最後のブランド品を1枚持って。
知り合いのブランド品リサイクルショップ店の社長さん話したら、先日、60代の女性がブランド品を持って現れた。清掃の仕事をしていたが解雇されて一人暮らしをしているが、生活が苦しくて社会福祉協議会に相談にいくと、生活保護の書類が完備されて通過するまで2週間、さらに給付されるまで2週間がかかるらしい。ほぼ1か月だ。係から「それまで暮らしていけるの?」と聞かれたが無言で通したと。しかし、食べるものを買わないといけないので、最後のブランド品1点を持ってやってきたというのだ。社長はいつもなら根ほり葉ほり聞くタイプではあるが、さすがに突っ込んだ話題へは進めず、いつもより高めの査定をしてあげた。
学校が休みで給食が無くなって、なんでも自宅で食事が始まると食べ盛りの子供がいれば食費が半端ではない。コロナ感染が始まるずっと前から、シングルマザーの家庭の収入の不安定、家計の苦しさについては言われてきたことである。知人の弁護士は「何とかシングルマザーの暮らしが安定的にできないか」を考えて行動に移した。それは元女子高校の寮を借り上げて、一部屋の壁を壊して二部屋を1家族の住む場所とした。1階の食堂は生かして、自分の弁護士の事務所を兼用させて、いつでも相談に乗るスペースとした。私も何か手伝いができないか相談すると、彼女たちの仕事の安定、収入の確保方面で企業回りで営業をすることを請け負った。近くの菓子メーカーと交渉して、決まった時間にバスを回してもらい行き来をさせる構想であった。弁護士も1階には保育所も併設して、安心して住める場所を構想したのである。リフォーム代も途中まで自分で払ったが、一緒に運営する女性の待遇をめぐってもめていまは中断している。
フェイスブックでシングマザー向けの施設案内すると全国のシングルマザーから次々と問い合わせが来た。彼のスマホを見て「すごい数ですね」と私はびっくりした。愛知県からはDV夫から逃げるために逃げ場所を探していた。札幌なら探せないだろうと問い合わせてきたというのである。弁護士一人の力では限界があるので何とか実現まで漕ぎつけてほしい。私も体力のある間、彼に寄り添おうと思う。最初のブランドリサイクル店にやってきた60代の一人暮らしおばさんにしても、とにかく毎日生きる基本の食べることができるということが高いハードルだという人たちがたくさんいるという現実である。そこに未来をつくるたくさんの子供たちもいる。
昔の少年。
自分の事だけでも精一杯の時代に立派な考えですね。誰にも、困っている他人を助ける気持ちは有っても、それに伴う費用と労力も考えるとなかなか行動できませんからね。つまり何かを捨てるとか犠牲にしなければいけないと言う事でしょうね。先ずは自我を捨てる事が出来なければムリなのでしょうね。
seto
知人の弁護士もつらい時代を過ごしてきたから、そういう発想が出てきたのだと思いますよ。54歳で急死した大学同級生の弁護士も、札幌市内の各所弁護士の無料相談室を設けるため奔走した弁護士でした。こちらも苦労人です。苦労した人は、苦労をしている人に強いシンパシーを感じるものですから優しい人がおおいですね。それだけの話なのですが。