コンビニの窓際に、電線に並ぶスズメのように、外を見ながらひとりでスマホをいじりながらランチを食べている光景を見る。一度、大学に用事があって、食堂に入ったときも窓際にずらりと横並びでおひとり様コーナーがあってびっくりした。

私も満員ではない電車通勤が好きで、他人がいる空間でのおひとり様空間が彼らと同じで好きかもしれない。静かな場所もいいが、ざわざわするところで本を読むとさらに頭に入ってくる気がする。映画は妻と何度か行ったが、鑑賞後の映画感想(「ダンサー・イン・ザ・ダーク」と「シンドラーのリスト」でどちらも堕胎とホロコーストという重いテーマでもあって)で大ゲンカになってからというものお互いの精神衛生上、ひとりで見に行くということにしている。

山下達郎コンサートに無理やり連れて行ったこともあるが、彼女は「彼の歌は演歌で、どうも粘っこい納豆唱法が好きになれない」とトゲのある感想で私は激怒。趣味は夫婦とはいえ強制はよろしくないと反省してそれからお互い映画やコンサートはおひとりで行くことに決めたらストレスが無くなった。したがってドライブで流す音楽の選択も難しい。

いっそう無音がケンカにならないが、ロッドスチュワートの「Great American Song」シリーズだけは気分よく聞いている。そのときよく聞く枯れた哀愁のある声を聞きながらブログをいま書いている。Vol5の「My Foolish Hart」だ。話題がどんどんそれていって申し訳ないが、「他者の存在を感じながらのおひとりさま」は心地いいという結論だがどうだろうか。しかし、満員電車や狭い空間の飛行機で起きるパニック症状は?他人もいるわけだし、心地よい空間だと思い込めば治るかもしれない。

私の自宅近くに「道の駅」があって、キャンピングカーがたくさん停泊している。鹿児島ナンバーから富士山ナンバーも見つけた。あまり小奇麗な感じのしないおじさんたちが休憩している。たまに中年夫婦も見受けられるが、圧倒的におひとり様が多い。「道の駅」のゴミ箱が溢れて困るという苦情も出始めている。おひとり様で生きててもいいけど、ゴミ出しは気をつけよう、市町村によって分別ルールが違う場合もあるからね。若い人もおひとり様、定年後もおひとり様。

しかし例外はあって、ホテルのランチタイムやレストランに集う主婦たちの群れは凄い。しかし、究極のおひとり様空間は、納骨堂か墓地かなとも思うが、入る場所もない人たちが自然散骨を希望している。私も樹木葬を希望していま調べているが、10万円以下でできそうだ。高倉健のラストムービー「あなたへ」は妻の希望で故郷の海への散骨だが、私は泳げないので勘弁してほしいと子供達には伝えてある。生きていても死んでも所詮、人間はひとりなのかもしれない。

  1. 僕の家族はロッドスチュアートが大好きで名古屋公演の時にも勝手にお一人様でコンサートに出かけた。月寒グリーンドームでのコンサートには僕がクルマで送り迎えしたが、僕は彼の声も姿も好きではなく「イギリス乞食」などと言って怒らせたものだ。しかし、正月にお一人様で厳寒の道東へカメラ数台と防寒着やガソリンの補助タンクを積んでクルマで出かけた時、寂しく危険な峠越えやどこまでも続く原野の直線道路では、借りたロッドの曲が寂しさから助けてくれたものだ。

  2. すべてがおひとりさまでは寂しい。それは他と協調できないことを意味するのか、あるいはそうしたいけど声をかけることができないだけのことか。独りは気楽だけどそればかり望んでいては寂しい。私は、映画は妻と行くことが多い。好きな映画のジャンルは異なっているが、だいたいは向かうが私に合わせる。ひょっとしたら彼女は独りで行けないのかもしれない。
    ところで、私も山下達郎は好きだが、納豆唱法とは面白い言い方だ。確かにネバネバしているかもしれない。これに怒っちゃあの世に行く前におひとりさまになってしまう。

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