何でもパワハラになってしまう!
江戸時代にあった私塾風景の絵を見ていると、漢学に素養のありそうな教える人がいて学ぶ少年がいる空間があったとして、子供たちは腕白ばかりであちこちで遊んでいる。ほかの生徒の邪魔になるなら拳骨の一つも先生から食らって、『えへへ』と笑い飛ばしていた時代があった。大きな声を上げ、本を読んでいる子供もいる。賑やかな光景で微笑ましい。私の通った小学校は、一クラス60人。私はクラスで背が一番小さいこともあり、座る席は一番前。注意力散漫に毎日を暮らしていた。小学校6年での転校でもあり、遠慮もあってのんびり目立たずの特性のない少年として過ごしてきた。あたりまえと言えばそうだが、この性格は60年経過してもさして変わらず(と、思うが)転職した4つの職場でも特性のない男になって遺憾なく発揮されて、私の営業スタイルを支えてきた。それが、ある時期からセクハラ・パワハラが職場内で問題化されて今日に至る。親会社が大きな企業でもあり、女性社員や女子バイトがたくさん雇用されていて、管理職を中心に『何がパワハラになるか、どういう言動がセクハラになるのか』という研修会の予定のポスターが廊下に貼られていた。講師はほとんど女性。私は興味はなく、セミナーには不参加であった。参加下人に聞くと、相手が不快に思う言動がまずハラスメントの対象になるのだなという印象がぼんやりわかってきて、特に女子社員との会話が難しくなってきて、親しい人は私に『あなたの発言はセクハラに該当するから気をつけてね』とアドバイスもあった。『同じことを言われても、嫌いな上司ならハラスメント対象だが、好きな上司なら気にならない』と打ち明けられたこともある。ハラスメントは主観なのか。明らかな痴漢行為や怒鳴りはハラスメントだとして、男ならパワハラに転換する。会社の中での社員同士の会話がぎくしゃくしてきたのは、コンサルタント会社の講師やハラスメント専門業者も雨後のたけのこのようにできて稼いでいたころからのような気もする。何でもパワハラと言えば、相手が黙ってしまう習慣が蔓延して、丁寧に説明することが、相手への断定であったり、決めツケであったりして、人間関係をギクシャクさせている気がする。どの世界でも丁寧さが失われ、不正な検査や虚偽の報告書書き、SNS上での感情的な発言や平気で(死ね)という究極の言葉を吐ける無神経さ。
昔の少年。
小学6年生の時の担任の先生は「赤カブ」のあだ名でした。怒ると真っ赤になって、まるで赤カブ大根のようになるからです。教壇では何時も長い真竹の棒を持っていました。最前列に座らされた勉強嫌いで少し変な女子の居眠りが始まると木製の机を叩くためでした。時には悪さをする男子は頭も叩かれていました。僕は教室の授業が見える廊下で両手に水を入れたバケツを持って立たされました。授業前に他の奴らと取っ組み合いの喧嘩をしていたのを見られてしまったからです。でも、ただ立たされていてもつらいので授業を聞いて大きな声で答えを言うと許されてバケツの刑も免除されました。卒業式にはどの先生よりも涙を流して送ってくれました。赤カブ先生は今でも僕たちの心の中に居ます。そんな教育方法に親たちも文句を言うどころか感謝していました。
seto
そういう名物の教師に会えただけよかったですね、羨ましいです。私は放送部の顧問の先生が好きでした。ビートルズの曲を校内で流すのを許可してくれたからです。セクハラといえば中学1年のとき机を掃除のために後ろに移動するとき、綺麗な女の子のお尻に手を当てて一緒に押していた助平担任がいました、教育委員会で出世したみたいです。
ゼロ戦パイロットの弟。
