『進化は万能である』(人類・テクノロジー・宇宙の未来)マット・リドレー 285p リーダーシップの進化という章にフランス啓蒙思想家ディドロとダランベール著『百科全書』(1750年代)の内容から、人名の項目がないことに触れている。いつのまにか私たちは、たくさんの教科書やテレビや啓蒙番組、ビジネス書に多い戦国時代の武士たちと絡めた理想のリーダーだとか、発明や発見のをした人の固有の名前、クイズや試験問題で覚える偉人や英雄、聖人、現代で言うとIT関係のCEOの名前や政治家の名前、芸能人や俳優の名前をたくさん憶えている(私はこの世界に疎いが)。知識をまず個人名から会得する癖を身に着けている。トップダウン思考と命名される。

しかし、18世紀にディドロとダランベールは『王や聖人、いやたとえ真理の発見者であろうと、その鼻っ柱を折りたかった。歴史とはあまたの名もなき人々によって生み出されるのであって、一握りの超人的な英雄によってつくりあげられたわけではない』。同時代人のモンテスキューも歴史の流れは一般的な原因によって形つくられるもので、人間はただの随伴現象だと。『マルティン・ルターは宗教改革を起こしたとされている。しかし、それは起こるべくして起きたのだ。たとえルターがいなくても、別な人物がそうしただろう』。個人のリーダーではなく、当時の出来事や社会状況があって、そこに浮かぶのがたまたまルターであったりする。

発明発見の分野でもエジソンが電球を思いついたとされているが、もしもエジソンが感電死していたら電球は発明されなかったのか?実は彼より早く白熱光をつくったイギリスのジョセフ・スワンがいたし、ロシアにもアレキサンドル・ロディーンギンが白熱球の発明者とされ、23人の名前が残っている。たとえすごい人物であっても別に彼がいなくても別な人が発見・発明した。この論理でいくと検索エンジンのグーグルやマックブックについてもセルゲイ・プリンやスティーブ・ジョブスが生まれていなくても使い勝手のいい検索エンジンやラップトップデスクパソコンが作られたということだ。テクノロジー自身の進化と考えれば、固有名詞は付随的なこと(先取権を主張すれば大金持ちになれるくらいのことである)。

さらに妄想をたくましくすれば、アメリカの大統領トランプも別に彼でなくてもああいうタイプのチェスさんとか将棋さんが大統領になってもいいわけである。ことはアメリカのローホワイトの失業や既得権が侵されない富裕層やキリスト教原理主義的なプロテスタントが本音で持っている差別意識を語り、他国より自分の国の労働者が雇用されて安心の所得を確保できれば、別に73歳のトランプでなくてもいいわけでであるがどうだろうか?

それこそ歴史は名もなき人々によって生み出される。そこに個人が浮かぶのである。偶然、江戸時代の富永仲基(なかもと・1715~1746年)いう思想史家が固有名詞を出さないで、社会・民俗・言語から歴史を書こうと構想し、32歳で亡くなったが、偶然とはいえディドロ・ダランベールとほぼ同じ時期に東西で個人名を出さない歴史、内在的な歴史が語られたというのは、横の連携・通信がなくても、その時代の世界的な流れが、どこかでつながってる気がするのだが・・・。

  1. 北海道の開拓使にも多くの韓国人や本州からの農民や屯田兵や囚人の労働力が必要だったように集団として扱われた個人名の残らなかった人々は数知れませんね。戦国時代にしても日露戦争にしても闘いは歩兵や二等兵同士の働きであって陣地で兵隊に守られていた大将の名ばかりが買っても負けても美談に換えられ残っています。忠臣蔵も現代で言うテロさえ美談化され未だに語られていますが、真実は語られません。故人の功績を讃える巨大な銅像の本体も無名の人たちの汗と血で作られていると考えれば、見方も大きく変わりますね。

    • まったく言われてみたらあたりまえのことが、英雄史観や偉人たちの奇跡や教科書で書かれる人たちで埋め尽くされいます。変だなあと幼いころころから思ってました。昨日、比叡山の寺の映像を見ていて、これを作った宮大工や木を伐りだした人々、そこへの言及が全然ありませんね。表面のきれいさ、優美さ、地蔵の数々を美術雑誌を飾るようにして、そこで働いた無名の労働者はどこからどうやって集めて、負担金はどうやって工面や強奪したのか肝心の話が出てきません。現実を知りたくない評論家やカメラマン、テレビ局職員、キャノンの人たち。

  2. 偉人だけが崇められますが、その取り巻きは偉人を作り上げる為に、更に多くの犠牲を払っているのでしょうね。研究室などでも研究チームがあってもノーベル賞は個人に授与され、チームには余り授与されませんね。世界中で何故か偉人を作り上げる動きがありますね。実施されるかどうか不明ですがオリンピックでは世界一を作り、ビジネスでは売り上げ世界一を競い、選挙では大統領や首相を担ぎ上げ、学校や塾では成績を競わせ有名校へ合格させ、その他の人々や生徒は、まるで競争社会の捨て石扱いです。人間は個人個人が字の通り個々の人格の持ち主ですから、踏み台扱いや、捨て石扱いは許せませんね。

    • オリンピックはIOC理事と組織維持のため、その金儲けのために開催されます。貴族階級の理事たちですが、さらに強欲で東京での滞在は5つ星級ホテルを2000室用意しろと言明されてます。そこに電通が口利きをしています。選手の存在は重要度4番目くらいでしょうか。どの世界も、最後に皆を食う人が、組織があります。食う人が今度は別な世界の人に食べられるかもしれません。M&Aでね。競争社会から降りたらどんなに楽化と思いきや、今度は孫自慢や、地域社会で町内でガーデニングを競ったり、犬自慢をしたり、家々の比べっこなどキリがありません。ブログの世界もたくさんくればお金になるのでしxyぉうか?

  3. 成るべくして成った事象を、あたかも一個人の功績のように後世に残す事が歴史だとすれば、そこに作者が存在し、権力者の言うがままに書き残したり伝え残したのでしょうね。自画自賛のシナリオですから都合の悪い所は隠した美談が出来るわけですね。歴史の解釈の問題は国際問題にもなって居ますね。

    • 政治や歴史に名を遺した人のほとんどは失敗者であったとも書かれています。彼らの決断はたくさんの犠牲を生んだと。なるべくしてなった。権力者の横にいる人が要注意人物です。官僚たちで文章力がある人です。イデオロギーを注入しますから。イデオロギーとは敵や反対派を貶める人たちの思考方法です。味方からは喝さいを受けます。安部やトランプみればわかりますね。

  4. アメリカは何だかんだ言っても民主主義発祥の地ですから、トランプ氏は悪目立ちしてますが、大統領の権限は議会よりはるかに弱いです。なので、入院してもすぐ副大統領や上院議長が代わりを務め、退院すればまた復帰してきます。要するにそういう職務だというだけのことですが、これが某独裁国なら、トップがちょっと体調を崩しただけで、たちまち権力闘争が始まるでしょう。日本もけっこうトップの権限の弱い国で、そうでなければとっくに憲法改正してたでしょうね。

    • なるほどね、ふつうのメディア報道と真逆な権力バランスだということですね。独裁のふりをしているアメリカですが、それを支持する層の方が怖い存在ではないでしょうか?分析してみないとわからいところだらけです。アメリカンデモクラシー(トクビル)という古典がありますが、アメリカの民主主義は、ヨーロッパ発(イギリスを念頭に)の民主主義とずいぶん違うのでしょうね。武器を持って抵抗する、倒すところまで行きますから。話し合いができないとズトンズトンとピストル登場です。

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