ヨガ講師の般若心経 解説
般若心経について
釈迦の教えは生老病死の苦から逃れることのできる教えです。
般若心経の簡略
知恵の教え
修行中の菩薩が言うには知恵をつければ苦しみから免れると。
その知恵とは肉体も心の働きも、物も空である。
空とは何か。何も無いことである。何も無いのだ。
あれもこれも何もない。死ぬことも老いることも。
苦しみを逃れる方法もない。
菩薩が言うには何もない空を信じることが最高の知恵である。
過去の悟りの師もこの知恵によって、悟ることができた。
この知恵を身につけるために呪文を説くことが大切だ。
素晴らしい呪文である。
ぎゃていぎゃていはーらぎゃていはそうぎゃていぼじそわか
作・水野健二
訳語解説
般若心経は知恵の教えのこと、真理の法ダルマに目覚めること。
真理とはありのままの姿。ありのままの姿をありのままに見ることを知恵という。
五蘊皆空の五蘊とは
心の働きを受・想・行・識という。そして身体のことを色という。この五つで五蘊。
受とは感覚器で受ける働き、想は思いを作る働き、行は意志の力が生まれる働き、識は
是非を作る働きをいう。
色は形あるもの変化するもの、欲望の対象にあるもの。
無明とは煩悩のこと。心経ではその無明を自覚せよという。
煩悩とは貧(とん)瞋(じん)痴(ち)。受想行識という心の働きが言動の発端になって
煩悩を生み出す。貪(むさぼ)るべからずを貪る。瞋(いか)るべからずを瞋る。愚痴る
べからずを愚痴ること。
苦集滅道は四諦(したい)といって釈尊の最初に説かれた四つの真理の教えである。
初転法輪という。
苦諦「人生は苦なり」生老病死の四苦から逃れることはできない。
四苦八苦の続編は愛別離苦、怨憎会苦(おんぞうえく・怨んで憎んでも別れ
られない苦しみ)、求不得苦(ぐふとっく・求めても得られない苦し
み)、五蘊盛苦(ごうんじょうく・身も心も苦しみの原因を抱えている)
集諦はこれらの苦しみは煩悩による業が集まって生じたものだ。
滅諦は苦から逃れ、幸せになるにはおろかさと欲を断つことである。
道諦は愚かさと欲を断つ方法は「八正道」を実践することである。※「八正道」
は「八支則」に似ている。
第7回コラボオンラインヨガセミナー資料
2021.02.13
空とは移ろいでいく世界
八正道とは
仏教の修行の基本となるもので正しい見解(考え方)、決意、言葉、行為、生活、努力、
思念、瞑想をいうとあります。(広辞苑出典)正思・正見・正語・・・
理性の鍛錬・精神の鍛錬・意思の鍛錬
八支則とは社会的鍛錬、身体的鍛錬、精神的鍛錬
1.やっちゃいけないこと。
2.やらなければならないこと。
3.アサナをすること。
4.呼吸をすること。
5.感覚をコントロールすること。
6.集中すること。
7.とらわれないこと。
8.瞑想すること。
よく似ているものです。それはそうです。お釈迦さんが苦行林で修行したのはヨガだったのです。
仏教の根本教理に三法印がある。
諸行無常 あらゆるものが常に変化していく。
諸法無我 あらゆるものが互いに深く関連している
涅槃寂静 心の安らぎこそが真の幸せであり、実相の世界(宇宙の心)を感じ取れることである。(仮相の世界は苦難や迷い。)
坊主の孫。
般若心経に出会ったのは96歳の父が他界した時でした。お隣のタバコ屋のオバちゃんが我が家の墓前で唱えてくれました。我が家は祖父が浄土真宗の伴僧でしたが、父も私もお経は参考書?を見なければ唱えられませんでしたが、隣のオバちゃんは、何と?スラスラと暗唱したのでした。我が家と宗派は違いましたが有難い気持ちになりました。お経の一つぐらいは詠めなければいけませんね。でも、毎朝仏壇にはご飯をあげて、花の水を取り替えて、両親や兄や親戚や、身近な人たちや、ペットの名を思い浮かべながら手を合わせている私です。
seto
私は全然お経はダメです。自宅には神棚は22歳まで(家の新築で初めて)、仏壇のない暮らしが続いていて親父の死去で初めて買いました。むしろキリスト教の方がわかりやすい宗教です。日本に住んでいても異国に住んでいるような気がします。それは物心ついてから変わりません。仏教の世界は私にとって異次元そのものです。
広告マン。
仏教や神道の入門書?比較的簡単な説明書を持ってはいるのですが、じっくり読んでいません。ただ知人に神道の人が居て、神社ではもちろん墓前でも祝詞をあげます。3種類ほどをスラスラと謳いあげるのですが見事なものです。亡くなられた父母も一家全員が神道ですから、一般の墓地の中の墓石には〇〇家奥の院などと記されていました。普通は大抵仏教なのでしょうが、珍しいですよね。
seto
神社の神官をしている知人がいて神社へ遊びに行きます。先日、神官以外は立ち入れない場所へずかずか入って注意されました。神聖な場所らしい。そういう愚鈍さが自分にはあります。どこでも平気なんです。飛び込み営業のし過ぎでしょうか?
漢字を忘れてカナリヤ。
般若心経は写経をする方が多いですね。写経をすれば自ずと内容も理解できるようになるでしょうし、お経も覚えられるでしょうね。お経はいろんな宗派のものを何度も聞いたことは有りますが、難しい文字と内容で習おうとしても直ぐ挫折してしまいます。
PC時代に入って文字を書かなくなって、実際に書けない自分に苛立ちます。スマホで検索して幹事を書くこの頃です。文字を書く仕事であれば忘れないのでしょうが。
seto
気持ちが落ち着くみたいですね。雑念を振り払い、気持ちが集中するみたいです。雑念から新しいアイディアとか出て来るんですがね、要らないのでしょうか?もったいない気がします。日常生活でさんざん得をして利益をたんまり貯めて都合悪くなると、仏教へ逃げたり、寺へ籠ったり(いまは病院へ入院します)。突然の死だけはどうしようもないと思いますが、それ以外は耐えて生きたいと思います。