地元のラジオ局に出演。コトバコのPR
生まれて初めて地元ラジオ局(札幌テレビ放送)でおしゃべりをしてきた。橋本登代子さんの「北海道を元気にする」ラジオ番組だ。中学時代、放送部にいたので昔の場所に帰ってきたような懐かしさ。私と知人の合作アイディア「コトバコ」という事業をPRするためである。kotobako@biz.
コトバコって何?と言われるかもしれないが、言葉+出来事+玉手箱を合成したものだ。庶民の生き方や思い出話が竜宮城の玉手箱に詰まっていると想像してほしい。これは私自身の体験から出てきた。父が79歳で脳梗塞で急死。町内会長がお通夜の手配にやってきて葬儀で話される父のプロフィールを聞いてきた。生まれはニセコ(旧狩太)で母は徳島、父は長野。しかし祖父母の名前を私は知らない。家紋も知らず、宗教も知らないのには参った。満州鉄道で働いていたのは独身時代の写真を見たことがあるので知っていたが、敗戦後引き上揚げてきたのだが、そこでどういう事件や体験があったのか一度も聞いたことがない。父自身の感想や感慨ももちろんである。母との出会いもお見合いまでは知っていたが、どこへ旅行へ行ったとか、父の家族のことなどは母親の偏見も加わった話でしかない。元々、父親って寡黙なタイプが多くて息子と語ると照れるというか、プライド高く見せたいのか、そういう時間を私は持っていない。もっと生きてるうちにたくさん聞いておけば良かったが、話したくないことの方が多い人生だったのかなとも思い複雑だ。加えて父も私も下戸ときている。一緒に飲んだことがない。
ただ、ぼんやりとした価値観だけは伝わっていて「保証人には絶対なるな」「株には手を出すな」の二つは守ってきた。身近な人で失敗した人がいたのかもしれない。ともかく、そういう私の経験もあって発想されたのが「コトバコ」。聞けるうちに聞いておく。遺言とは違う。私も60歳を過ぎるころから「こういう場面で父親ならどう判断するのか」とか「そうか、この年齢にならないとわからないことがあるんだ」とか亡くなった父親が想像上で蘇る。その手助けとして文字として残す企画だ。インタビューを録音し、文字起こし、編集をする。第三者から聞かれるから意外な話や思い出が飛び出す可能性もある。家族や知人や同僚ではなくて全く見ず知らずの人へ自分の人生の本音が語られるケースってよくあることだから。
その箱をそっと開けると、父親の声が聞こえる小さな文化、それがコトバコだ。死んでからでは遅い。
匿名
残念ながら放送を聴けませんでした。親子に限らず兄弟姉妹でもプライベート部分は中々話しませんね。孫たちには自分の歩いた道を聞かせてみたいのですが、井上陽水の「小春おばさん」の歌詞に出てくるような子供と違って、今の子たちは昔話に余り興味を示しません。新しいものばかりに飛びついてしまいますね。でも、こんな現代っ子たちも、やがて年を取って気づくと、身近な親族の事のどれ程も知らないと言う結果になるのでしょうね、今の私たちと同じように。おっしゃる通り文字や声などで残しておけば、いつか知りたくなった時に紐解いて貰えると思いますね。もし私が残すとしたら、美しいシナリオは止めて、悪ガキ時代から貧乏青年時代、半端な大人時代、なって欲しくない高齢の時代など、自分の汚点を書いてしまいそうです。とても連れ合いにも家族にも見せられません。これまでにどれだけの悪さをしてきたか?宝箱どころか「懺悔の箱」になりそうです。それとも、このまま墓場まで持っていきますか。
seto
美しすぎる話は、たぶんご勘弁ではないでしょうか?兄弟間でも父親の話が共通項であれば、なんか「親父ってああだったよな」で納得する会話が出てきそうで、父親の話が兄弟間の穴を埋めてくれる可能性ありますね。そういうコトバコになればと願うばかりです。残すは需要をゆっくり掘り起こすことです。懺悔の箱が普通の箱だと思いますね、われわれ庶民は。私も孫がいますが、可愛いですね。ゲームばかりしてますが。
昔の少年。
父からは、母には内緒で若い時の恋愛話も聞きました。兄からも自身の青春時代や離婚や浮気話も聞きました。幼い頃には長女の恋愛のこじれ話も見聞きしました。人間生きていれば小説にでも出て来そうな話を誰もが幾つも持っているものですね。しかし、年老いて、過ぎてしまえば、どれも笑い話になってしまいますね。
seto
父の通夜の夜に突然母が初恋の彼氏(戦死)の話を始めました。もう絶句でした。溜めに溜めていた思いが父の死で吹き出したとか思えません。不謹慎な場面でしたが、両親の間がどうも仲が良くなかったと思います。父親に母と出会う前、恋はなかったのか?気になります。キスシーンがテレビで放映あれば咳をしたり席を立つ両親でした。