夫婦ふたり暮らしは孤独死予備軍。
週刊文春のバックナンバーを借りてきて読んでいたら、奥さんに先立たれた男の暮らしと孤独死対策が書かれていた。
私はもともと整理整頓が苦手、清潔でもなく乱雑な生き方なので、情けないが家事をもっと頻繁にしないとマズイな、生き残れないかなと思うこのごろだ。
以前、4泊5日で妻が旅に出て、一人暮らしをした。2日目くらいから食事つくりが面倒になってきた。炊飯してレトルトカレーやインスタント味噌汁ばかりでつまらない。週刊誌の中に妻に先立たれた医師が「一緒にご飯を食べる人がいて初めて食事になる」と。それができる関係つくりを平素からやっていないとまずいなあと思った次第だ。そういえば、札幌市内で老健施設を見学に行ったとき(亡き母の住処として)、老婦人たちはあちこちで楽しく囲んでおしゃべりしながらランチを食べているのに、男たちはあっちこっちににぽつんと離れて黙々と食べている。
昔の少年。
ある程度は覚悟していて、ある程度は自信もありますが、いざとなれば?どうなんでしょうね。おっくうで何もしたくなくなるかも知れませんね。父親の一人暮らしの様子を思い浮かべれば手の届くところに身の回りのものを置き、あまり動かず暮らしていました。独り暮らしは気楽な様で寂しいものなのでしょうね。TVお大音量で視ていましたし、音楽も大音量でしたから、きっと寂しさを紛らわしていたのかも知れませんね。
seto
妻の入院のときは、階下は照明を全部つけて2階も全部点灯、テレビをつけて、オーディオ聞きながらブログを書いてました。手作業も読書もあらゆる趣味は、暇ならろくなことをしない小人へせめて何かしなさいという大昔からの知恵なのでしょう。暇だから働くともいえます。暇だからSEXをするともいえますね。音楽づくりも暇のなせるわざ?退屈を逃れるために文明を進めてきたのが人類というわけですが、通勤電車の中でスマホいじりゲームやメール、インスタグラムを覗く多数の乗客を見ていて,その感を深くします。空白に耐えれない人が多いです。真空への恐怖が支配しています。