仕事も人生も回っている!?
人間は自分で思う以上に適応性があるもので、『これしかできない』と限定せずに、若いうちはいろいろ体験するのがいいのではと思う。私は10代後半からアルバイトで26歳まで朝早い札幌市水道局内の掃除から新聞配達、家庭教師、道内の林道測量助手、新聞社の校閲、自動販売機のジュース入れ替え、古新聞収集、戸建の塀つくりのための穴掘り、世論調査アルバイト、愛知県岡崎市で風来坊暮らしをして27歳で正社員で地元の小さな総合広告代理店に勤務。そこで結婚。さらに3回の転職。
31歳のときにクビになった社員を助けるために前札幌市長の弁護士上田文雄さんと組合活動、1年間、クビになった女性を職場復帰させるための民事裁判に入り、勝つには勝ったが疲れてしまって退社。退社した後、聞いた話では、復帰はしたが会社への恨みつらみから、朝早く来て夜は遅く帰り残業代を毎月ごっそり稼いで行ったらしい。本人に確かめていないから真偽のほどはわからないが、私の人生の転換点でもあった。しかし、組合活動で所属する企業を辞めて、33歳のときにようやく定年まで迎える職(企業)に入った。
探せば正社員ばかりの時代であったから、現代の派遣横行の世の中で、若い人がかわいそうである。『最初に勤めた正社員のときの給与とボーナスを失い、派遣の世界に入ると出られなくなる。最初が一番いい待遇で後はどんどん悪化するだけ』(ある人の感慨)。いつでも正社員に戻れる法律の改正はできないのか。派遣会社の入居するオフィースがどんどん高いテナント料のビルに引っ越しをする裏でどれだけの派遣社員が苦しんでいるかと想像する。アルバイトや安給与に麻痺をしているかもしれないとも思う。
しかし、時代は昔は憧れの銀行員も低金利でNISAを売り、投資信託を売り、預金集めができない。お客のところに行かない(行けない)。仕事にプライドを全然持っていない。それより、全体の社員数を減らすアナウンスだけが銀行内を走っている。『どこかにいい企業や転職先がないか。お金持ちの玉の輿に乗れるような女性はいないか』探している銀行員もいるかもしれない。
私の狭い経験で言うと、とても学生時代は営業ができるとは思わなかった。たまたま回された営業職にしがみついただけ。約2年しか在籍しなかったが、そこで獲得してきた大手のスポンサーをお土産で置いて退職した。30年後、そこの会長から声がかかって「若手の教育係で来ないか?」と誘われて定年後第二の職場になった。そして第三の職場が、あの組合活動をした会社から「営業マンがいないので安いけれど週に3回、午後からでいいから来てくれないか」。仕事も人生も回っている。世界のいま, 仕事・会社・失敗談, 営業への応援メッセージ, 無名の人々, 胸が痛くなる
広告マン。
偶然が現実になり、それを幾度となく繰り返しながら、失敗も沢山経験しながらこれまで暮らして来れた訳で、その偶然や失敗が当時少しでも変わっていれば、現在の生き方も大きく変わっていたでしょうね。結果論ですが、今現在まで無事に生きて来れたと言う事は、数々の偶然の選択は大きくは間違ってはいなかったのでは無いかとも言えますね。あの時にこうすれば良かったとか、もっと学んでおけば良かったなどと後悔しますが、高望みもキリが無く、それもこれも自分自身の責任で、その時にはもう戻れませんから過去を振り返る事よりも、これからどうするかを考えた方がいいですね。また新しい偶然や失敗を繰り返す事も有るでしょうが。
seto
偶然の要素はほんと大きいですね。私も仕事を見つけられたことも1本のダメだろう電話がダメでなかったとか、大きな仕事を取れたのも偶然の飛び込み営業だったりします。その代わり、私を好かない社長が来てイジワルされたりしたことはありましたが、許せる範囲のことで、そこそこ順調な人生であったと思います。とでも、思わないとやってられない。後悔しても、いまさらの感あります。
広告マン。
ざっと振り返れば、①新聞配達から始まり、②紡績会社アルバイト、③塩ビメーカー会社員、④テキスタイルデザイン弟子入、⑤大手メーカーの外注先デザイナー、⑥バンドマン、⑦新聞の勧誘員と配達集金、⑧デザインプロダクション勤務、⑨フリーランスデザイナーに、⑩地元広告代理店勤務(会社員)、⑪転職で本州企業の広告代理店デザイナー職、⑫同社で営業職に転職(会社員)、⑬同社倒産でフリーランスデザイナーに(自立プロダクション)、⑭本州広告代理店の営業所立ち上げ、⑮同社依願退職で知人経営の広告代理店会社整理のため勤務、⑯広告代理店設立、現在に至る。こんな感じですね。我ながらジッとして居られない多動性で落ち着かない生き方ですね。しかし、もうそろそろ年貢の納め時かも知れませんね。しかし本人はまだまだヤル気のようですが?。どこまで続く事やら?ですね。出会いも多かったですが、考えると「広く浅く」でしたね。仕事のお得意先には良くしていただいたお蔭で、ここまでこれましたね。ようやく分かった事は、社内で嫌われている方ほど人間味がありましたね。時々ではありますが、その方々の本当の姿を見せてくれました。私もそんな方々に育てられたようなものです。
seto
私は結婚後の4回の転職ですね。営業職系ばかりでした。働きだしたのが27歳で、自宅から通っていたので生活への必死さがなかったような転職でお恥ずかしい限りです。広告マンさんの16回の転職を見てびっくりしました。出会った人の数や嫌な思い、助けられたことも多々あったと想像しますが、社内で嫌われた人、つまり社内営業より本来の仕事に集中することを教えてくれたと思うのですが、そういう人がいろいろな社会性、お客さんとの付き合いや制作・デザインの仕事を教えてくれたのでしょうね。振り返ると、社内で評判をとるため、社長へゴマスリして役員になった人より、しっかり仕事をしてきた人(他人のやっかみを受けやすい)から私もたくさん学んできました。その人は役員の就任はできませんでしたが、お客さんんの会社の役員へ招聘されました。仕事の内容を見ていたのですね。年齢を加えると、実はそういう社内では見えなかったところが、外からガラス張りで見えてくるところが大事だと気付きます。異端や嫌われ者が秘めた本物性が大事な時代です。
seto
大事なことを書き忘れました。年貢の納め時ですが、私は白内障が6月にして、目が戻れば仕事を再開(あればの話ですが)する予定です。見えにくいと仕事できませんから。デスクトップパソコンだから読めますが、小さな文字は相当、目を細めないときつい視力環境です。広告マンさんと同じく多動性の私ですからじっとしているのは耐えられないです。お互い、動き回りましょう。生きるだけで大変な世の中になってます。自然死さえ贅沢な世の中です。文明の先頭を走ってきた西ヨーロッパに中東やアフリカ、ウクライナや豊かさと暮らしの向上、生きるために難民化せざる負えない人々が溢れています。日本だけが例外的な国ではありません。