自分の居場所があるようでないなあ。
どうも自分の場合、落ち着く居場所がないなあとつくづく思うこのごろだ。自宅があって、静かな自分の部屋があるにもかかわらずだ。落ち着くようで落ち着かない。会社の椅子も座るが、すぐに動き出したがる。落ち着きがないのだ。35年働いたが、どこでもじっとしていない。アルバイトを入れたら15か所くらいの職場でウロウロしてきた。ローン終えた自宅の居間にいてもついつい『2階へ帰る』と妻に言うようになった。しかし、それも土曜や日曜なら図書館やビデオショップ、近所の神社の神主とおしゃべりに走り回る。読書も4~5冊の平行読書で私の性格同様、フラフラしている。私が生きれる場所はたくさんあるし、座る椅子もあるのだが、どうして自分はこんなに落ち着きがないのだろうか。どこが自分の居場所なのだろうか?無理な言い方をすれば、駅まで歩いているとき、街中の雑踏を歩いているとき、この道が自分の居場所に近い気がする。車に乗ったときもほっとする。相手に迷惑をかけながら、お客さんに私の気に入ったブログの中身の話をしているときは、ここが私の居場所だと錯覚するから不思議だ。知り合いの居酒屋にもよく通ったが、下戸の私はすぐに眠くなる。酔い覚めに立ち寄るパチンコ屋のほうが『自分の居場所』のような感覚を持つ。こんなうるさい、タバコの煙が蔓延しているのに。そういえば、昔、デートしていたときも『別れた後がホッとした』気分になったことも多い。それは相手も同じことで、『これで義理は果たせたわ』みたいなものかな。そういえば小学校を通じて、通信簿の先生からの一言欄に『落ち着きがない』とずっと書かれた。これを私は『子どもらしい子どもだ』と都合よく解釈している。それにしても、『自分の居場所って、実はあるようでないのではないか』。会社にいても人事異動でもあれば、動かないといけないし、どこに座ってもイライラさせる上司や部下もいるし、帰宅すれば何かとブツブツ落ち着かない。寝室い入っていい夢の中へ行こうとするが、嫌な夢まで見てしまう。どこまでいっても自分の居場所がないものである。落ち着くところは『棺桶』しかないのか。そういえば車の形は『棺桶』に近いかも。忘れていた『トイれ』もいい場所だ。ここも縦型の棺桶か。お母さんのお腹から一人で生まれて、最後もひとり。ひとりが実は最強なんだ。
世帯主
落ち着く場所は、煎餅布団ですかね。家族や孫たちは立派なベッドに万年床ですが、家主のはずの吾輩は毎朝毎朝布団をたたんで夜には敷いての繰り返しです。ベッドは寝起きもラクだし、布団をたたまなくてもいいのですが、落ち着くのはやっぱり床に敷いた布団ですね。背中を延ばしてせわしい一日の疲れを癒せる煎餅布団です。我が物顔で好き放題の家族や孫たちを見ていると、我が家であって我が家で無い?ような気がする我が家ですね。
seto
マンション住まいの人が同じフロアに住むしかないので、妻の息遣いが聞こえて落ち着かないと嘆く人もいました。妻から見ると逆ですね。もともと夫婦も他人ですからね。距離がないとまずいなあと思います。ダブルベッドで寝る神経がわかりません。ツインなら許しますが。いびきの大きな私の劣等感ですかね。
昔の少年。
落ち着いたらボケますよ。年寄りは落ち着くものと、つい錯覚しますが、落ち着かない年寄りだっていてもいいでしょう。母は入院する前まではチャキチャキでしたし、父も入院する前までは独居で好きなように動き回っていましたからね。趣味など何でもいいから、いっぱい動けるうちは動き回って、落ち着く必要は無いと思いますよ。自分もそうですから。
seto
マグロや回遊魚でいいんですね。でもあの巨大な集団は嫌ですね。ひとりで泳いでいたらすぐに少し大きな魚に食べられて一巻の終わり、それでOKでしょう、生物ですから。
坊主の孫。
比較的落ち着いている時って?一体どんな時かと考えましたが、デスクに向かって仕事をしている時?かも知れない。と思います。自分の事よりも他人からの頼まれ事を優先させる癖が、つい自分の行動半径を広げてしまっているようです。お酒も呑めないのに、昨夜も4人の酔っ払いを車で自宅まで送り届けました。毎日、仕事にしろプライベートにしろ、何かしら他人様の用事を先行してしまうので、自分の時間は余り持て無いのかも知れませんね。それでいいと思っていますけどね。
seto
河島英五の曲にありました『自分のことは後にするっていう歌詞ですが、サラリーマン見ているとみんな子ども・子どもの教育費に奔走していますね。小遣いは一日1000円以内、ひどい人はゼロ円で生きてる人もいます。自分のことより子どもと住宅ローン返済で、私もそうでしたが、『何のために生きてるのか』わからなくなるときがありましたね。金貸しへ返済するための生涯ってなんなの?です。
ホランペッター
自然の中に自分の居場所を作っています。河川の下流に有る堤防です。高速道路が川を跨いでいてクルマが沢山走っていますが音は聞こえない距離です。見下ろす河川敷には枯れた葦の群生が風になびいています。例年なら雪捨て場になる筈の河川敷も、小雪のお陰で、今年は冬でも来ています。重機は置かれたままで一度も稼働していません。一月も残り僅かですが、雪の山も無く自然の景観を保っています。今もこの場からコメントしています。こんなに市街地に近い場所ですが、時折大鷲のツガイを見ることが有ります。此処へは週一か、週二で来ています。僅か30分足らずですが、下手なトランペットの練習もします。温かくなるとランニングや散歩やフィッシングの人も現れます。静かな所ですが、周囲に住宅も無く、遠慮なく音が出せる場所でも有ります。
seto
贅沢な時間や空間ですね。私の近所に郷土博物館があります。縄文土器があって楽しいのに市民の来場は少ない。静かで好きですね。昔からドラムや管楽器の練習場所に困る人が多かったですね。体育館やグランドを使ってました。河川敷は絶好の練習場所で、カモメも聞いているかもしれません。ハトよりカモメが札幌の空を席巻してますから。練習なら恵庭の番尻がおすすめ。山の中で、戦車の空砲が聞こえてトランペットの音はかき消してくれますよ。