29歳で結婚して4つの転職をしたが、33歳のときが今から思えば最後の転職であった。家賃1万4千円の道営住宅に住み、子供も生まれ、次の転職を目指して車の免許試験不合格を繰り返してやっと取得。新聞の求人に求む営業、年齢30歳まで。3つ年齢を超えているから無理かなと思ったが、新聞社系の代理店なら受ける価値があるかもしれないと思い、札幌ファクトリー前の公衆電話に入り、もしもし、33歳なんですが、よろしいでしょうか?総務課長が出て『前に営業経験があるなら履歴書出してください』。応募者68人でペーパー試験。最後は作文、『私の自己PR』だ。運よく4人の最終面接に残った。銀行員もいたしIBMの人もいた。結果は私一人が過去の営業経験を買われ採用された。入社後、感じたのは『あのとき文面どおり、私は33歳、募集は30歳までで電話をしていなければ採用はない。思いきって電話をしたことで暮らしが変わったということ』。それで貧困から脱出できた。運と偶然の賜物である。しかし、私の入社以前に、一人の営業マンが退職に追い込まれていた事件があった。スポンサーの倒産で1000万~2000万の損失(伝票がなくて正確な数字不明)を出して責任を取っていたのである。社長から追い出されたかっこうである。部内では一番仕事をしていた人であったが、お金の管理がずさんで自ら招いたとはいえ、彼の数字を利用して自分の仕事を助けてもらっていた同僚たちは彼のために救いの手は出さなかったらしい、知らん顔である。彼と同期の同僚は『辞めたほうがいいよ』と進言する始末、ひどいものである。ひとり課長だけが『管理責任』を取って辞表が出したが、却下された。それは後で知ったことであるが、辞めた彼を待っていたのが次に離婚であったり、聞くと悲しくなるが、そういう背景の中での私の採用であった。辞めて空いた席に誰かが座る、組織やシステムではよくあることであるが、自分自身が誰かの犠牲の代償に生きているような気もするのである。そういえば高校や大学の受験もそうだ。こういうことを小さなころから繰り返していると合格を繰り返していると、それが当たり前になると、他人の痛みに鈍感な人たちを輩出することになる。他人の痛みは自分の想像力で補うしかないのだが、どこかで自分の体験を核としているはずだ。苛められたことがある、睥睨されたことがある、貧乏人扱いされたことがある、アホ・バカと言われたことがある、頭が悪いと言われたことがある、ブ男・ブスと言われたことがあるなどたくさんの体験が根になって私たちの情操が表に出てくる。そして頑張りも同時に出てくる。何でも隙あらば『自慢合戦の世の中』『一言で貶める世の中』になってしまった。嘘の広告が氾濫して(広告の起源は嘘かもしれない)自分を大きく見せることに慣れてしまったのかもしれない。まるで自分も相手も1個の商品として売り込まないといけない強迫観念に振り回されて。終わり方が変なブログになって申し訳ない。

  1. 一本の電話から、大きな仕事が発生した事はあります。昔になりますが、或る国産自動車ディーラーの社長さんから会社に電話が来ました。メーカー出向の社長さんで、来てくれないか?と言う事で早速、同じ苗字の後輩を連れて訪問しました。彼も車には詳しかったからです。社長さんに面会してお話を伺うと何でも当社の神戸支店で仕事の関わりがあり当社が札幌にも有ったので電話をいただいたとの事でした。同行の後輩は今では同業他社の営業部長ですが、彼は雄弁な男でしたから、殆ど私は喋らずにいました。帰り際に社長さんから、今度来るときに作品を見せてくれないか?と言われ、制作上がりの私は早速、過去の作品等を持参しました。当然ながら後輩は未だ実績が無く持参するものも無かったので、相変わらずセールストークのみでした。次の日に架かって来た二本目の電話で、私が指名されました。後輩のトークに圧倒され、社長さんとは殆ど話はしていませんでしたが、何故か呼ばれました。それからと言うものはまるで社員のように接していただき、仕事は順調に頂けるまでになりました。そんな社長さんも、同系列の統合劇で名古屋に転勤になりました。四国出身の方で身体は小さいのですがバイタリティの有る方でした。懐かしい思い出の一本の電話です。

    • 作品の提示は強いですよね。お客さんの前で絵コンテ書いてコピー書いて仕事を獲得していた人が何人もいましたから,口だけの営業はダメだなあと感じてました。話を聞く姿勢が一番ですよ。

  2. フリーで仕事をしていて、昼は営業に、夜は徹夜に近い仕事で勉強する時間も遊ぶ時間もなく行き詰まり、大っ嫌いだったサラリーマンを決意しました。最初に訪問した会社で面接を待っていると、若い男性社員の方が電話を取りました。「ハイ?〇〇〇〇〇社です!」と。そこで初めて、その会社名を知りました。新聞の求人欄の社名をどのように読んで良いのか?分からずに訪問したのです。それにしても、その一本の電話は、社名を解読できなかった僕を一瞬にして助けてくれたのでした。

  3. 子供も出来たので、クルマを買う事にしました。或る日曜日の午後、風呂上りに電話帳でディーラーを探す事にしました。メーカーは「トヨタでも日産でも何でもいいや!」と電話帳を手に取った瞬間!目に入って来たのは、表4の2分の1広告でした。何とクルマのディラーの広告です。数多い支店名の中から、当時勤務していた大通の会社に至近の店舗を見つけ、早速電話しました。何と、いきなり営業課長さんが出ました。「〇〇さん、今すぐハンコ持って来ていただけますか?」「えっ?どうして?」「今日が今月最終締め日で、営業マンは出払っていて私しかいません。もう1台〇〇さんが購入いただければ嬉しいのですが。この際、何でも言う事を聞きますから。」「ではお願いですが、会社も近いので駐車させていただけますか?」「ああ、いいですよ。他はいらしてからお聞きしますから」。早速、出かけて一番安いクルマから二番目のにしました。当然ながら当時はエアコンもオプションでしたが無料で付けていただき、最初のマイカーになりました。それから二年間、会社へ徒歩10分弱のディーラーさんのモータープールに無料で駐車させていただきました。何の縁なのか不思議な事に、そのディーラーさんは現在の我が社の真ん前にあります。一本の電話の思い出ですね。

  4. 最近は電話で直接話す機会も減りました。LINEかショートメールが多いです。クルマ移動が殆どなので、交通規則も厳しくなり、免停や高額な罰金刑が決まったそうです。ですから当然ですが運転中は電話にも出れませんし、メールも打てません。落ち着いた時間が出来てからの連絡になりますから、ともすれば要件さえ忘れがちです。かと言って会社のデスクに落ち着いているわけでも無く、特に年末は動きっぱなしです。今年いっぱい、もう不幸な電話が来ませんように祈るばかりです。

    • 冬は高齢者が脳や心臓で亡くなるケースも多いので電話は気になります。仕事については、緊急電話はまずないのですが、最近、パトカーで捕まるケースが5回あって、次は携帯やCDチェンジに注意しないと点数が罰金5点まで来てるので厳しい。

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