結婚して40年が過ぎ、二人の両親は亡くなり、子供二人も独立し、60歳を過ぎたころから、どちらが先に逝くかはわからないが、葬式や骨をどうするか話し合う機会が増えた。居間にあるこの布団に寝かせて、遺体は掛け軸に向かって置き(そこには【少年老いやすく学なりがたし】の書がある)、子ども二人が来た時点で焼き場へそのまま送ることにする。両親の骨のある納骨堂は春に遺骨を引き上げ、檀家をやめて、市民墓地に入れることにする。兄弟や親戚には知らせず、すべて終わった後で通知文書を出し、新聞のおくやみ欄には掲載しないこととする。計算では20万円以下でできそうだ。CDで静かに音楽を流して、最後まで生きている聴覚へ好きな楽曲を流す。妻はちあきなおみの【喝采】と【アメージンググレース】をエンドレス。私は山下達郎のライブ【JOY1と2】を流すことまで決めた。子どもへは世間話では話しているが、文字化して残さなければいけない。はじめは自然葬も考えNPO法人の自然葬を考える会から資料をもらった。樹木層が意外に値段が高いので諦めた。隣町では自然葬だというので団体の所有する土地に骨を撒いたら、隣の農家から【風で飛んでくるから止めて欲しい】と訴えられた事件もあって、死んでからトランブルごめんである。使う写真もそれぞれ2枚置いてある。それを子供たちが置きたければ使用できるようにする。しかし、問題が発生した。愛犬コロの骨である。居間にずっと置いてあるコロの骨と妻は一緒に入りたいというが集団の市営墓地にはペットは入れれない。亭主より愛犬コロだ。私はうるさいらしくて【あなたは骨になっても口を動かすタイプ】だからそばに来ないで欲しいらしいのだ。本音は別だと思いたいが・・・・。

  1. 夫婦劇の終幕か?

    私たち夫婦も負けませんよ。妻曰く「あなたと一緒の墓には入りたくない」とも。また「あなたが先に逝けば、お骨は田舎にある両親の墓に入れてあげる」とも。更に「倒れても、お互いに救急車を呼ぶのは辞めようね」とも。私の考えでは同感する部分もありながら同意できない部分もあり複雑だ。自分が死んだ後の事など考えないのが気楽で長生きのコツの様にも思えるし、反面その時の為のマニアルを作っておくのもいいかな?とも。これまで一貫して思っているのは「骨まで愛して」ではなく「骨まで燃やして」だ。お骨など残しても、残された者たちに死後も迷惑を掛けるので、せいぜい位牌か?我が家の宗派の浄土真宗の場合のように仏壇に小さなレプリカの掛け軸に名前と享年を記すくらいで十分だと思いますね。しかし本音は死んでまで夫婦劇を演じるのは辛い物がありますね。かつての独身に戻りたいですね。お互いに。

    • 理想は通い婚ですね。トラブル少なそうですが、子どもが可哀想かもしれませんから、このあたりをどうするかです。離婚しても子供だけは行き来するケースが多いのですが、大きくなると会う回数も減っていますね。骨をめぐる夫婦トラブル、死にきれないテーマです。黙っていれば肉は土に還りますが骨は残りますね。圧縮して1センチ程度になればペンダントにんるんですが

  2. 息子が随分以前から葬祭業に携わっています。東京本社の家族葬のフランチャイズです。近所の人はヤクザ仕事だと言う人たちも居ますが、ほとんど場合が家族葬で、今では競争が激しい市内でも三本指に入る勢いです。職業柄、手慣れていて淡々と仕事をこなしているようです。経済的に困窮している遺族や、警察沙汰になるなど死亡原因が複雑な場合も全てが同じ仕事として親身になって対処しているようです。幾ら複雑でも我々家族にさえも他言はしません。ただ一度だけ、自分の最後は格安で出来ないか?と相談しました。専門家の意見として「桐のお棺に入れて庭かどこかに24時間置いて確認後死亡届を出して近くの火葬場に彼のワゴン車で搬入すれば1~2万円も有れば出来るよと。桐のお棺は当然中国製で原価は数千円ですし、焼き場の料金も数千円ですから、大袈裟な葬儀さえしなければ可能のようです。また私たち夫婦は本州から遠く離れて暮らしていて親戚付き合いも疎遠で、まして妻方の家族とは付き合いもこじれていますから知らせずに、遠方から呼ぶ事も無いですからね。葬儀と言うくらいですから儀式(セレモニー)には当然お金は掛かりますからね。

    • その安さ気に入りました。私の父親は収支でマイナス50万円くらい、それも大半は本願寺へですね。納骨堂と母親の葬儀を入れて300万は使いました。そして日常仏具磨きに来ないと説教されるわけですからたまりません。うまくすれば10万以下でできそうです。助かります。町内で葬式クラブでも結成してみたいですね。すぐに会員が集まりそうです。10万以下で済ます会です。

  3. 夫婦と言えども、元は他人。お互い命が尽きれば、また他人に戻るのが自然でしょうね。口もきけず目も見えず、お互いの存在も確認できなくなるのですから。魂がとか霊がとか言っているのも生きている内の戯言。命が無くなればすべては無ですね。そのうち、他人にも忘れられ、家族にさえ忘れられるのですから、地球上から命が一つ消えると同時に、どこかでまた新しい命が誕生しているのでしょうね。こんな繰り返しが毎日毎日、起きているわけですね。

    • 悟りの境地ですね。めぐるめぐる命はめぐる、それを繰り返し地球は回ります。全くの他人より夫婦が他人になるほうが厳しくなる場合多いですね。殺人まで起きます。どんどん新しい命が世界中で増えて欲しいですね。

  4. 骨になっても口を動かす、とは、面白い表現ですね。私などは真逆で、家内に呼ばれても返事もろくにしないですから。耳が遠いいのかと思われます。父が生前に口癖で「嫌な事は聞こえないふりしているんだ」と。なぜ返事をしないのか?と言えば一言言えば十言返って来て収拾がつかなくなるからです。「クドイ!」とでも言おうものなら更にクドく延々と続きますから、結論は深く関わらない方がいいのです。お互いの為にも。そんな家内が静かになった時はお終いですね。煩いのは未だ未だ元気な証拠でしょうか?。

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