悩みがあれば縄文人へ相談!info@jomonzine.com
Posted by seto
知人に縄文太鼓を演奏する人がいて、『縄文ZINE』というフリーパーパーを教えられた。いまの時代や社会と距離が取れて面白い。縄文時代は約1万2000年続き、弥生はたったの2000年弱だが、貝塚や土器、装飾品以外に縄文を際立たせるものがないが、弥生の5倍の長さを誇る縄文時代の知恵について学ばない手はない。貨幣や残された言葉がなかったので、ずいぶん今の時代とは生き方や自然観やほかの人との交流も違ったと思うが、現代人の悩みを告白すれば的確な答えが縄文人から返ってくるかもしれない。縄文人の考え方の基本は、人間は森(自然・神)で生まれて森へ帰るという循環の中にいること。貝塚というものがあるが、ここは何でも捨てる場所ではなくて、次の世界へ『送る』拠点であるということ。人間はその仲介者だということです。そこで、『縄文人に相談だ』(望月昭秀著・図書刊行会)。
様々な悩みに縄文人に憑依した望月さんが答えてくれる。すべての悩みは貝塚へポイ!私を含めて悩み多い83項目について縄文的に答えている・・・・・羅列すると
・お金がたまらない・毎日の仕事がつまらない・彼女ができない・規則正しい生活がしたい・同年代に比べて給与半分・整理整頓ができない・将来が不安・住んでいる場所で人を判断する・ブログのせいで睡眠時間がありません・同僚に既婚者同士の不倫カップルがいます・どうしても元カノのSNSをのぞいてしまいます・彼氏がダサイです・縄文時代って雑誌がなかったのですか・冷え性で困っています・この国は監視社会になってしまうのでしょうか・古着っていつまで着てもいいの・仕事中のエロサイトの循環がやめられません・妻が心療内科に通いはじめました・彼氏の前でオナラができません・私は夏が嫌いです。縄文人さんは?・私、自分の顔が嫌いです・パンツトレーニング中の息子がいます・私が好きになる人は、毎回、だいたい、既婚者です・クライアントがエラそうで腹が立ちます。・植物をすぐに枯らしてしまいます・きれいな字が書けませんetc。
相談者をほっとさせるシンプルな答えを目指す望月さん、がんばれです。悩みのある方はメールを書いてみてはいかが。
最後に、悩み回答を一つだけ書きます。『ブログのせいで睡眠時間がありません』という悩み。実は私もそうなのですが、名解答なので掲載します。(同著 131p)
『現代の、その中でももっとも現代的な貝塚はネットの中にあります。さらにその中でも個々人やグループの記録が時系列となって積み重なっている〈ブログ〉こそ、まさに貝塚の様相を呈しているのではないでしょうか。』言われてみると、一度書いたメールやブログは相当な理由のない限り残り続けるから、世界中は貝塚の山また山。どこまで高くなるのだろうか?ブログ名を〈太古につながる貝塚の山〉に変更か!
広告マン。
ネット社会の現代ではペーパーレスで全てがデータ化になってしまいました。印刷媒体は実在するも、以前に比べると激減しています。形を残すものと言えば工業製品ですが、これもリサイクルで再生され全く違う製品になったりします。では、現代が次代に変わった時、時代背景を紐解くカギとして一体何が残されているのでしょうね。またその時にはデータに変わる何かが出現し、そして恐竜時代が去った時のように現代の人間や動物達は僅かな化石化した骨の一部くらいは残すのでしょうか。
seto
紙は、ほかの記録メディアより耐久性がありますから、貴重な資料には後世残ると思いますよ。なのでマイクロフィルムで写真とともに未来へつなげるかもしれません。化石化した骨ですか、それも残りますね、石炭や天然ガスになってるかもしれません。記録メディアでスマホや携帯は、動かせる動力(電気)がないと起動しないので、発電所が無くなった後を考えるとどうでしょうか。
坊主の孫。
