「男はつらいよ」から。村八分にはしないが距離を置く(名越康文)

「男はつらいよ」の幸福論~寅さんが教えてくれたこと~(名越康文)日経BP社の最後の方で、葛飾柴又の「とらや」は、下町ということで6代も団子屋を営んでいるのだから、近所付き合いも家族同然で、親身な会話なり、行き来があるだろうと普通なら想像するのが、向かいは「江戸屋」という煎餅屋で、30作目の「花も嵐も寅次郎」でそこの娘の朝丘雪路と寅さんが世間話をするだけ。
28作目は寅さんの小学校の同窓会だが、同窓生から敬遠されて暴れ、酔いつぶれるとか、名越さんは「とらや」は地域のコミュニティから浮いた存在。「あそこはね、へんな家だよ、ときどき帰ってきて暴れる人もいれば、変な女の人が何人も出入りする。あんまり関わりたくない家だよ」同調性の高いコミュニティは、異質な家とは距離を置く、いまは余り使われなくなった(差別用語に分類か?)「村八分」に近い存在として山田洋次は描いているのではと推理している。
印刷会社のタコ社長とだけは親しいのは、博の存在も大きいが、印刷会社は地方から出稼ぎ(集団就職)的に勤める人も多く、地域コミュニティから浮いた存在として、距離を置かれていて、浮いたもの同士が仲良くしていたのではと推理するがどうだろうか。(201p202p)冠婚葬祭や泥棒・火事は駆けつけるだろうが。しかし、こうした生き方は、何も葛飾柴又だけの現象ではなくて、私は何度も何度も会社の中や地域の団地内で目撃してることだ。
社長から疎まれて、座る席を一人だけ社員から引き離して孤立させられ、村八分に追い込み退職させようとした人もいた。大変な売上業績を上げた部長が、スポンサーの倒産で今度は会社へ大損害を与えたということで一人だけ目立つ所へ机を置いて恥さらしの刑みたいな処遇をした人・された人も知っている。社員は距離を置きはじめる者も多い。関わりを減らしていくものだ、現実。
もっとも原始的な村共同体のような芸能・スポーツの世界は、さらに極端な現象が起きているだろうと推測する。スキャンダルある人には近づかない、いやだからこそ励まさないとと殊勝な生き方をすることもあろう。自分もいつかそういうスキャンダルに遭うとも限らないし、かつてひどい目に遇ったからと同情する人もいる。
先日、マンションの住人3人と偶然話す機会があって、「隣は何をする人ぞ」なんだと知ってびっくり仰天。さすがにマンション完成後則入居して、管理組合の責任者を長年している長老は、住人のあれこれを知ってはいるが、また貸しをしている人も多く、社宅として使う会社も多くて、コミュニティとしての役割が相当低下していると感じた。「夏祭りだけは、お盆でもあるし、駐車場で盆踊りだけはしているが、子供がいなくていなくて」と嘆いていた。
「男はつらいよ」は寅さんのマドンナの話が多いと思うので、敢えて、この本の「とらや」の置かれているコミュニティについて引用した。寅さんは元祖草食的男子という説も面白い視点だ。決定的な科白を言えず、逃げると言うか、避けると言うか、女性が待ってる言葉を知っているが敢えて吐かないとか。本の前半はこの話題に満ち満ちています。恋愛の成就は新たな所有関係の問題が発生するから、避けているかもしれない、賢明な生き方かもしれませんね。所有関係なければ浮気はないからね。
他人から「あいつ変だわ」と言われて引っ込むより自分から「俺は変な男だよ」と言いながら他人と付き合うとうまくいく、自分を曝して生きて行く方が楽だということもあるので、「男はつらいよ」は、そうした意味で「鬱っぽい人」には良薬になるかもしれません。

  1. 東京生まれの田舎育ち。

    私の母の実家は東京で大きな車屋を営んでいて、大勢の千葉の若い衆を車夫として住み込ませていたそうです。なんでもお婆ちゃんの出身地がお隣の千葉と言っていましたから、早く他界して顔も知らないお爺ちゃんの出身地は分かりませんが千葉だったのかも知れません。そんな訳で昔も(今も)東京は地方から身を立てに上京して来る人たちも大勢だったと思います。一方、虎屋は江戸っ子で、そんな連中とは一線を画していたのではないでしょうか。京都にも似たような所があります。京都も中心部の或るエリヤだけに住む人たちは、自分たちだけが生粋の京都人で、他の京都は京都であって京都ではないと言う考えです。部落とか村八分などと言う以前に閉鎖的で排他的な考えを持っています。チャキチャキの江戸っ子などと聞こえは良いのですが、同じ考えでしょうね。都会では、むしろ地方出身者同士なら気心も知れて良いのかも知れませんね。自分をさらけ出せる事が条件ですがね。

    • 私は札幌駅北口生まれで、市内を転々。町中、小学校から社会人になっても多くの札幌っ子に囲まれて楽しく生きています。ただ出世志向が強いのは空知(炭鉱町)出身者や道北。道東・道南などから大学に入り、市内の企業(役所)に勤務した人間が強かったように思います。自然的な共同体がないのでまずはそこで認知されるように努力した結果なんでしょうね。それが上昇志向に私には見えたのでしょう。田舎臭いなあと私には思えました。生きるのは人間関係の作り具合ですから。毎日、日替わりメニューでその内容は変わります。家族関係もそうです。だから寅さんが旅に出るのも、息苦しさを逃れるためではないでしょうか?サラリーマンは家庭から逃れて会社へ逃げているのに相似です。

