ナンバーワンならツベコベ言われない!
私と同じ年齢でまだまだ事業意欲を失わない女性がいる。今ならどこでもあるけれど、ブランド品のリサイクルショップを40年前から金融機関に勤めながら経営をしてきた女性である。先日、新店舗に挨拶に顔を出してきて、のんびりお互いの人生を語ることになった。
昨年、お母さんを看取り、意気消沈するかと思えば、勉学意欲も出てきて『経営学』をある先生について学びたいと早稲田を受験するが落ちて、そのショックから立ち直れないと言ってはいた。小学校に入るも皆と同じことをするのが嫌で今でいう登校拒否。携帯もない時代で家庭は『娘はいつもの時間に帰ってきた』、学校から見ると『体調が悪くて休んだのだろう』で10日間過ごし、さすがに先生が自宅に様子を見にやってきた。学校へは通うようになるが浮いた感は取れず、変わった子どもで通す。干渉や指示されるのが嫌いな彼女の発見は『何でも1番になればつべこべ言われない』であった。
猛勉強をして中学・高校を過ごすが、お父さんの建築会社の倒産で大学進学を諦め就職へ。最初、地元のテレビ局から内定をもらい、内定の挨拶に行くと当時の局員が『今度一緒に仕事する○○君か。君みたいな可愛い女性にコピーを取ってもらうのは嬉しいね』と。次の日、彼女は『お宅の会社へは行きませんので内定取り消し願います』と電話。仕事をするために行くのであって、そのレベルの男たちの職場に嫌悪を感じたのである。ここでも何でも一番の原則を発揮して、金融機関への就職選び。都銀より地元信用金庫をターゲット。試験は1番で合格。会長の秘書になる。
それから自分のアイディアをどんどん実現させて、社会福祉事業や文化事業、地元の企業家向けの経営者大学創設に邁進した。特例で自分自身も事業として『ブランド商品のリサイクルショップ』を経営し、成功を収めて、東京代官山へも出店したが、彼女が常駐していないゆえに、経営を任せていた男に店の売上げ持ち逃げされて失敗。信用金庫を50代で辞めて札幌市内で4店舗に増やした。商品は市内の奥様族から電話が入り、取りに行く。山のようなブランド衣料品やバッグ、宝石類を格安で買い付け販売する。
しかし、テナントビルのトラブルに巻き込まれて万事休すと思ったら、市内中心部の小さなビルで1店舗だけ店名を替えて再開していた。とびぬけたバイタリティーだ。長唄や日本舞踊・お茶もやるのでそちらの人間関係も広い。『活躍する女性』コンテストの北海道代表に選ばれたこともある。他人と同じことをしたくないので、めまぐるしくアイディアや夢が浮かび、走ろうとする女性だ。そのパワーを筆者も10%は欲しいと思う。書くのことも大好きなので、書き出したら止まらなくなるとも言っていたから、いずれ自伝ができるかもしれない。それにしても小学校時代の彼女の生き方が60年たっても変わらない。さらに自分ではブランド品を身に着けない。
ひとつ書くのを忘れていた。ススキノでバーを開業した。『五番街のマリー』という店で、そこは女性だけが入れるバー。連日満員が続いた。しかし、代官山の店同様、使っていたバーテンダーに2000万円を使い込まれて閉店。前のめりに走る彼女なので後ろを振り返る(お金を計算するのが苦手だ)ことを忘れたみたいだ。
坊主の孫。
人生いろいろですね。走る人、歩く人、立ち止まる人、考える人、考えない人、それぞれに個性がありますね。いろんな分野で飛びぬけている人はおうおうにして変わった人が多いですね。幼少期や思春期に不登校だったり、貧しかったり、環境が整い過ぎて居ないほうが自立心は育まれるようですね。
seto
こういう人が身の回りにたくさんいると面白い社会になりますが、失敗してもOKなようなセーフティーネットも欲しいところです。環境の整い過ぎは指示待ち人間の集団になって、慣例重視で誰がしても同じ結果なら、つまらない仕事にしかなりません。仕事は楽しくないと病気になりやすい、イヤイヤですると。本音は他人がイヤイヤなのかもしれません。彼女の場合、相手を信頼・信用し過ぎなくらい大事にするから、そういう面で苦労をしたと思います。30年以上、横で見ていますが・・・。