メールあれこれ。
先日会った社長さんへ、『私のメール届きましたか?』と電話すると『いつの何時頃に送られましたか?』と聞かれ、『時間までは記憶がないので・・』と曖昧返事。『一日100本のメールが来るので探すのが大変なのです』。社長さんも返信を書くだけで一日が暮れてしまうだろうと同情する。東芝の仕事をしていたときに、『メールは10行以内、後は添付ファイルで送ること』というルールがあった。今はどうなのか知らない。こうでもしないとビジネスにならないらしい。しかし、要を得たシンプルなメールは案外難しい。私は時候の挨拶から始めるからどうしても長くなる。現代はメールの本数に比例して文字表現が溢れていて、誰も彼も文字を書くのでその量たるや天文学的な文字数になろう。音声なら録音でもしないと残らないが、一度書かれたものは削除が相当難しいので注意しないといけない。愛国者法が成立したアメリカではグーグル、フェイスブック、ツイッター、マイクロソフト社は国家が強制的に捜査できることに同意したので、メールのやり取りに犯罪の臭いでもしていたらアウト。ご存知の(検索キーワード)で絞り込めばメールを隠し読みできる(?!)制度になっている。メールの一日の本数の話から突然愛国者法へ話が飛んだが、メールの良さは時間差で、好きなときに書いて好きなときに読む。それも24時間OK、いや来週でも来月読んでもいい。削除や無視してもOK.しかし、メールにシャカリキになる時代がいつまで続くのだろうか?いずれ飽きが来ると私は思うが、これに代わる何か(何だろう?)も出てくるかもしれないが、インターネットでこのメールという発明物に代わるもの、私の予想どおり飽きがくるのだろうか?他人と会話したい、知らない人とでも文字交換したい欲望があれば無くなることはないが、私たちは今後どうなるか未知の世界に突入している。最近、メール疲れやスマホが大脳に与える悪影響の論文や書籍が増えている。そして毎日、メールを見ないと不安になるメール中毒も増えた。終わらないメールを次々書いてくるからいつまでたっても眠れない。そういう経験はあるだろうか?聞いてくれる人が欲しいのだろうが、相手の寝る時間を考えて欲しいと思うのだ。しかし、中には深刻なメールもあるかもしれないので起きている間は読むが、緊急性のないものは私のパソコンへ送って欲しいものである。
広告マン。
原則として緊急時にはスマホでショートメールしか使いません。文字数が多いと行きません。スマホにもメールアカウントはありますが使いません。その他の大したことの無い連絡事項はLINEです。PCは会社で2台にそれぞれ2本設定していて仕事のやり取りや原稿の送信に使っています。それら全てはそれぞれのPCの他に鞄の中の15インチPCや13インチPCでも共用しています。急ぎの場合にはPCでどこでもメールは見れて制作の仕事も出来ます。でもやっぱり大きな画面で作業した方が疲れませんからメールや作業はオフイスに限りますね。
seto
たくさん使ってますね。落とさないように、忘れないようにしてください。メールはショートメールだけ。妻から買い物依頼のメッセージ入ります。PCや携帯が出てきて、営業は追いかけられて休みの境が無くなってる気がしませんか?ある営業は8月は休みゼロだと嘆いてました。イベントがあるとそうなる業界はまだまだあります。
坊主の孫。
メールの内容やブログやその他SNSの文書内容チェックはAIがチェックリストに従って見つけ出し、それなりの対応をされるようです。我々は必ず到達すると思い込んでいますが、ネットはガラス張りなんです。国によっては配信や受信できないようにしていますね。そんな時代に対抗して最近では「手描きの文書や絵」を「写メ」して送る裏ワザが流行しているそうです。これなら、どんなきわどいワードでもAIも見つける事が出来ませんからスルーしてしまうそうです。活字より筆記へと時代は逆戻りしています。
seto
逆戻りですか?手描きの文書・絵ですか?AIに見つけられない・・・どちらが主人かわかりませんが、AI普及でリストラ進行してますね。金融中心に。
昔の少年。
考えてみれば「ネット」に比べれば「手紙」の方がセキュリティー面からは安全ですね。ラブレターの時代を思いだいますね。全寮制の高校へ入学して直ぐに女性から来たラブレターを同級生の同室者や先輩たちに羨ましがられ「見せろ、見せろ」とせがまれたりしました。ラブレターの時代の恋愛は全てプラトニック・ラブで終わりましたが、あの頃の手紙のやり取りはネット時代の今より新鮮でした。何通も書くうちに手書き文字も次第に旨くなったものです。今では自動変換機能のため漢字は忘れ、変換間違いやミスも沢山あって、とてもラブレターにはなりませんね。
seto
そんな題名の映画もありましたね。ラブレター。何通も私は書きましたが、上手な字、下手だけど一生懸命書いた間違い漢字、ポストに入れずに相手の自宅の郵便受けに投函してきたり、赤面しながら手渡しをしたり、様々でした。その当時の書き癖がいまのブログにつながってるかもしれません。ブログにも見えない読者へのラブレター要素がありますから。