いいことしか言わない!正しいことしか言わない!要注意!

思想家安藤昌益を発掘したのは、軽井沢生まれのカナダの外交官 ハーバート・ノーマンである。アメリカの赤狩りで、カイロのビルから飛び降り死んだ。『日本における近代国家の成立』という著書がある。丸山昌男と渡辺一夫さんに追悼文がある。

江戸時代に安藤昌益という人がいて、彼は我々が聖人君子と思ってる人、仏教なら釈迦、中国の儒教なら孔子、道教の老子といった人たちをダメだと喝破。なぜかというと、倫理的にいいと思われることしか言っていないからだと。天然自然を主体に考えればいいことも悪いこともあるのが当然であって悪いことを言わないのはそれだけでダメな証拠。

彼の考え方によると、釈迦・キリスト・孔子・老子たちがいいことしか言わないのは、世の中に悪いことがたくさん現れてきたためだと。つまり、いいことを言うのはそれ以前の時代に比べて精神が悪くなってる証拠なのだと。「説教者の毒」。聖職者に多い。教員にも多い。テレビコメンテーターは毒にも薬もならないコメントばかり。お茶の間を不穏当にしない発言ばかりだ。(蛇足ながらコロナに関しる補償になぜ怒りのボルテージを政府に向けて吐かないか?)

孔子についても魯にいながら以前の周公を理想の統治として過去を見ていたし、老子もグレートマザー的な理想郷があったし、イエスは最後の審判で蘇る人間を想定して、今現在を拒否る人生を送って、説教を弟子たちに残したし、マホメットもそうだ。しかし、教祖たちはどうして「いいことしか言わないのか?」という問いは残る。泥沼の上に蓮が咲くのに、蓮だけを語っていたのか?新興宗教の開祖は、いいことを言わないと信者が集まらないからそうするのだとすればシビアな現実を直視する、どろどろ、悲惨な現実に目隠しをする役割があるかもしれない。

ある人が、人間は糞を溜めた生き物だと言ったけど、こっちの方がバランスのいい人間観になるかもしれない。安藤昌益は秋田藩か庄内藩の出で、農民たちとともに育った思想家だ。マルクスより早い時期に収奪の論理を説いている。考えてみると私の大腸にもきょう食べたご飯や野菜や肉が口から入って、食道や胃を通り、胃液で分解されて小腸・大腸を通ってお尻から出る。これが生物的に生きていることである。昼ご飯を食べながらこのブログを読んでいる人には尾籠な話題で申し訳ないけど。

正しい説教談やいい話のパレードには要注意しましょうということだ。きょうも本屋のビジネシ書コーナーにビジネス戦略編、ナポレオンヒルやカーネギーの本、企業成功した人の言葉が並んでいる。思考は現実化するだって、あたりまえじゃないか。読むなら本田宗一郎やソニーの井深さん、鈴木自販の会長の清濁併せのむ話が最適と思うけど。本田宗一郎さんの講演もユーチューブで聞ける。フランクで楽しい、それでいて胸に残る。べらんべい口調で、工場職員の手が汚れても平気で握手する。安藤昌益が生きていたら、これこそ真人間と断言しただろう人だ。遠くを見なくても足元に、日本の歴史の中にお手本はたくさんいる。

  1. 前世の偉人たちが皆悪いかどうかは別にして、人それぞれ個人の考えや思想があるはずですから、それを基準に冷静な判断のもと説教でも講釈でも読書でも世間話でもすればいいでしょうね。神や仏が実在すれば聖人君子的なのかも知れませんが、現代社会では子供でさえ神仏が実在するなんて考えても居ないでしょう。自然の中、地球環境の中では植物や鉱物や動物や微生物や空気や水などしか実在しません。それら全てが進化したり生きている上でお互い様で存在している訳で、それぞれの相手にとって無害か?有害か?しか無いのではないでしょうか。人間だけの世界で考えれば、誹謗中傷など複雑なようですが、地球全体で見れば人間など微生物のようなものですね。しかし、ともすれば人間中心の地球。人間だけが権利を有する地球と勘違いしてしまっているのは大間違いですね。今回のCOVID-19の全世界規模の感染拡大にしても、人間に対する警告だとも感じるのは?私だけでしょうか?

    • 警告とは思いませんが、これまで密林深く小さな部落では流行っていたウィルス病が、奥地への開発と交通の行き来が激しくなって、大都会に鳥を媒介・動物を宿主にしてやってきたんだと思ってます。病気を引き起こすウィルスは2%くらいでしょう。コロナ終息まで数年かかるかもしれません。餓死と暴力、食料と水をめぐる人同士に争いが世界で起きてきます。失業者が溢れて、富裕層が襲われ始めます。カルロスゴーンが逃げた町でも富裕層の住宅街が一時危なくなったのを覚えてますか?なので、いまベーシックインカム導入が急務です。いまある暮らしに満足すれば非政治的な生き方に徹しますが(ほぼ公務員多い)、中小企業で毎日の稼ぎや売り上げから暮らしを成り立たせる日本中の企業はいずれ逆上するでしょう。さっさと50万くらい、税金を自動引き落としする口座へ逆流させて払えばできるのに。ドイツは3日で国民に還元しました。安倍は『前例がない』。前例がないからやるのが政治なのに。昨日、札幌の財務省や国交省や経産省の入るビルの地下の食堂を昼ごはんに合わせて見学してきました。どんな男たちがいるだろうとね。顔つきの悪い、守りだけの生気のないおっさんばかり。

  2. 確かにいい事しか言わない人も、人間である以上、表の顔と裏の顔を持っている筈ですね。プライベートな裏の顔を見せないように努力はしているのでしょうが、ご自身が気づいているか否かは別として、いつかはバレますね。つまり人間である以上、そんな立派な人はめったに居ないと思いますよ。幾ら立派な名声を上げようとも、過去に傷ある身だったり、人には言えない?言わない事情が有ったりと。そのまま開けっ広げにしてしまえば、自分自身精神的にもリラックスできて、しかも周囲からも本当のお付き合いをして貰える訳ですね。そこまで自分をさらけ出せる人は信頼もされるでしょうね。さて、そんな自分は?。

    • 後ろめたいこと多い人は、時に威張り、ときに謙虚にですが、生きている以上、何らかの負債感ってあるような気がします。私もわかいときは『おれは天才ではないか』と思い込んで、好きなような人生を歩んできて迷惑ばっかりかけてきました。しかし、中学のクラス会に出て、貧しくまた勉強嫌いで中学出てすぐに働く彼らをみて、ガツーンと一発くらいました。彼らは本音トークで飾り言葉はありませんでした。

  3. 「あの人はいい人だ」と言う人は、既にその人の信者ですね。大なり小なり、それは宗教の信者と何ら変わらないとも思います。「あの人が好きだ」も同じでしょうね。例えば、現代風に言えば、いい人とか、好きな人のファンの寄り集まりが、その人の考え方にまで賛同し始め、受け入れ始めれば、既に教祖みたいなものですね。音楽のユニットに対しても、ミュージシャンに依っても、ファンは完全に魅了され、コンサートには自らすすんで参加するようになりますね。それだけであれば良いのですが、その後は身近な他の人を誘うようになりファン層の拡販役自ら買って出ます。しかし、それだけの力のあるミュージシャンたちはある意味偉大とも言えますね。

    • なるほどね、信者ですか。私も達郎信者かもしれません。お布施もずいぶんしました、チケット+CDでしかありませんんが。ヨガで教祖ひとり、信者ひとりという思想があります。組織をつくると組織維持をするために布教(現代では販売促進)が必要です。広告と宗教は似ていますね。

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