成人してから一度だけですが、同僚を職場で殴ってしまいました。殴った訳は僕の不注意で重量物を足の甲あたりに落として余りの痛さに蹲って居た時、傍にいた同僚が「それをやるのは間抜けな奴ばっかりさ」との一言に、一瞬キレて相手の顔面を拳固で殴ってしまいました。彼の眼鏡は吹っ飛び鼻血がでましたが「覚えていろ!」と言われましたが反撃はして来ませんでした。しかしその後は居づらくなって職場を辞める事にしました。それからは息子と喧嘩した時に一度だけ殴り合いはしましたが、他人様には一度も手をあげた事はありません。苦い思い出せすね。今なら傷害罪とか犯罪に成るんでしょうね。
seto
まったく殴り合いの経験がないので、その世界はだめですね。プロレスやボクシング、格闘技全然、ダメですね。機動隊に石とアスファルト剥がして何個か投げた程度です。安倍政権にも紙つぶてを飛ばしたい気分です。
匿名
言葉の暴力は長く務めた会社の支店長から受けていました。一時は、耐えきれずに通勤途中に過呼吸症候群になって出社拒否したくなり病院に行って休みました。そうしたら尚更攻撃的な言動はエスカレートしてきました。会社に行くよりも得意先のほうが精神的にラクでしたから、朝の嫌な会議の後はクルマで恵庭や千歳方面に行って夕方遅く戻るようにしました。会社を出ると広々とした牧場など見ながらのドライブは心が休まり快適な空間であり時間でした。深刻でしたから、僕の席の後ろには野球の木製バットが立てかけてありました。同僚が「このバット?何なの?」と、「ああ、アイツの頭をぶん殴るためさ!」と。同僚たちは大笑い。僕も殴るつもりはさらさら無かったのですが、鈍感な当時の支店長には理解できなかったと思いますが、ささやかな抵抗でした。言葉の暴力ほど人を傷つけるものはありませんね。
seto
言葉の暴力を発する人に共通するのは、以前、彼らもどこかで誰かに同じような目に遭っていることです。連鎖してます。親からだったり同僚からだったり、突然、出てきますが、言われるほうはたまりません。相手を怒鳴る文化って身近に筆者はないので、電車の中で、高校生が怒鳴るような喋り方を聞いて、耳を塞ぎたくなりますね。
広告マン。
女性だから、男性だからと言って区別しないで同僚や部下にも名前を呼ぶときには「さん」付けにしていました。僕の嫌な体験からそうしたのです。当時の上司は「おい!」「お前!」昭和初期までの軍隊調の言葉で、名前に「さん」付けどころか「呼び捨て」でしたからまるで奴隷でも扱うような態度に内心煮えくり返っていたのでした。言葉の使い方で人格も判断されますね。
seto
肩書きよりさんづけがいいですね。肩書きで呼んで欲しい人もいるようですが、無視します。バッジと肩書きを外せばただの人です。ウンコとオシックするただの人です。
ホランペッター。
最近の男性は女性に対して積極的になれない原因の一つにパワハラやセクハラ問題が絡んでいるのでしょうね。男女の恋愛にはある瞬間、どちらかが積極的に行動しなければ進展しないですね。しかし、もしも男性の片思いなどで積極的になろうものならセクハラだとかストーカーだとか犯罪者扱いされ兼ねません。ですから恋愛にすら余程の勇気が必要なわけです。このままエスカレートし続ければ結婚しない社会が常態化して更に少子高齢化現象にもつながり兼ねませんね。
seto
恋愛はすとーかー行為含みますね。したらわかります。嫌われると(あの人ストーカー!)と拡散される危険があります。生き辛い世の中になりました。
小さな職場の住人
余程気の置ける人としか冗談話も出来なくなりました。職場などでは杓子定規に相手の顔色をうかがいながら、言葉を選んで、できるだけ手短にとなります。ほとんど会話にはなりません。「おはようございます」「承知いたしました」「行ってまいります」「ただいま戻りました」「お先に失礼します」「お疲れ様でした」他人行儀な職場内での会話です。
seto
他人行儀ですね、親密さが失われてます。企業内で不祥事や不正が起きる環境が整ってます。隣の人に関心が薄れ、たくさんの犯罪が止められる(干渉することで止める)のに発生させています。犯罪を犯す人間には最適な環境です。なぜなら、ガソリンを運んでいても誰からも注意されないからです。