表の場(4)情勢分析(5)芸能。私は(4)を目指しているのかもしれません。体力やお金がないので遠くに取材を敢行できない寂しさを読書で補ってるつもり。ネットニュースはすでにはニュース選択からバイアスがかかってますから多様なメディア(せめてニューズウィーク日本語版)に接しないと、大脳が退化してしまいます。ブログはそれを是正してくれる(田中宇・松岡正剛)のでありがたい。私的過ぎる文はそこに客観性(一般性)がないといけません。
広告マン。
まだ使い切っていませんが、効果測定にはアナリティクスは重宝ですね。自分のブログと言うよりビジネスに有効に使おうと工夫してはいます。現実を把握し、次への企画等に活かす事ができますからね。最近ではマス媒体離れが急速に進んでいて、ネット媒体が主流になりつつあるからです。リアルタイムでも調査データも見れますから活用すれば便利な機能ですね。
seto
アナリティックスの利用は進んでいるとはおもいます。リアルタイムはツイッター投稿がすごいですね。HPをフェイスブックで作ってる弁護士さんを知ってます。分厚い6法全書もスマホにソフトを取り込んで使ってます。もちろん自宅パソコンにバックアップは取ってますがね。黒皮の椅子と背中の法律の本だらけのイメージを変える若い世代の弁護士が台頭してます。フットワーク軽い。ネツト関連の裁判案件も増えてくるので彼らが次代を担うでしょう。「照れくさいブロ」グなんてテーマは彼らからみたら「お遊び」でしかないですね。
坊主の孫。
自分は周囲の人たちの中でどのように見られているのでしょうね。家族たちが知る自分と、他人様が知る自分。常に二人以上の自分がいる事に気づきますね。自宅で。友人と。お得意先で。勤務先で。と、その都度相手に合わせた自分が居ますね。接する人それぞれに対応した能力が自然と身についてしまっているようです。二重人格と言うよりも、むしろ多重人格なのかも知れません。でも冷静に考えれば、本来の自分はどこかにある筈ですよね。自分探しの旅とか言いますが、一度、環境を変えて見るのもいいのかも知れませんね。若い時には思い切って、過去の付き合いから離れて、環境を一変した経験も何度かありますが、年々冒険しなくなっている自分に気づきます。長年勤務の会社を辞めるとか、性格の不一致とかであっさり離婚なんて人も居ますが、これも一種の冒険ですね。こんな出来事等を自分史としてブログにアップすればアナリティクスのグラフも激しく上下動するでしょうね。
但し、ブログネタに登場する関係者には見られたくないと言う心理は働くのでしょうね。
seto
自分ってあるようで実はないのかもしれません。人や物との関係性の中で自分の影らしき人が出てきて会話をしたり運動をしたりしているだけかもしれません。私たちは法律上、氏名と年齢、住所で個人を捕捉するため、学校で個人としてカウントされますが、近代国家は税金を納める対象として、兵士として招集する駒として考えられたに過ぎなくて、本来的に自分自身をと考える時間や暇を与えなかったのでしょう。無我夢中で働いたサラリーマン時代の筆者もそうです。いざ、自分は?となると何もないかもしれず、とってつけたように趣味に走ってみたり、OB会へ向かったり、余裕のある人は海外旅行や車の購入へ向かいますが、そんなことをしても自分の空しさは埋まりません。いっときの満足で「次は何?次は何?」と言って、棺桶に向かってるにすぎません。自分って自分の肉体だけかもしれませんね。
ホランペッター。
毎日更新のあなたのブログには感心しています。大変だと思いますが、ここまで続けられたわけですから、このまま続けてください。私たちが知らない書籍の紹介などは大変参考になっています。他の方々もそうだと思いますよ。陰ながら応援しています。
seto
ありがとうございます。