「長老から知恵を授かりなさい」くらいなら未だしも、「縄文人に聞きなさい」は奇想天外ですね。確かに現代文明の利器を持たない彼ら彼女らの生きる術は見習うべき事も多いと思います。例えば、大災害に見舞われた時に現代人はただうろたえるだけで、何をどうすれば生き延びられるかを知らないですね。最悪は他人のものを強奪して自分だけ生きる事を考えるなども想定できますね。現に放射能汚染で立入禁止区域になった街にさえ空き巣が入った事実もありますから。少なくても戦災経験者だったら、おおよその対応は理解していると思いますが、その年齢の方々も残り少なくなっていますし、果たして戦争体験や空襲体験を孫の代にまで伝承しているかは疑問ですね。兎に角、大震災や水害や大火などの経験者の方々の知恵を今のうちに伝えて置く事も大切ですね。縄文人とは程遠いですが、昭和生まれの私たちにもその責任はありますね。
seto
私の住む町は縄文人の宝庫です。郷土資料館に彼らの墓の模型や土器が展示されて、勾玉や櫛も残ってます。カリンバ遺跡も発見されてます。カリンバはアイヌ語で桜の皮の意味だそうです。春になると桜並木ができます。農家の人たちが丁寧に植えています。縄文人の前に大災害時に当時の大人が得た知恵、生き延びる方法を伝えないといけません。若い人は子供を連れて森にキャンプに行きます。ブームです。ファッションっぽいですが。野外料理を作ってますが、さすがに狩りはしていない模様。せいぜい釣りで魚を焼くか、寝袋で寝る習慣かな。岩手でもありましたね、銀行の金庫泥棒や被災者の自宅荒らしで情けなくなりました。しかし、貧富の差が激しくなる現代、万引きが本屋、スーパー、衣料品で増えて、メルカリで売られています。手のつけようがない状態で監視カメラや警備員を増やしても追いつかない。政治家をはじめとした税金泥棒集団が跋扈している中で、それをニュースで見ると全体のモラルハザードが進行していると思いますね。何を伝えればいいのか。とにかく生き延びる知恵ですが、またこれはブログを改めて書きたいと思います。
昔の少年。
宇宙開発とか、空飛ぶ自動車とか、リニアモーターの列車とか、自動運転のクルマだとか、人間の未来志向は留まる事を知りませんね。しかし、実際にはもっと現実的な事にも目を向けるべきではないでしょうか。ついこの前までは、日本がまさかこのような消費時代になるとは思いませんでした。今では何でも買うのが当たり前。自分で作る事を皆んなすっかり忘れてしまったようです。「そんなの100円ショップに行けばあるよ」と言う調子です。子供の頃の方が正に縄文人に近い事を実践していました。近くに大きな川が流れていて川遊びが日常でした。釣り竿は真竹の枝を払って自作。鉄砲ヤスは竹筒を鋸や切り出しナイフで削り、太い番線の先を叩いて伸ばした後に焼を入れて、飛び出す動力はゴムチューブと手近な材料で作って水深5~6mに潜って魚とりしたものです。または錨のように数本の針を組んで、潜って鮎を引っかける道具も作りました。川を岩でせき止めて流れを変えて干上がった魚を河原で焼いて食べたりもしました。パチンコと言ってゴムで小石を飛ばす道具はいつもポケットに入れていましたからスズメなどの小鳥を狙ったり、柿など木の実などを狙って落として食べたりしました。さらには酸っぱい葉の雑草に「酸いもん」なんて名付け、片っ端から食べていましたし、イタドリも皮をむいてオヤツでした。学校の校庭脇の二宮金次郎象の周りに咲いた少し甘いツツジの花も食べました。山の木の実も何だかわからないのに食べたり、ハチの巣を見つければ捕獲作戦で燻り出して柿の葉でくるんで蒸し焼きにして蜂の子を食べましたね。更に強烈なのはウサギ狩りでした。針金で簡単な罠を作って山の斜面の通り道に仕掛け翌朝獲りに行きます。または他所の飼い犬を手なずけて山に連れて行きウサギを探し出して首をくわえて来た犬の頭をひっぱたき分捕って鉄砲撃ち猟師のオジサンに皮をあげて肉を貰いスキ焼にして食べました。耳は片方50円でしたが役場に届け飴玉などを買いました。おやつも自給自足、お小遣いも自分たちで稼ぎました。全ては遊びの延長線上でしたが、子供なりに必死でしたね。
seto
里山生活といいますか、私からすると手も足も出ない遊びですね。昔の少年さんの天下ですよ、まったく。栄養にもなり、お金にもなり、大人からも喜ばれる働きです。私はせいぜい鉄くず広いとビール瓶集めや日本酒空き瓶,銅線を売りに行って」一銭店や」に走り、スルメや菓子を買いました。釣りはうぐいやフナで食べませんでした。野草も知らずです。茨戸にだけ真っ黒なカラス貝が取れて、美味しそうだという噂を聞いた程度です。昔の少年さんは、まさに現代の縄文人として再生願いたいです。