昨年12月に訪れた頭大仏が完成するまで。
建築家安藤忠雄さんの作品を見に来た友人に同行した。私自身、この作品があるなんて彼から聞くまで知らなかった。地下鉄真駒内駅からタクシーを飛ばした。マオイ像のある真駒内滝野霊園の中にある。真っ白いコンクリートの大仏もいいものである。顔にも品があって。12月で観光客が少なかったのも良かった。頭大仏を外から見るとこんな感じ。
飛行機が苦手で日本の大仏は見たことがない私だが、この大仏は気に入った。自分の納骨場所を探していたので永代供養で1体30万円で大仏の横の納骨堂に半年間置かれ、後にストーンヘンジに名前が刻まれて集合墓地に入る。両親の入っている本願寺の納骨堂はあと4人分入れるが、住職が大嫌いで入らないので、探さないといけない状況だ。埼玉の知人は隣の寺が売り出した、プレート版の墓を2つ購入したと言っていた。もう札幌へは帰らない、娘夫婦が関東圏に住んでいるし。川崎の兄も両親の納骨堂には入らない。千葉と川崎に娘夫婦がいるから近くに買うよと言っている。地方は墓の面での過疎化も進行しているわけだ。
昔の少年。
墓と言えば、両親の墓が福井の田舎の山すそにあり、同県の武生市のお寺に永代供養をお願いしていますが、最近ではコロナ禍の前の年に行ったきりで墓参りにもなかなか行けません。田舎の人たちはさぞ「バチアタリ息子」と思っているに違いないです。墓仕舞いなんてよく聞きますが、仕舞ってその後は一体どうするのか?と考えるに、私同様、子供たちに墓守など到底ムリと思い墓などは新たに作らない事にしました。納骨も私は要らないので、完全焼却はできないものか?と。残すとすればこじんまりした位牌か、浄土真宗で定番の掛け軸の小型版レプリカに筆文字程度でいいかなと考えています。立派な墓も、代々墓守が可能な家族の場合にはお薦めですが、私の様に遠隔地に墓を持っても、かえって先祖に寂しい思いをさせる結果になりますからね。
seto
最近、同世代の人と話すと葬儀とかお墓や納骨堂、集合墓の話になります。圧倒的に金のかからない集合墓を選択する人が多いですね。昨年4月30日に亡くなった立花隆さん、あれほど死後の世界の存在を追求した人が、あっさり戒名要らず墓要らず「無」で亡くなりました。関係者がプレート1枚作りましたが。それでいいいんだと思うようになりました。市民墓地で3万か4万で終るはず。負担かけないでね。骨が入った小さなビン位を用意すればいいねと娘と息子に伝えてチョンです。
坊主の孫。
頭大仏は知りませんでしたね。それも安藤忠雄氏作とは。昨秋もクルマで近くを通った際に斜面に咲いたコスモスが綺麗だったのでスマホで写真を撮ったのですが、知って居ればモアイのある霊園にも立ち寄って見学したと思います。近々通った際にはぜひ拝観してみたいと思います。
seto
あそこに喫茶店もあってイタリアンも食べれます。コーヒーがえらく美味しかったです、安いし。頭大仏が作られるまでのパンフが立派でした。坊主の孫さん、感動すると思いますよ。私は芸術の森で「銀の匙)展の帰りに、妻と娘を連れて訪ねる予定です。コンクリート使用料、半端ではないですわ。バサラの世界です。