インターネットがわたしたちの脳にしていること。
「ネット・バカ」~インターネットがわたしたちの脳にしていること~
1959年生まれのニコラス・G・カーが2010年に青土社から出た。305ページあるので、第一章「HALとわたし」しか読み終えていないが、原題は「The Shallows: What the Internet is Doing to Our Brains」。浅瀬という単語を使い、思考の浅さを暗示する。
以前の論文でも「グーグルでわれわれはバカになりつつあるのか?(Is Google Making Us Stupid?)」で愚か者を使ってるので、日本の題名に、養老孟司「バカの壁」のメガヒットに模して付けたのだろう。HALは「2001年宇宙の旅」でスーパーコンピュターHALに宇宙飛行士が危うく殺されかけたので、人工知能を持ったHALの記憶装置を切断していく有名なシーンだ。
カーは「この数年の間、わたしは誰かが私の脳をいじり、神経回路を組み替え、記憶をプログラミングし直しているかのような、不快な感覚を覚えていた。・・・・以前とは違う方法で思考している。文章を読んでいるとき、かつては長い文章に没頭できた、何時間も楽しめた。いまでは一、二ページも読めばもう集中力が散漫になり、そわそわし、話の筋がわからなくなり別なことをしようとしはじめる」からこの本は始まる。
それで、読書家の友人たちや大学の教師たちと話すとやはり、長い本が読めなくなったり「もう長い文章に没頭する能力がなくなったのでは」と告白する教授もいたりする。「すべてはネットとその画面で処理されることになれてしまった。ブログ記事でさえ、3~4段落より下は集中できない」。「練り上げられ、ニュアンスに富んだ、長い議論に我慢強く付き合うことがほとんどできない。人に対しては、世界を単純化しすぎていると非難しているのに」。
こんな人もいる「ぼくは本は読まない。グーグルへ行けば、関連情報をただちに吸収できるのだから。本の核心になる文章に、検索すれば辿り着くのだからね。」「必要な情報は全部、もっと速くウェブで手に入れられるんだから」。いまの大学生みたいだ。論文のコピー&ペイスト。
この本は全部で10章あるので、この先どういう展開になるのか楽しみだ。我々の大脳にインターネットがどういう影響を与えているのかを医学的な観点を入れて書いている。ニコラス・G・カーは昔のアナログだけの時代には戻れないことを知りつつ(誰よりも早くPCを買い、遊んではまっていた青春時代がある)。第8章は「グーグルという教会」とネーミングされ、宗教的な観点からも論じられるのか!私の周りにもアップル信者も多くてMAC絶対主義もデザイナーに多かった。
広告業界に筆者もいたので身近に感じるテーマでもある。この先、10章まで私が読み切れれば、そのつどブログで報告するのでお楽しみに。この本は「松岡正剛の千夜千冊」で発見した。
インターネットを使う頻度が増すことで、我々の大脳における思考に単純化が起きてるような気が筆者にはするのだが。それが意外やヘイトスピーチが世界中で跋扈していること、ISISへネットから応答する志願兵の増加にもつながっているのではあるまいかと懸念する。短気、許容量の無さ、狂信?どこにどう影響をしているのかまたしていないのか?
昔の少年。
確かに物事を手身近に処理しょうとする風潮ですね、我々高齢者よりも、今の少年少女たちの方がネットを駆使して遊んでいますから重症かも知れません。辞書など要らない、「親から教わるよりもネットの方が手早く間違いないと」。これでは親も辞書も不用品扱いですね。登校拒否児童生徒が増加している原因も「先生よりネットに頼る」ネットの功罪かも知れませんね。
seto
長い文章を読まなくなったとも言いますね。シンプル、結論だけ、要約して言ってくれ。なので調べるよりググル、パソコンに各種辞書もありますし。小学校3年の孫の授業でタブレット授業が始まりました。早いですね、大丈夫ですかね。全員に1台貸与して、経費も大変だと思いますよ。
広告マン。
そのうち、ネット検索していると、モニターのカメラが勝手にONになり見えない所から洗脳電波が発信され、自分とは別の思考や行動に駆り立てられるかも知れません。完全にコントロールされるとなれば、恐ろしい世界になりますね。
seto
自分のプラバシーはないと割り切ったほうが良い気もします。最近は自分のしゃべる言葉が誰かの真似をしているのではないかと危惧してます。なので明治時代の人の文章とか読んで頭を洗うようにしています。マスコミで多用される言葉を使わぬよう工夫しているわけですね。物理学者の寺田寅彦のエセイを読んでいます。