  2. 女もつらいのよ。

    父は田舎育ち、母は東京育ち、兄姉たちも東京育ち、末っ子の私だけが田舎育ちですが、疎開したところが父の故郷でした。母は田舎暮らしを全く知らないお嬢さんでしたから、田舎では珍獣のような目で見られていたようです。お互いに言葉も何言って居るのか分からない。暮らしぶりも一変し、それでも馴染む為には相当の苦労があったのではないかと思います。父も長男でありながら十代で家出して京都、神戸、外国航路の船乗り、その後船を降りて陶器の修行のため九谷や相馬など各地を渡り歩いた後に、陶器職人になって、東京や成田に店を持ち、ようやく身を立てた人ですが、戦災で一切を無くしての都落ちですから、田舎の人たちから見れば、我家は地域では浮いた存在で変わった家だったのでしょう。寅さんは「男はつらいよ」って言っていますが、逆バージョンの立場の我家の母なら、きっとこう言ったでしょうね。「女もつらいのよ』って。

    • 奇異なもの、奇異な人、よそから来た人に好奇の目を向ける集団の群れが人類の曙から今日まで続いています。差別の温床で、アメリカも400年続いています。ギリシャ時代も『バルバロイ』(違う言葉を話す人)と言って軽蔑していました。野蛮人(バーバリアンの語源)ですね。そういうわけで一番は言葉遣いが、その人の里を示すでしょう。標準語ななんてないのですが、NHKあたりの口調がテレビを通して疑似的に広がってるにすぎません。中学の放送部でアナウンス読本をアナウンサーが読んでました。NHK制作でしたね。泥や土を失った言語です。

  3. 言葉の違いは、ともすれば、事件にもつながります。大阪に行った時ですが数人の友人とバスに乗りました。北陸の田舎弁丸出しで、最後部座席で大声でふざける友人たちの事が気になっていたのですが、そのあと食堂に入りました。相変わらずの方言で話すため、客の少ない店内の片隅にいた労務者風の二人連れに早速目を付けられました。そんな中で友人の一人が財布を広げて、今日は俺のおごりだと見栄を切ったのでした。すると彼らの一人がヤカンの入った冷酒を持ってやってきました。「お兄さんたち、お酒でもどうでっか?」と。「いやぁ、結構ですから」と断ると席に戻りました。しかし、その瞬間に感じ取れた私は小声で「お前ら、勘定終えたら一斉に走って逃げるぞ!」と。でも私の言っている事を即座に理解しない奴もいて、のんびりした奴が捕まり、空き地に引っ張り込まれて恐喝されました。早速、交番に駆け込むも警邏中で留守。そこの電話で本署に報告。大阪での初日からパトカーに乗せられ警察署に。言葉の違いが招いた事件でした。

    • 凄い事件ですね。全部が全部、恐喝にはいかないとは思いますが、金を見せびらかさなければ絡まれなかった事件ですが、相手の目つきで昔の少年さんは正確な判断をしていたのですね。それも凄い直観です。交番の警官不在もアンラッキー。あるときは財布に万札を何十枚も見せるとススキノではモテルと言われてます。私の近くにもいます。お金を払うときに必ず、私が万札を見えるような角度で財布を開きます。たぶん、ワイン好きな彼のススキノでの日常生活を垣間見る気がします。田舎臭いなあと感じる瞬間です。私の財布は万札はほぼ3週間で消えてしまいます。残りは少なくなると人から見られないようこっそり財布から千円札を出します。男はつらいよ・・・ですね。

  4. 幸か?不幸か?私は東京弁の親に田舎で育てられ、中学卒業と同時に実家を離れて全寮制の高校へ。そこでは全国各地から、北陸、関西、九州と、いろんな言葉を持った友人たちが出来、その後の大阪暮らしでは嫌いな関西弁や四国弁や広島弁にも慣れ、北海道に移住して北海道弁と、あらゆる方言を知りました。お陰で大抵の言葉は理解できますし、その場の雰囲気に合せて多少の真似事で喋る事もできます。しかし、一つだけ苦手なのが東北弁です。これまでに東北には全く縁が無かったのです。或る時、ラジオの深夜番組で、東北は秋田出身のアナウンサー?のような女性の番組がありました。夜遅く帰る車の中で聞いていて、良くは分からない部分もありながらも、何と心地よい響きとユーモラスなイントネーションにすっかりハマってしまいました。飾らない方言は人柄をも表していいものですね。何と?自分の連れ合いも、かつて大嫌いだった関西弁を使う人になるとは?全くの予想外でした。

    • 東北ですか、筆者は秋田と山形、宮城しか行ったことがありません。青森はいつも列車に乗り換えの関係で降りていません。ショックは山形で大学入試のため大学寮で酒田の高校生と同室になりました。あんまり美味しいお米にもち米みたいだと話しかけたら、ぼそぼそと話して私の初めて聞くイントーネーションにカルチャーショック受けました。秋田駅の待合室でも高校生たちの会話は地元ならではの温かい方言でした、そして女子高校生の真っ赤な頬に感動しました。リンゴのホッペで丸顔。花巻でも駅前喫茶店のマスターとおしゃべり。新潟の高校生の通学風景とも交差しました。意外に北海道に似てるかもってね。娘は大分中津市に住んで中津弁らしくなってきてます。一番影響を受けるのは8歳の孫ですが、イントネーションを聞くと可愛い。言葉が混じっていくのはいい。言葉の裏付けはその人の暮らしや感情が根底にあるので破壊してはダメデス。皆さん、NHKになってはいけません。

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