イトーヨーカドー恵庭店29日閉店。
37年間、筆者の団地生活を支えてくれたイトーヨーカドー恵庭店は9月29日(日)午後7時で閉店。28日は8の付く日で5%引きも加わり、駐車場は超満員であった。私は28日、ヨーカドーへ3回行き、買い物をした。800円のネクタイを先ほど買ってきた。サービスカウンターに並ぶ社員はレジの長蛇の列を見ながら寂しそうであった。27歳で私が初めて勤めた広告代理店が、イトーヨーカドーのオープンイベントの下請けをしていて、オープンセレモニーやオープンに向けた準備の仕事をした。店に来る車の誘導指示の看板を取り付けるため近所の地主と交渉もした。年間使用料の契約書も交わした。真っ赤な制服を着たヨークガールがテープカットに並ぶので、彼女たちの着替え室を用意するため近所の部屋探しもした。正月イベントは1月2日から餅つきをするので、自宅にあった石臼と杵を店まで運び、もち米をヨーカドーの調理のおばさんに渡して蒸かしてもらう。終われば臼を水洗いしてまた実家へ戻す。店内へアナウンスコメントを書いて流してもらう(何時から中央催事場で餅つき大会があります)。イベントをするのは大変である。楽なのは、下請けに丸投げして利ザヤを稼ぐ元受代理店だが、そういう仕事ばかりしているといざというときに現場の仕事が心身ともできなくなってしまう。部分の仕事の積み重ねが多いことを学ばせてもらった。段取りが7割8割できれば仕事は終わったも同然というのはこういうことなんだとしみじみ思う。イトーヨーカドーは私を鍛えてくれたスーパーでもあって隣町のダイエーの閉店とは感慨がずいぶん違う。当時、出店ラッシュのイトーヨーカドーは社員にも勢いがあって、下請けには威張る輩も多かった。なかでもSM(ストア・マネジャー)はヤクザみたいでひどい人材集団だと軽蔑していた。それにしてもいつのまにか周囲はスーパーだらけになって地域の小売店は壊滅、スーパー同士も共食いとなり、消費者も子供が巣立つと絶対購買量が減ってしまう。イトーヨーカドーはしかし衣料と寝具に強かった。私も含めて近所のスーパーは食品と薬に特化しても衣料と寝具を置くスペースは確保していない。イトーヨーカドー恵庭店は1階の広々としたスペースにあらゆるジャンルの商品がそろって、2階に売り場がない年寄りにとっても導線に優しい店舗であった。次はこの店に何が来るのか来ないのか?壊されてマンションでも建つのか?噂はまだない。
広告マン。
私は広告代理店の中でもいち早く不動産広告を手掛けた一人でした。最初は、年頭の社内会議で、それぞれが今後の抱負を述べるのですが、制作出の私が「今年は不動産を手掛けます」と言ったら、当時の支店長は「そんなヤクザ商売はやめておけ」と。そこで「不動産と言っても、町の不動産屋ではなく大手ですから」と。ダイワハウスと野村不動産と大成建設系有楽土地などから始め住友系も。戸建て分譲住宅やマンション系と、札幌、小樽、恵庭、千歳などで相当の扱いを受注しました。その頃の一つに初期の恵庭の恵みの団地開発に関わっていました。大昔は漁川の河川敷でしたから柳の灌木が生い茂る土地でしたが、大量の砂利が獲れるとの噂で恵庭駐屯地の若い自衛隊員たちが前借して土地を買ったと聞きました。そんな彼らは砂利を売るどころか、嬉しい誤算で、住宅ラッシュ時代の到来による恵みの団地開発で土地を売却して大儲けをしたそうで、正に「恵みの土地」だったわけです。最初の頃は現在の恵み野駅前の僅かしか住宅はありませんでしたから、仕事柄現地を訪れるたびに見かける若い主婦が本町まで歩いて出かけるのを見て「買い物も大変だろうな」と思っていました。その後しばらくしてイトーヨーカドーができ駅前も便利になりましたね。今では商業施設も増えて大団地になっていて、36号線も団地内を縦断して元の本町はすっかり寂れてしまいましたね。あの当時の面影はすっかり無くなりました。バブル前の鍋底景気以前に不動産も盛んでしたから、各大手広告代理店も遅ればせながら不動産に手を出し始めました。私はバブル崩壊寸前で不動産の仕事から手を引きました。それにしてもヨーカドー撤退は残念ですね。
seto
この団地は不明朗なお金の動きもあって、新都市開発公社の理事長が交番前の角地を持っていたり(奈良県在住)、夏場だけ丸木で作った別荘に若者がたむろしていたのも見かけました。イトーヨーカドーの土地は駅前に住む人が地主です。地代が彼に毎年入っていたのですね。近所の農家の人は公社に農地を売って親戚じゅうの人に土地を区分し(約20軒)、住んでる人もいれば誰かに転売しています。親の田圃を売って億マン長者になったが特養老人ホームに寄附をしている人もいます。バブル崩壊で不動産の自営業者が自殺した人もいます。私のよく行くファッションお店の店員さんは新札幌に再就職するので、今後そこに行かないといけません。いろんな事件や物語があった37年でした。シャッターが閉まる瞬間を動画で撮影するため6時にはヨーカドーへ行く予定です。