書物の破壊(ビブリオコースト)について
新型コロナ記事から少し離れてみた。
文字が誕生して、たくさんの記録が残されてきた。楔形文字や象形文字、ギリシャ文字、アルファベット、亀甲文字。それらを特定の場所(図書館や官庁の記録文書保管庫など)に集めて、後々の人々に参考になるよう保管をしている一群の人々がいて司書と呼ばれた。しかし、時の権力者が変わると、過去の(記録)記憶を抹殺することを進言する側近エリートがたくさんいたし、いまもいる。記憶の破壊である。古代エジプト・アメンホテップ4世は過去の書物を焼き払った。アテナイのソフィスト・プロトタゴラスの書物『神々について』を公の場で焼却された。プラトンも論敵デモクリトスの著作を燃やした。秦の始皇帝の宰相李斯は過去への回帰を唱える書物の破壊を命じた。老子も(学問を捨てれば憂いはなくなる)と知識を捨てるほうが民の役に立つと唱えた。ナチスきっての読書家ゲッペルスも非ドイツ的な書物の焚書を主導した。
偶然、市立図書館の新刊コーナーに『書物の破壊の世界史』(フェルナンド・バエス、紀伊国屋)が置かれていて読み出したばかりである。著者はベネズエラ出身の図書館学者。バクダッド大学の現状を視察に行って、イラクへの米軍の攻撃やタリバンによる図書館や蔵書が略奪・破壊されて、ある学生が『どうして人間はこんなにも多くの本を破壊するのか』文明発祥の地、バクダッド。この若者の問いに答えるため古今東西の書物の破壊の資料を読み込んだ。ジョージ・オーエル『1984年』・ブラッドベリー『華氏451』も引用して655pの本に仕上がっている。自分の権力維持に不都合な記録や記憶が反対勢力に渡らないよう精力を傾ける。日本やアメリカのトップも古代と全く同じことをしている。
以下、この本の大事な指摘を記す。『書物の破壊は,自身の憎悪や無知に気づかぬ者たちの行為だと思われがちだが、それはまったく見当違いである。12年間の研究の末に私は、個人や集団の教養が高くなればなるほど、終末論的な神話に影響され、書物の抹殺に向うとの結論にたどりついた』(38p)。破壊と野蛮と無教養が一列に並んで焚書が実行されるわけではなくて、権力者に媚びる側近がむしろアドバーサーとして親分の権力維持に都合の悪い記録や文書を燃やす(現代なら裁断して)ケースが圧倒的に多いと結論付けたのである。
さらに『全般的に書物破壊者は、用意周到な者たちだ。つまりは頭脳明晰で敏感で、完璧主義者で注意深く、並外れた知識を有し、抑制的な傾向が強く、批判を受け入れるのが苦手で、利己主義で誇大妄想癖があり、中流以上の家庭の出で、幼年期・少年期に軽いトラウマを抱え、権力機関に属していることが多く・・・・無知な人々は、書物の破壊とは最も無縁な人々だ』(38p)。考えてみると元々読書しない人は、ことさら書物のあれこれに関心を持たない、好きなようにやってくださいというスタンスだ。そうであれば書物破壊者(ビブリオコースター)は現在でいえば高級官僚たちや学者・政治家・在野のインテリ・評論家・メディアの社員など成り得る可能性大といえる。さらに『興味深いことに、書物破壊者には天才的な創造者が多い。・・・自分たちだけが永遠に裁く側にあると・・』。さらに彼らの思考は『敵と味方』の二分法、イデオロギー思考に終始しているとも。書物の抹殺はする側のイデオロギーで進められる。
広告マン。
今でも、記録隠匿、書類改竄、破棄などが政治問題化していますね。それらを指導する者の姿は見えにくいですが、確かに存在しています。見えない所で政治までコントロールしたり、メディアを利用して情報をも歪曲させたりと、天才的で常人には不可能なくらい悪知恵?が働きます。しかし現代では記憶媒体もデジタル化されていますから、その大元を誰かがコピーしていたとすれば、隠しても完全破棄など難しいですね。デジタル記憶媒体の無かった時代には書物や図書館などへの破壊・破棄・抹殺行為などが完全消去法だったのですね。しかし、いくら書物を破壊しても、焼却しても、抹殺したとしても、人間の頭脳のハード・ディスク内までは完全消去できなかったでしょうね。
seto
現代もきっと官僚の中に記録改ざんに長けた人がいるでしょうね。音声で残されていたらいいのですが、それを文字にするとすぐに改竄できます。今回のコロナも疑惑が出てきてます。こんなに騒ぐ必要のない新型ウィルスdではなかったか?撒いたのはアメリカのIT関係(軍産複合)で致死率は非常に低い(死者発表はコロナやあらゆる病気の死者数も合算して確認できない)、そもそも都市間ブロック必要ない、居酒屋閉店必要なし、音楽会やイベントを通常でやっても良かったと人が増えてきました。ベルギーやドイツの専門医の意見は無視されました。このウィルスでどこがどれだけ儲けたのかを考えると犯人はわかってきます。
ホランペッター&ヘターリスト
このところ、TVも新聞も仕事でもブログでも日常会話などでも新型コロナウイルスの話題ばかりですね。読書家の人は、こんな時にもあらゆる書物の世界に入り込めるでしょうから良いですね。私の場合は書物を読まないので、こんな機会に始めた事や始めようとしている事があります。一人でできる事ですが、音楽です。若い頃に囓ったトランペットとギターです。ほとんど我流ですが、ほんの少しの時間ですが、毎朝通勤途中の車内で練習しています。大きな商業施設の屋外駐車場の隅っこや、河川の堤防など他人様に迷惑がかからない場所が練習場です。ギターは何度か捨てたのですが、最近オークションで安く落札して、また入手しました。できれば弾き語りが理想ですが未だその域ではありません。家庭内に持ち込めば「煩い!」とそれこそ、破棄・破壊されてしまいそうです。かつては妻もバイオリンなど囓っていたのですがね?時は人をも変えますね。
seto
音楽は好きではあったのですが、演奏はさっぱり。楽器は健康にもいいので楽しんでくださいね。思い立ったらすぐにしないと結局しないで終わるケース多いですね。トランペッターって長生きする人多くないですか?お腹の運動がいいのでしょう。平岡イオン、苗穂アリオに行き、人混みに疲れてしまいました。静かな空間がいい。トイザラスでおもちゃ探しでした。