パニック再発。
待ち遠しい冬至。夜の長い一日は苦手。午後4時を過ぎると憂鬱になる。冬至をまたぐと昼間が長くなるのでうきうきする。私はもう春だと思い込むことにして、パソコンの壁紙は冬を飛ばして桜満開の壁紙にしている。12月9日の夜、心臓のカテーテル再手術の話もあって、閉塞感で午後8時過ぎから気分が悪くなった。2階3部屋の照明を点灯、最大の明るさにして落ち着いた。いつも無駄な電気をつけてと妻から叱られるが、私の精神衛生上は無駄ではないのだ。説明するのがむつかしい。『またパニックにでもなったのかい?』とからかわれる。猛吹雪で前が見えなくなるときも閉所恐怖がぶり返す。鉱山やトンネル崩壊で外と遮断される事故のニュースを聞くだけで、私の呼吸が乱れる。しかし、閉所ならトイレや風呂場でもパニックが出るはずだが出ない。なぜだろうか?明るさやリラックス感や安心感なのか?意外に水の存在だったりするかもしれない。関空へ行ったときCAが持ってきた濡れたタオルで症状が治まったことを思い出したが、しかし、関空から大阪へ向かう海の上を走る電車で気持ち悪くなったので水があるなしではない。イライラで心身摩耗しているとき、解決できない悩みを抱えているときもパニックが出やすい。過呼吸からパニックになるので、簡単な治療は吐いた二酸化炭素をもう一度吸い込み酸素量を減らすことである。いまなら持ち歩いているビニール袋を出して、そこへ息を吐き出しCO2を再度取り込むと楽になる理屈である。ズボンのベルトを緩くすることも大事だ。外の遠い景色を見る、目をつぶって歌をハモル、小財布入れに石を入れて握って気を石に集中する。近くにお喋りする人がいたら『私パニック起こしてます』と言って、パニックの説明をして理解を求める。(20代の出張族と楽しい会話のひと時を持ち楽なった経験から)。10年前、福岡からの飛行機でも着席と同時にパニック。私は妻から渡されたおにぎりとバナナをもりもり食べ、さらにサンドイッチを完食。パニックを緩和した。誰かが横にいると症状は軽くなる。新型コロナ感染を減らすため、不用な移動はできるだけ控える社会と世界になってきた。動き回る仕事ばかりしてきた私にとってキツイ世の中だ。ありがたいことに時差出勤で週3回の札幌通いは心身の硬直を解きほぐす。空席目立つ電車で30分の通勤の旅である。
匿名
コロナ禍のせいで、航空機も、列車も、バスも、今では無用の長物的なものになりつつありますね。世界中を飛び回ったり、出張で都市間を行き来したり、温泉だ、社寺仏閣巡りだ、グルメの旅だのと贅沢三昧も過去の夢ですね。皆が冷静に昔の暮らしに向かっているような気がします。貴殿のパニックのお話で気づくのは、特に乗り物ですね。自分の意思で、自由に外に出れない空間の状態が問題のようですね。どこでも出たり入ったりできる乗り物が有れば問題は無くなるでしょうね。近代的な乗り物は時間を詰める事ばかり考えて作られましたが、逆の発想はないのでしょうかね。出来るだけ遅く、時間をたっぷり使って動く移動手段の乗り物です。どこでも気軽に降りて、気軽に乗れるオープンな空間の乗り物なら、きっと大丈夫でしょうね。
seto
自由の拘束が一番きついですね。もともと誰かから干渉されるのもだめ。一番嫌いなのは法律です。好き好んで日本に生まれたわけでなく、世界市民で生きようとある時期から思ってますからね。コスモポリタンとしての私です。それこそ何事もオープンな生き方を理想にしてます。そうなるとパニックも激減するものを、ああだこうだと個人を締め付ける人たちは嫌いですね。1個人を信用しない国をだれが信用するものですか?そういう気持ちでいまも生きてます。
匿名
50代の頃に経験がありますが、兎に角熱くなったり、息苦しくなったり、ふらついたりと大変でした。或る第三セクターの会議室に入った時には、勝手に窓を少し開けて同行の同僚にたしなめられました。「よそ様の会議室で勝手に窓を開けるのは止めた方がいい」と。大阪の本社での部長会議では、悪い数字を皆の前で発表させられる最悪の状況下、デスクの下の足は靴を脱いでいました。何かで精神を落ち着かせようと色々試みましたね。会社倒産劇に巻き込まれた時には最悪でした。心臓がおかしくなって地下鉄にも乗れず、予約していた飛行機もキャンセルしたり、横断歩道を歩行者信号が青の間に渡れないくらいにフラフラでした。残業を終え駐車場に停めてある車に向かうため地下歩道を歩くのですが途中の柱につかまりながらやっとの思いで車にたどり着いたり、のぼり階段を前に立ち止まったり、パニック以外にもいろんな症状が出ました。しかし、或る時期から急に元気になり、あの頃がウソの様です。原因は精神的重圧かも知れません。精神的なものから病気にもなり、あらゆる症状が出るのではないかと思います。気を紛らわせる楽しい事でもあれば良いのでしょうね。
seto
すごい体験でしたね。気持ちの重圧だといまなら思いますが、当事者として、当時は精いっぱいの行動だと思いますね。板挟みにあっていたともいえて、管理職の責任の重さも見え隠れします。体を壊す原因が深い気持ちの落ち込みから出てくるともいえます。事件の連続でがんになる人もいます。免疫力が低下してがん細胞の増殖を細胞が許してしまいますから。12月は正月紙面の締め切り時期で、1ページ開いているとか5段原稿どうにかしてくれと催促される季節。苦労の思い出尽きません。よくぞ乗り超えてきたと思います。